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難波宮跡出土鴟尾 1点

2019年1月9日

ページ番号:8807

難波宮跡出土鴟尾

なにわのみやあとしゅつどしび

分野/部門

有形文化財/考古資料

所有者

大阪市

出土地

大阪市中央区法円坂1

紹介

難波宮跡出土鴟尾(破片) 写真

 この鴟尾は後期難波宮大極殿院の東方で出土したものである。鴟尾とは古代の宮殿や寺院において、主要な建物の大棟の端を飾る大型の瓦である。天に向かって尾をはね上げたような形状で、段々や刻線によって鰭(ひれ)を表現する。多くの例では、側面を2~3条の凸帯によって仕切り、珠文などの文様を施している。この鴟尾は3個の破片に分れているが、すべて接合し、縦49.6cm、横38.7cmの大きさの破片となる。向かって右側は段をなしており、下端面の一部が残っているのでこの破片が鰭の基底部に当たることがわかる。その左(鴟尾の前方)には2条の凸帯が縦にのび、間にはすでに剥離してしまっているが直径 6.0cm前後の珠文を並べている。さらに凸帯の左にも粘土塊の剥離した痕跡があり、何らかの文様があったようである。1997年に難波宮北西部で見つかった鴟尾片や、柏原市太平寺廃寺(知識寺跡)出土の鴟尾片に見られる葡萄唐草文(ぶどうからくさもん)を参考にすると、これもやはり葡萄唐草文で飾られていたと思われ、剥離した部分は唐草の蔓からのびる葉や実の房の表現であったかと考えられる。
 昭和28年(1953)11月、法円坂住宅第13号棟建設工事中の地下約1.2mからこの鴟尾が発見された。難波宮の手がかりを求めていた山根徳太郎博士にとって、この発見は付近に難波宮に関連する宮殿が存在したことを強く確信させる物的証拠となった。これが翌年から始まる第1次以降の本格的な発掘調査につながっていくこととなる。調査開始当初における山根博士による難波宮の復元案では、宮殿の中心軸が現在よりも東寄りに想定されている。初期の調査で瓦の出土が相次いだこともあり、山根博士は当初この鴟尾発見地点周辺に東側の朝堂(ちょうどう)を想定しているが、その発端を開いたのはこの鴟尾の発見であるといっても過言ではなかろう。
 大阪歴史博物館では平成13年(2001)11月の開館以来、この鴟尾を難波宮研究史の記念碑的な資料として展示するとともに、上述した葡萄唐草文の破片や上方にのびる針金状の突起(拒鵲)を付けたと考えられる上端部の破片などの知見を加え、難波宮の大棟を飾った鴟尾を模型で復元して公開している。

用語解説

珠文(しゅもん) 小さな半球形の飾り

山根徳太郎(やまねとくたろう) 日本の考古学者(1889-1973)。文献史料に記載されていたが所在地が不明のままであった難波宮の研究を行い、難波宮の大極殿跡を発掘した

朝堂(ちょうどう) 朝廷の公式行事や重要な政務をおこなう建物

拒鵲(きょじゃく) 棒状の鳥避け

参考文献

大阪城址研究会編『大阪城の研究』研究予察報告第2号(1954)

山根徳太郎『難波の宮』(学生社 1964)

大阪市文化財協会編『難波宮址の研究』第11号(2000)

 

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