圓満寺真宗関係史料 一括(4点)
2019年1月9日
ページ番号:8828
圓満寺真宗関係史料
えんまんじしんしゅうかんけいしりょう
証如書状1巻・方便法身阿弥陀如来画像2幅・紙本墨書六字名号1幅
分野/部門
所有者
宗教法人 圓満寺
所在地
大阪市福島区玉川4
紹介
大坂と本願寺教団のかかわりは深い。蓮如による大坂坊舎の建立の後、天文元年(1532)に山科本願寺が焼失したことに伴い、本願寺10世門主証如は大坂本願寺を建立し、本願寺教団の本拠を大坂に移した。本願寺の周囲には寺内町が築かれ、これが現在まで続く都市大坂の端緒となったことは周知の通りである。
本願寺教団の門徒は、蓮如による摂津地域の教化を受けて、淀川流域の中島地域を中心にして散在し、中島衆という集団を形成していた。現在の福島区の野田は、西国への交通の要所で、中島衆の重要な拠点であり、中でも有力な門徒集団が存在した。もともと仏光寺派の門徒が多かった地域のためか、時には本願寺教団と袂を分かつこともあり、本願寺教団も看過できない自立性をもった集団であったことが、証如の記した『天文日記』の記述からもうかがえる。
野田の圓満寺には、野田の門徒衆と証如の関連を物語る史料がいくつか伝来している。このうち証如の書状は、証如が野田を訪れた際に、襲撃を受けた証如を守るために討ち死にした門徒に対する礼状である。『天文日記』には対応する記述がなく、文書の発給年代については諸説あるが、証如の花押の形状から、天文元年(1532)前後のものである。大幅の方便法身阿弥陀如来画像は、裏書から証如が天文3年(1534)12月25日に、野田の惣道場に宛てて下付したものであることがわかる。この種の本尊像としては、通例よりもひとまわり大きいことが特徴である。小幅の方便法身阿弥陀如来画像は、宛所と年紀の記載はないが、証如裏書を同伴する。証如筆と伝えられる六字名号は、従来の数の名号と呼ばれてきた小幅のものだが、筆跡の特徴から、証如の真筆であると推定される。
以上の4点は、市内に残る中世の文書史料として重要であるだけでなく、いずれも本願寺教団と野田の門徒集団の関係を体現するもので、室町時代の大坂を考える上での貴重な歴史資料である。
用語解説
蓮如(れんにょ) 室町時代の浄土真宗の僧侶(1415-1499)。本願寺第8世。本願寺中興の祖
天文日記(てんぶんにっき) 本願寺10世証如が記した天文5年(1536)~天文23年(1554)の日記。本願寺の行事や、末寺・門弟との往来、宮廷や公家・大名・町衆等と交渉が具体的に記され、大坂本願寺の勢力拡大や、本願寺を通して当時の世相が窺われ、室町時代後期の史料として貴重である。重要文化財に指定されている
花押(かおう) 署名の代わりに記される手書きの記号・符号方便法身阿弥陀如来画像(ほうべんほっしんあみだにょらいがぞう) 正面を向いて立つ阿弥陀如来を描いた真宗教団に特有の画像のことで、室町時代には寺院や道場の本尊として、門主から門徒に与えられた
参考文献
大阪市教育委員会『大阪市文化財総合調査報告書11 大阪市内所在の真宗関係史料 福島区所在史料について(2)』(1997)
同朋大学仏教文化研究所編『蓮如名号の研究』(法蔵館 1998)
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