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船形山車「天神丸」 1基

2019年1月9日

ページ番号:8893

船形山車「天神丸」

ふながただし「てんじんまる」

分野/部門

有形民俗文化財

所有者

宗教法人大阪天満宮

所在地

大阪市北区天神橋2

紹介


 大阪の夏祭りを代表する天神祭の際に組立てられ飾られた、全長8mを越える巨大な船形の山車である。

 構造は、一本水押の総矢倉造で、土台で貫や束を支え、上部構造は台や垣立、柱、貫によって構成されている。土台には丸太材の車輪が前後に付いており、内部は空洞で船としての構造は持っていない。外観は船体が朱色、柱が黒漆塗で鋭角的な船首形状を持ち、船体は後方へ行くに従い膨らみを持つ。海御座船の形式を巧みに山車に利用している。上部は前後に2つの屋形と艫矢倉からなる総矢倉造で、各屋形に箱棟と鬼瓦を持つ。2階建ての前屋形は高欄と唐破風屋根を持ち、壁面や貫上部の板に彩色および金箔を押した彫刻が施されている。船の背面には、おもかじ側に「桐に鳳凰」、とりかじ側に「牡丹に鳳凰」、船体高欄には花鳥を題材にした金泥を施した透かし彫り彫刻がはめ込まれているなど、祭礼に曳き出される山車という観点から、豪華かつ流麗なものとなっている。
 「天神丸」は、大阪市中で独占的に荷物運搬船を持ち活躍していた上荷船・茶船仲間が所有していたものである。伝承によれば元禄期(1688~1704)から堀川浜の上荷船・茶船仲間に伝わったもので、天神祭や神事に飾り立てられ、祭礼に曳き出されていた。しかし、寛政4年(1792)の天満の大火で罹災し部材の大半が類焼した。その後焼け残った彫刻や部材を保管し、菅公950年祭に合わせた嘉永5年(1852)に天神丸の修復が始まった。この修復がいつ完成したかは判然としないが、明治11年(1878)の正遷宮には完成した「天神丸」が飾られている。また、菅公1000年祭である明治35年(1902)にも飾られている。

 その後、明治37年(1904)に堀川浜上荷船・茶船組合の長谷川喜兵衛によって大阪天満宮に奉納された。大正15年(1926)の正遷宮に組み立てられたのを最後に長年解体保存されてきたが、平成13年に大阪市立住まいのミュージアムの開館に合わせ修復が行われ、一般公開された。現在、当該資料は大阪市立住まいのミュージアム寄託となっている。

 天神祭には多くの山車が登場していたが、そのほとんどが消失している。都市祭礼に登場する山車が完全な形で残されたのは奇跡的である。幕末に大阪の人々によって「天神丸」が再建され、江戸時代の中期以来の歴史をもつ山車の実物として貴重な資料である。

参考文献

明珍健二・緒方裕子・谷直樹「天神祭の曳船-天神丸の沿革と復原に関する研究」(『住居環境学』48 大阪市立大学生活科学部紀要 2000年)

 

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