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大江橋 1基 淀屋橋 1基

2024年1月15日

ページ番号:8880

大江橋 淀屋橋

おおえばし よどやばし

分野/部門

有形文化財/建造物

所有者

大阪市

所在地

大江橋 大阪市北区西天満2丁目・北区中之島1丁目間
淀屋橋 大阪市北区中之島1丁目・中央区北浜3丁目間

紹介

大江橋 写真

大江橋

淀屋橋 写真

淀屋橋

 大正10年(1921)、大阪を近代都市に改造するため、第1次都市計画事業が決定された。この事業は、御堂筋をはじめとする39街路と157の橋梁を整備し、大阪の骨格をつくりあげようとするものであり、昭和16年(1941)までの歳月をかけたものであった。

 このうちの根幹をなす御堂筋の建設に伴い、土佐堀川と堂島川に架けられたのが淀屋橋と大江橋である。両橋は「水の都」「八百八橋」の大阪の橋のなかで、市民が最も魅力を感じる橋として親しまれている。

 両橋梁は中之島に立地する市庁舎を挟む位置にあるため、景観的にもまた機能的にも最重要の位置付けであった。デザインは特に重視され、大正13年 (1924)、橋としてはそれまでほとんど例のないデザインコンペが行われ、全国から意匠設計を募集した。コンペでは幅員、橋長などのほかに、主構造を鉄骨鉄筋コンクリートのアーチ橋とし、2橋とも同一のデザインとし、周辺の建築物や背景と調和し、2橋の間の道路部分のデザインも考えること、などの条件が示された。1等に当選した大谷龍雄案は、選評によれば「南欧中世紀の気分ある近代式を用い、その根底においては東洋趣味の横溢せる…(中略)…全体の形極めて端正剛健、その形状の比例最も洗練を経たり。その主要材料たるコンクリートを様式の上に表現せんとする作者苦心の跡、最も注意すべし」とある。この計画案に手が加えられ、実施計画が作成された。

 北側の堂島川にかかる大江橋の規模は、橋長81.5m、有効幅員36.5m、南側の土佐堀川にかかる淀屋橋は、橋長53.5m、有効幅員36.5mである。構造形式は、両橋ともに上路充腹式、鉄骨鉄筋コンクリート造で、大江橋が4径間アーチ橋、淀屋橋が3径間アーチ橋、共に手摺り付である。主桁構造は鋲結 I型鋼、床部構造は鉄筋コンクリートで、基礎は木杭基礎である。高欄の構造は花崗岩貼りで、格子は青銅鋳物であった。両橋とも昭和5年(1930)5月に着工し、同10年5月に完成した。

 竣工後の改修としては、高欄の格子が戦時中の金属供出により取り払われ、木製のものになっていたが、これは昭和62年(1987)に青銅製にもどされた。また船舶航行の際の床面保護の目的で、平成11年(1999)に大江橋、また翌年淀屋橋について、床版補強工事としてアーチ部下面に鋼板接着を行った。

 以上のように、大江橋、淀屋橋とも、当初の外観が変わるような改修は行われていない。また補修や防水塗装等の措置は良好にされ、既設面の洗浄もされており、外観は竣工時の様子を伝えている。なお、橋の名板は関一市長の筆になるものである。

 第1次都市計画における橋梁の整備では、橋の不燃化、耐震化が計られるだけでなく、橋を都市の美観要素としてとらえ、「水都大阪」の都市景観を強く意識した。また、両橋の間にある市庁舎との調和をはかるなど、周辺の景観デザインをも考慮に入れた先駆的なものとして注目される。

 平成20年国の重要文化財指定により、大阪市の指定については解除。

参考文献

『大江橋淀屋橋意匠設計図案集』(大阪市役所 大正13年)

『第1次大阪都市計画事業誌』(大阪市役所 昭和17年)

 

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