絹本著色方便法身阿弥陀如来画像 附 本遇寺文書 2幅(附2点)
2024年1月15日
ページ番号:8794
絹本著色方便法身阿弥陀如来画像 附 本遇寺文書
分野/部門
所有者
宗教法人 本遇寺
所在地
大阪市福島区福島3
紹介

本遇寺は真宗大谷派の寺院である。方便法身阿弥陀如来画像とは、正面を向いて立つ阿弥陀如来を描いた真宗教団に特有の画像のことで、室町時代には寺院や道場の本尊として、門主から門徒に与えられた。本遇寺の方便法身阿弥陀如来画像は、背後に描かれる48本の光明に特色がある。頭頂部では一点から放射状に発しているのに対し、体部から発する光明は体に即して逆V字状に描かれている。これは少し古い描き方で、画像の制作が15世紀後半に遡ることを示している。

この画像は、本願寺8世門主蓮如が長享3年(1489)に「摂州西成郡中嶋内福嶋」に与えたことを示す裏書を伴っている。大坂本願寺の前身である大坂御坊を明応5年(1496)に建立したことが端的に示すように、蓮如は大阪の歴史を考えるうえで重要な人物である。蓮如は大坂における本願寺教団の勢力拡大を図るため、門徒衆に多数の本尊などを与えるなどの活動をおこなっていたが、現在も残る蓮如の免物は非常に少ない。中でも大坂の地に下付したことを示す宛所の記載を持つ免物が市内に伝わる事例は、いまのところこの本遇寺の方便法身図のみである。その裏書の中に「福嶋」の地名が見えるように、大坂御坊建立に先だって、既に本願寺教団の勢力が大坂の地に浸透していたことを示している。大坂御坊周辺の町並が、後に大坂本願寺の寺内町となり、さらに秀吉以後の大坂城下町に発展した経過を考察するうえで、非常に重要なものである。
また、本遇寺文書(本遇寺記録1冊および本遇寺縁起1巻)は、阿弥陀如来画像の伝来の過程を考えるうえで貴重な史料である。この文書は江戸時代のものだが、当時の阿弥陀如来画像に対する信仰の形態や、寺号の有無を巡って奉行所と本遇寺が争論した際に、裏書に改変が加えられたことなどを知ることができる。
用語解説
絹本著色(けんぽんちゃくしょく) 絹地に彩色を施したもの
方便法身(ほうべんほっしん) 方便とは衆生を教え導く暫定的な手段であり、法身とは絶対的な真理=仏陀の本体を指す。「方便法身阿弥陀如来画像」とは阿弥陀如来の真実の姿を仮に現した像ということになる
裏書(うらがき) 一般には書画・軸物の裏に由緒や注釈を書くことをいうが、真宗系の画像では独特の様式がとられ、門徒に下付するため門主自らが記した。画像の正統性を証明するもの
免物(めんもつ) 本山から末寺に下賜された仏像・仏画をいう
参考文献
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