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井原西鶴墓

2019年1月9日

ページ番号:9004

井原西鶴墓

いはらさいかくはか

分野/部門

記念物/史跡

所有者

宗教法人 誓願寺

所在地

大阪市中央区上本町西4

紹介

井原西鶴墓写真

 井原西鶴は本名を平山藤五といい、寛永19年(1642)に大阪に生まれた17世紀代で最も重要な文学者の一人であり、西山宗因に師事した俳諧師である。一方で、『好色一代男』をはじめとするたくさんの浮世草子を著した。これらの作品の多くは、日本文学史の中で高い位置づけを与えられているだけでなく、現在も舞台・映画などさまざまな芸術活動の題材となり、人々に感動を与え続けている。

 西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。

 墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている。

 江戸時代の大阪を代表する文学者の墓として、大阪市顕彰史跡となっている。

用語解説

浮世草子(うきよぞうし) 江戸時代の小説。西鶴は遊里や金銭を主な題材として町人生活をリアルに描き、娯楽性のある浮世草子を確立した

参考文献

石田誠太郎『大阪人物誌』(石田文庫 1927年)
『大阪訪碑録』(浪速叢書10 1929年)

 

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