安堂寺橋(あんどうじばし)
2016年12月26日
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諸元・アクセス
歴史・文化
橋の名は、伝説的な寺の名前から由来し、安曇寺から転訛したものといわれたが現在では否定されている。安曇寺は、『日本書紀』に記述されている安曇寺のことであるといわれ、古代海人族の阿曇氏の拠点が上町台地側」にあったとも推定されている。また、聖武天皇が遊覧したとされる安曇江は東横堀の前身となる入江であったともいわれる。
江戸時代の橋通りは、玉造から生駒の暗峠に達する奈良街道に通じる重要な道筋に当り、この時代初期には架設されていた。橋の東側は東堀の材木浜で、材木をはじめ竹や竹皮の取引も行われていた。
西側は南船場につながり、金物問屋や砂糖商の密集する町であった。明治中期になると鉄柱で支えられた木桁橋となり、大正3年(1914)に鋼鈑桁に架け替えられたが、幅員は6.1mで従前のものと殆ど同じであった。戦後昭和42年(1967)に幅員6mで三径間の鋼鈑桁橋に架け替えられ、交通量の増加に伴い同49年(1974)に両側へ1.5mすつの歩道が拡張されて現在に至っている。
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