金屋橋(かなやばし)
2016年12月26日
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歴史・文化
道頓堀久左右衛門町から西へ渡る金屋橋は寛文年間(1661~1731)に架けられたと伝えられる。明暦期の地図には見えないが、貞享4年(1687)のものには画かれており、橋名は西道頓堀北岸の町名に由来する。町名に従い、別名釜屋橋とも呼ばれていた。
金屋橋は29.7m、幅員7.68mの規模をもつが、橋梁形式は一径間の中路式である。中路式は桁の中間部分に床版が設けられる形式で、床面と桁下の高さの差を小さくできるが、2本の桁を両端に配置するため、幅員の広い橋に用いることは難しい。
阪神高速道路の建設が進められる中で、昭和39年から46年にかけて、次々と西横堀川は埋め立てられ、長い歴史をもった橋が撤去されていった。ただ、最下流の金屋橋だけは残され、80数年前の姿をそのまま伝えてくれている。
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