木造十一面観音菩薩立像(心光寺) 1躯
2019年1月9日
ページ番号:8869
木造十一面観音菩薩立像
分野/部門
所有者
宗教法人 心光寺
所在地
大阪市天王寺区下寺町1
紹介
心光寺は寛永元年(1624)に西尚によって創建された浄土宗の寺院である。
本像は境内にあった観音堂に安置されており、大坂観音巡礼札所の本尊であった。
宝髻を結う。地髪部とともに現状では古色を呈する。天冠台は共木で彫出し、縁に列弁帯と紐一条をあらわす。頂上仏、化仏は欠失し、頭上面は五面が残る。
肉身部は紙貼りの下地の上に置かれた漆箔で覆われる。白毫相は水晶を嵌入する。彫眼像である。面相部は幅広で、下頬から顎にかけての肉付きは非常に豊かである。眼は細く扁平だが、これは漆箔の影響もあると思われる。眼は中央に寄っており、眼尻に向かってわずかに上がる。鼻筋は高く、小鼻の部分が大きく張り出している。鼻孔は彫出される。口唇は小さいが肉厚で、特に下唇は柔らかな肉質感を巧みに表現している。上下唇ともに朱で彩色される。耳には鬢髪が一条かかり、耳朶は不環である。頸は太い猪首で堂々とした量感があり、三道相をあらわす。
宝髻から地付きまで頭体を通して一木によって彫出される。内刳りはない。材は欅と思われる。木心は像の背面左側にこめる。両腕も根幹材から彫出し、両手首先のみが別材である。また頭上面、両足先、右手首にかかる天衣、持物は別材である。両腕を含めて体躯のほとんどを一木から造りだし、像全体をひとつの材から彫出しようという意図を感じさせる。あるいは神木のような特殊な材を用いた造像かもしれない。現状では肉身部に厚く紙貼りし、その上に漆箔を置くが、当初は彩色像であった可能性もある。
肉付きの豊かな張りのある面相部、幅広で奥行の深い頭部、猪首でやはり深い奥行の堂々とした短躯は、平安前期彫刻の特徴を示している。肉厚の小さな口唇、幅広の肩、量感のある胸、力強く張り出す腹部も同様で、定朝様が浸透する以前の一木造像の様相である。また、木心を像内にこめ、両腕まで根幹材から彫出し、内刳りを施さない構造も古様である。
他方で、表面の摩耗を考慮にいれても、衣文の彫り口が全体に穏やかなことは、定朝様の進展をうかがわせる新しい要素である。裙の折り返し部分や膝下には翻波式衣文が見られるが、平安前期彫刻と比べると、彫り口に強さがなくむしろ穏やかである。また、天衣や膝頭のあたりの裙の衣文は、さらに彫り口が浅く柔らかい印象で、いくぶん形式化を感じさせる。
このように、平安前期彫刻の特色を留めた形状や構造を示し、定朝様の進展をうかがわせることが本像の特色といえる。この過渡期的な性格を踏まえ、定朝様の影響や衣文のいくぶん形式化した部分を年代の下がる要素としてとらえると、制作年代は11世紀代と考えられる。
市内の平安彫刻の中でも注目すべき遺例である。