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四天王寺文書 一括(30点)

2019年1月9日

ページ番号:8965

四天王寺文書

してんのうじもんじょ

分野/部門

有形文化財/歴史資料〔文書〕

所有者

宗教法人 四天王寺

所在地

大阪市天王寺区四天王寺1

紹介

四天王寺文書 写真

 四天王寺の文書史料については、数度の火災により焼失したり、流出してしまったものが多い。現在まで残ったものは限られているが、その中では「四天王寺縁起」の根本本や後醍醐天皇宸翰本は、既に国指定文化財となっている。その他にも、鎌倉時代から安土桃山時代にさかのぼる史料が伝来している。

四天王寺別当次第(1巻) 四天王寺の歴代別当の補任の次第を記したもので、13世紀後半に書写されたものである。

円然施入状(1幅) 元応元年(1319)に、僧円然が四天王寺六時堂の薬師講料として領地を寄進する旨を記した書状である。

後光厳天皇宣旨(1幅) 延文4年(1359)に、後伏見天皇の皇子である承胤親王を四天王寺の検校すなわち別当職に任じた文書である。

秋野坊文書(14巻) 四天王寺の寺務を代々務めた秋野坊に伝来した文書群である。正安3年(1301)の後宇多上皇院宣から、元和元年(1615)の木下利房書状まで、いずれも四天王寺に関係する内容の 14通の文書からなる。足利義教や義政の御教書や、豊臣秀吉が四天王寺再建のために発給した造営目録なども含まれている。

四天王寺文書(11巻) 秋野坊以外の各坊などに伝来した、やはり四天王寺に関連する11通の文書で、永禄6年(1563)の正親町天皇綸旨をはじめ、中世大阪の経済を語る上で重要な文書である織田信長の撰銭令や、三好義継や信長が四天王寺境内に対して発した禁制などが含まれている。

慶長六年四天王寺坊領并諸役人配分帳(1冊) 文禄3年(1594)から本格的に開始された四天王寺の再建を受けて、慶長6年(1601)に四天王寺領の寺内での配分を記したもので、片桐且元と小出秀政が連署し、四天王寺寺僧中宛に発したものである。

四天王寺法度(1巻) 元和元年(1615)に発せられたものである。大坂の陣で四天王寺は再び焼失するが、その再建にあたって、徳川家康が天海と寺中の一舎利雲順・二舎利通順・秋野坊猷順に命じた内容を記したものである。天海が別当に就任すること、秋野坊は妻帯を特別に許可することなど、7条を定めている。

 これらの文書は、いずれも中世の四天王寺や大阪の歴史を語る貴重な史料である。

参考文献

赤松俊秀「四天王寺の書跡・図版解説」(『秘宝四天王寺』講談社 1968年)
棚橋利光編『四天王寺古文書』第1巻・第2巻(清文堂 1996年)
『四天王寺秋野坊文書について』大阪市文化財総合調査報告書 22(大阪市教育委員会 2000年)

 

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