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関一文書 一括(500点)

2019年1月9日

ページ番号:8859

関一文書

せきはじめもんじょ

分野/部門

有形文化財/歴史資料

所有者

大阪市

所在地

大阪市西区北堀江4

紹介

関一文書 写真

 関一は、大正12年(1923)第7代大阪市長に就任し、昭和10年(1935)現職のまま病死するまで、助役時代を含め20年6カ月にわたり、大阪の近代化に力をつくした。
 
 関は東京高商教授時代より交通政策、社会政策の権威者として知られており、これらに関する深い学識と、助役時代からの行政家としての豊かな経験を合わせ、全国の都市行政をリードする秀れた理論的、実践的業績を残した。具体的には、御堂筋をはじめとする道路網の整備、地下鉄などの交通事業、港湾、電力事業、上下水道といったハード面の社会資本の整備とともに、多面的な社会事業を実施し、教育、文化行政を都市政策のなかに位置付けた。その根底にあるのは、政治的権威のためにつくられた都市計画を、近代産業や市民生活のための都市政策にかえることを目指したものであり、社会政策と都市政策を結合し都市社会政策を構想したことにあった。
 
 戦後、高度経済成長の下、さまざまな都市問題が噴出すると、地域に即した都市政策の必要性が求められ、関の行った都市政策が注目されるようになる。 1981年に関西地方の研究者により関一研究会がつくられ、資料収集が行われる中で発見されたのが関の日記をはじめ、未発表論文、講演会等の原稿、書簡などの多数の文書である。 日記は明治28年(1895)から昭和10年(1935)までの40年間、43冊である。様式、記述のスタイルが安定し継続性が高まるのは大正5年(1916)以降である。それは、公的生活が多様化し、複雑化することによる備忘録、もしくは問題整理の手段として日記の効用が高まったことによるものと思われる。記述の内容は簡潔、実務的であり、会議の内容や結論、仕事の計画や対策、重要な出来事に対する意見や感想などが主であるが、家族との団欒や趣味、友人との交遊など私的な記載も多い。これらの日記は関の考え方や人柄が具体的に示されており、大阪市の行政計画と実施過程、関を中心とする多彩な人脈などが写しだされている。
 
 著作およびその関連史料(67点)の内容は、商業経済政策(21点)、鉄道・運輸(11点)、都市社会政策(8点)、市営事業(8点)、都市計画と住宅問題(5点)、工業政策(4点)などに分類される。これらの中には、発表されている論文や講演、講義の草稿や下書きをはじめ、研究ノートや自己の意見を記した文書も多く含まれており、また一定のテーマについての研究ノートや自己の意見を記した文書も多く残されている。これらには、論文等では取り上げられていないテーマについて論じていることも多く、関の都市政策の理論的、思想的背景を明らかにする上で重要であり、また教授時代の論文草稿や研究ノートは、関思想の形成、発展過程を知るうえで興味深いものである。
 
 その他に、旅行記(6点)や学生時代の随筆(3点)、写真資料(13点)、個人資料(22点)、公私にわたる書簡(227通)なども多く残されている。
 
 これらの文書群は、関一研究に不可欠の資料であるばかりでなく、近代日本の都市史研究にとっても重要な意味をもつものである。

参考文献

関一研究会編『関一日記』東京大学出版会 1986年

 

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