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木造天部立像(浄円寺) 1躯

2019年1月9日

ページ番号:8862

木造天部立像

もくぞうてんぶりゅうぞう

分野/部門

有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕

所有者

宗教法人 浄円寺

所在地

大阪市淀川区新北野3

紹介

木造天部立像 写真

 浄円寺本堂に安置される。もとは彩色像であったと思われるが、現状では彩色は全く残らず、素地を呈している。右手首先、左臂先、持物、両足首先をのぞき、すべて一木から彫出する。内刳はない。頭部は高髻を結い、天冠台を彫出する。鬢髪が一条耳上を渡る。耳朶の形状は耳先端部分を欠失するため不明である。彫眼像である。鼻孔の有無も摩耗の影響で不明である。服制は、立ち襟の甲を着していることが注目される。胸前を通る縦一条、横三条の文様で甲を表現する。甲の上に、左肩から斜めに衲衣を着す。袖部分は大きく垂れ下がり、甲の下に着している大袖を表している。さらに下半身には裙を着す。現状では右手に持物をとらない。左手は臂先から屈して水瓶をとるが、これは観音菩薩として改変された際の後補である。両足先には現状では沓を着けない。
 
 一木造で内刳がなく、構造的に古様を示している。朽損により摩耗しているが、両袖外側部分に残る翻波式衣文を用いた動的な表現が特徴的である。面相部は摩耗しているが、穏やかな容貌を示している。
 
 制作年代は、翻波式衣文による表現や内刳のない構造に古様を示すが、彫りが浅く、穏やかな面相なので、11世紀代と推測される。
 
 現状では観音像としてまつられているが、着甲像であることから、菩薩像ではなく当初は天部像として造像されたことが分かる。尊名は、高髻を結い、着甲してさらにその上から衣を纏う姿から、帝釈天か梵天が考えられる。梵天像は、唐招提寺像のように着甲して表現される場合もあるが、襠衣を着するものが多いことから、この天部立像は帝釈天の可能性が高い。
 
 大阪市内の平安彫刻としては古い時期のもので、平安時代の天部像についての類例としても興味深い作例といえる。
 
 この天部像はもともと浄円寺に伝来したものではない。『摂陽群談』や『摂津名所図会大成』に登場する、大坂観音めぐり16番の霊場「藤之棚の観音」(谷町6丁目付近)で親しまれていた和勝院の旧仏であった。和勝院は文久3年(1863)に焼失し、西区新町に移った。その後、箕面市の宝積院を経て近年大阪に戻ってきたものである。

参考文献

『大阪市内所在の真宗関係史料 淀川区所在史料について(3)』(大阪市教育委員会1997年)

 

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