木造地蔵菩薩立像(和光寺) 1躯
2019年1月9日
ページ番号:8836
木造地蔵菩薩立像
もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう
分野/部門
有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕
所有者
宗教法人 和光寺(わこうじ)
所在地
大阪市西区北堀江3
紹介
和光寺境内西の土蔵造の地蔵堂にまつられ、「あごなし地蔵尊」と称されている。寺伝によれば、隠岐国の海辺に漂流していた木像と伝えられ、これを鴻池家が拾い上げて同寺に寄進・安置し、安政2年(1855)に開扉法要を行ったという。
円頂で、右の耳朶は不貫、左の耳朶は欠失する。白毫相をあらわし、頸には三道相をあらわす。左手は屈臂し、五指を屈して宝珠を持し、右手は垂下して錫杖をとる。褊衫を着けて大衣を偏袒右肩にまとい、裙を着ける。両手首先と両足先は後補である。手首の傾斜の角度から、当初の像容は、錫杖をとらずに五指を伸ばして与願印を結んでいたものと思われる。木造の光背、台座、持物、銅製透彫りによる胸飾りも後補である。
構造は古様で、頭頂から像底まで、両肩先も含む像のほとんどすべてを一木から彫出する。内刳りはない。木芯を像内のやや左寄りに込めるため、像の前面に大きな干割れが見られる。なで肩で肩幅は広い。体奥も深く堂々とした体躯である。背面の衣文は簡略化されているが、腰下や両袖の外側の衣文は縄状で太く、古様を示している。 表面は古色を呈している。ただし全体に摩滅が見られ、随所で素地が現れ、像前面には焼痕も見られる。面部は損傷が目立ったためか、彫り直しが認められ、下頬から顎にかけて木痩せしている。これが「あごなし地蔵尊」の呼称のいわれとなったものと思われる。
平安時代の地蔵菩薩立像としては、住吉区地蔵寺の木造地蔵菩薩立像が10世紀末から11世紀初めにかけて制作された像として知られている。この和光寺像は、構造や衣文表現から勘案すると、地蔵寺像よりも少し古く、10世紀後半の制作と考えられる。市内に残る平安彫刻の中でも、10世紀代に制作が遡るものはごく限られており、貴重な作例である。
用語解説
白毫相(びゃくごうそう) 仏の身体的特徴であるの三十二相の一つ。白毫は、額中央の眉間にあって光明を放つという長く白い巻毛。仏像では水晶をはめ込んだり浮き彫りにしたりして表現する
褊衫(へんさん) 両袖を備えた上半身をおおう法衣。下半身に裙子(くんす)をつける
大衣(たいえ) 僧が着る袈裟の一つ。僧の正装衣で、9条から25条の布片を縫い合わせた1枚の布からなる
裙(くん) 僧侶がつける、黒色でひだの多い下半身用の衣服
与願印(よがんいん) 仏の手の組み方、印相の一つ。手を下げ、五指を伸ばし掌を正面に向けた印で、人々の願いを聞き入れ、望みを叶える深い慈悲を表している
参考文献
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