井原西鶴墓
2024年1月15日
ページ番号:9004
井原西鶴墓
分野/部門
所有者
宗教法人 誓願寺
所在地
大阪市中央区上本町西4
紹介

井原西鶴は本名を平山藤五といい、寛永19年(1642)に大阪に生まれた17世紀代で最も重要な文学者の一人であり、西山宗因に師事した俳諧師である。一方で、『好色一代男』をはじめとするたくさんの浮世草子を著した。これらの作品の多くは、日本文学史の中で高い位置づけを与えられているだけでなく、現在も舞台・映画などさまざまな芸術活動の題材となり、人々に感動を与え続けている。
西鶴は元禄6年(1693)に亡くなったが、その墓は長い間不明であった。明治20年を前後するころ誓願寺境内で発見され再興されたという。発見者についてはいくつか説があり、幸田露伴であるとも、朝日新聞記者の木崎好尚であるともいう。
墓石は位牌型の砂岩製のもので、「仙皓西鶴 元禄六癸酉年 八月十日 下山鶴平 北條団水 建」と刻まれている。この墓碑を建立した下山鶴平については、西鶴の版元ではないかといわれている。北條団水は京都生まれの文人で、橘堂、滑稽堂と号した。西鶴を慕って来阪し、西鶴の死後7年の間、鑓屋町の庵を守ったことで知られている。
江戸時代の大阪を代表する文学者の墓として、大阪市顕彰史跡となっている。
用語解説
浮世草子(うきよぞうし) 江戸時代の小説。西鶴は遊里や金銭を主な題材として町人生活をリアルに描き、娯楽性のある浮世草子を確立した
参考文献
探している情報が見つからない
