木造大日如来坐像(専念寺) 1躯
2024年1月15日
ページ番号:8975
木造大日如来坐像
分野/部門
所有者
宗教法人 専念寺
所在地
大阪市東淀川区小松3
紹介

木造十一面観音菩薩立像とともに三宝寺の旧仏といわれ、脇堂中央の黒漆塗春日厨子に安置される。智拳印を結ぶ通規の金剛界大日如来である。
頭体の根幹部を一材で彫成し、頭体を通して前後に割矧いだうえで、さらに体内を内刳る一木割矧造の彫眼像である。現状ではほとんど素地となっているが、ところどころに当初の漆箔が残っており、もとは漆箔像であったことがわかる。大腿部の左右付け根にはそれぞれ三角形の小材を矧付けている点に特徴がみられる。また、体部の前面材は肉を厚く残して内刳りを施すが、その他の部分は材を非常に薄くしている点も興味深い。
この木造大日如来坐像は、柔和な表情や静的な衣文の表現など、平安時代後期の定朝様の特色を示している。他方で、頭部が少し面長であること、目鼻立ちに抑揚がみられること、腰が細く絞られていること、膝前部分が大きく張り出すようにつくられていること、右足首にまとわる衣褶に写実的な要素がみられることなど、鎌倉時代の新しい息吹を感じさせる。
また構造的には、一木割矧造の技法を用いているが、両足の付け根を三角形の別材を用いて矧付けるという、より成熟した点が見られることから、同じ一木割矧造による専念寺の本尊の木造阿弥陀如来坐像よりも、制作年代は少し下がると思われる。さらに、体部前面材を除き、肉を薄く残して丁寧に内刳る点などを勘案すると、制作時期は藤原末期~鎌倉初期、すなわち12世紀代末頃と推定される。宝冠など後補部分も見られるが、全体に保存状態がよく、市内に残る12世紀代末の作例の中では代表的なものである。
この木造大日如来坐像を含めて専念寺に伝来する3躯の仏像は、いずれも銘記がなく、その伝来の過程の詳細についてはわからないが、平安時代以降、京と大阪を結ぶ交通の要所として開発が進んでいたこの地域にあった古寺に伝来していた仏像であり、大阪の歴史を考えるうえで重要な史料である。
用語解説
大日如来(だいにちにょらい) 梵名を音写し摩訶毘盧遮那仏とよばれ、密教の中心本尊とされる
参考文献
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