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妙光寺文書 3通

2019年1月9日

ページ番号:9016

妙光寺文書

みょうこうじもんじょ

分野/部門

有形文化財/歴史資料〔文書〕

所有者

宗教法人 妙光寺

所在地

大阪市中央区谷町8

紹介

妙光寺文書写真

 妙光寺は、旧大坂三郷の周囲に広がる寺町の1つで、谷町筋に面した谷町8丁目に所在する日蓮宗の寺院である。寺伝によれば、妙光寺はもともと播磨国三木庄、現在の兵庫県三木市にあり、天正13 年(1585)に大坂に移転したという。

 大坂の寺町の造成は豊臣秀吉によるもので、その形成時期は天正年間(1573~92)に遡ると考えられている。その後、大坂城の惣構や三ノ丸の築造などに伴い寺町の領域は拡張され、大坂の陣後ふたたび整備されて現在の町並みとなった。寺町の形成は、大坂の町の成り立ちを考える上で重要な要素であるが、寺町の形成時期を示す同時代の史料については乏しく、不明な点も多い。

 その中で、妙光寺に伝来する秀吉の3通の書状は、いずれも秀吉から妙光寺に宛てて発給されたもので、寺町の寺院と秀吉との具体的な関係を示す重要な史料である。3通はそれぞれ天正8年(1580)、天正13年(1585)、文禄3年(1594)のもので、文禄3年のものは朱印状である。これらの3通の書状は別の文書とともに1巻となっている。

 3通の文書には妙光寺の所領安堵に関する内容が記される。天正8年の書状では、加東郡(現在の兵庫県の加古川流域一帯)の200石の所領を安堵し、天正13年の書状では、摂津国河(川)辺郡岩屋村(現在の兵庫県伊丹市岩屋付近)の180石と屋すば(安場)村(宝塚市安場付近)の20石、あわせて200石を安堵している。文禄3年の書状は、岩屋村の所領200石を安堵する内容である。このうち天正13年の書状に記される所領の変更は、寺伝による妙光寺の大坂への移転の時期と符号し、移転に伴う寺領の所在の変更をうかがわせる点で興味深い。

 大坂の寺町寺院に秀吉から発給された文書が宛所に伝来していることは極めて珍しく、現在のところこの妙光寺の事例しか知られていない。大坂の寺町の形成や、都市としての大坂を考察するうえでも非常に貴重な史料である。

用語解説

朱印状(しゅいんじょう) 従来の花押に代わりに朱印を押した武家文書

参考文献

『大阪市内所在の文書と典籍 妙光寺文書について』(大阪市文化財総合調査報告書2 1997年)
三鬼清一郎『豊臣秀吉文書目録』(名古屋大学文学部 1989年)
『兵庫県史』史料編 中世9・古代補遺(兵庫県 1997年)
内田九州男「城下町大坂」(『日本名城集成 大阪城』小学館 1985年)
鈴木慎一「妙光寺伝来の豊臣秀吉書状について」(『大阪の歴史と文化財』3 1999年)

 

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