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木造阿弥陀如来坐像(専念寺) 1躯

2019年1月9日

ページ番号:8979

木造阿弥陀如来坐像

もくぞうあみだにょらいざぞう

分野/部門

有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕

所有者

宗教法人 専念寺

所在地

大阪市東淀川区小松3

紹介

木造阿弥陀如来坐像 写真

 専念寺が位置する東淀川区の東部は、淀川の流域にあたる交通の要所であり、『源氏物語』にも江口の地名が登場するなど、平安時代以降早くから開けていたと考えられている。この地には、典薬寮の支配下にあった味原牧、もしくは乳牛牧と呼ばれる荘園が置かれ、乳製品を朝廷に納めていた。聖徳太子が建立したといわれる三宝寺や、いくつかの大寺院があったことが知られている。

 『大阪府全志』や『西成郡史』によれば、専念寺は、北区同心の天満東寺町に所在する、同名の浄土宗寺院である専念寺の三世諦誉雲溪が、寛永20年(1643)に隠居所として建立したのが端緒という。 専念寺には3躯の古仏が伝来している。このうち本尊の木造阿弥陀如来坐像は、低い肉髻に小粒の螺髪、両頬に張りがある小作りで柔和な面相に特色がある。また、肩幅を広くとった丸みのあるなだらかな両肩、奥行きの浅い上半身、ほとんど目立つことのない静謐な衣褶も特徴的である。

 これらの特色は、宇治市平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像に代表される定朝様と呼ばれるもので、藤原時代の終わりまでその模倣が流行した。専念寺像は、あまり類型化・形式化がみられない比較的早い時期の定朝様を示している。

 構造的には、古い技法を残した一木割矧造によってつくられている。普通は別材でつくる左体側部や両足付け根の部分を本体から彫出している。さらに、頭部と体部は一度に割るのが普通だが、専念寺像では体部の矧目を後ろにずらし、体部背面材を一木造の「背板」風にしている。これらの特徴は、一木造の特徴を色濃く残したものといえる。また、少し張り出した肩とややこじんまりとした両膝は、定朝様を十分に消化しきれていない結果と考えることができる。

 以上のことを勘案すると、本像の制作時期は11世紀代後半に遡る可能性が高い。大阪市内に定朝様の仏像はいくつか確認されているが、本像のように11世紀代に遡る可能性のある像は少なく、その点でも貴重な仏像である。

用語解説

一本割矧造(いちぼくわりはぎづくり) 木彫像の造像法の一つで、一本造と寄木造の中間的な技法。主要部を一材から刻み出す一本造の工程の途中で、材の目にそって一旦二つに割り、内側を刳り抜き、再びはぎあわせる

参考文献

『専念寺の仏像について』大阪市文化財総合調査報告書21(大阪市教育委員会 2000年)

 

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