天神祭礼船渡御図屏風(伝長谷川光信筆) 6曲1隻
2019年1月9日
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天神祭礼船渡御図屏風(伝長谷川光信筆)
分野/部門
所有者
宗教法人 大阪天満宮
所在地
大阪市北区天神橋2
紹介
天満天神(大阪天満宮)の大祓、天神祭の船渡御のようすを描く。向かって右から左へ展開する図柄を、3段に貼り込んだ6曲1隻の屏風に仕立てられており、難波橋横の乗船場から堂島川・木津川を下って戎島(現西区)の御旅所に至る船渡御の風景が展開される。 上段には2基の神輿(鳳神輿は剥落か)を中心とする渡御の船列と乗船場のようすを描き、神主船や輿丁を乗せた船、神輿の前方には「綱引船」と記された御座船の姿がみえる。 中段には右端に船渡御列の先頭となる催太鼓の船と、堂島川にかかる大江橋と玉江橋周辺の伊予藩・筑後藩・肥後藩の蔵屋敷での船渡御を見物している風景が描かれる。蔵屋敷の船入橋などが克明に描かれ、見物する民衆が出した船には「ニハカ」と書いた行灯を吊るした船もあり、今日と同じく、祭と当世流行している芸能との関わりを示している。
下段では、船渡御の目的地である御旅所に、人々が御神燈の提灯を掲げて参詣する風景や、御旅所近くの川口御船手屋敷のようすが描写されている。 以上のように本図は3段の図柄で構成されているが、本来は絵巻あるいは画帖であったものを屏風に仕立てたものである。
この屏風を納めた木箱には「奉納神恩感謝古来天神祭船渡御之図 小屏風 正徳享保年間絵師柳翠軒長谷川光信正筆」と書かれた貼紙がある。作者と伝えられる長谷川光信は、宝暦年間(1751~64)に版本の挿絵などを手がけて活躍した浮世絵師である。本屏風の浮世絵的な作風からも、本図は浮世絵の流行した江戸時代中期の作品と考えられる。
本屏風は、昭和7年(1932)『府社天満宮神事要録』で一部紹介されたが、その後所在が不明となり、平成7年度(1995)の宝物調査で再発見された。
近世の天神祭を描いた屏風や絵巻などの絵画作品は稀少であり、本図のように船渡御を人物まで生き生きと表現した作品は他にない。また、寛政期(1789~1801)以後に『摂津名所図会』が刊行され、天神祭の船渡御全体を描いた刷り物がいくつか出されるが、それに先行する絵画作品としても極めて価値をもつ作品である。