住吉橋(すみよしばし)
2016年12月26日
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歴史・文化
道頓堀川の東側沿岸部は早くから開けたが、西側の本格的な開発の開始は元禄時代末期からのことである。堀江一帯の開発にともなって住吉橋、幸橋、汐見橋、日吉橋の4橋が架けられた。西道頓堀川の沿岸は、土佐や薩摩などからの入港船の荷揚げ場となり、多くの銅吹屋も営業していた。住吉橋は、橋の上に立つとはるか南に住吉の高燈篭を望むことができたためこの名が付けられたという。
享保九年(1791)に発生した大坂最大の火災であった妙智焼では、住吉橋も被害を受けた。また、宝永4年(1707)と嘉永7年(1854)の津波によって、道頓堀川の橋は破壊されている。
住吉橋が近代橋になったのは、第1次都市計画事業によってで、それが今日の橋である。
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