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木造地蔵菩薩立像(地蔵寺) 1躯

2019年1月9日

ページ番号:9018

木造地蔵菩薩立像

もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう

分野/部門

有形文化財/美術工芸品〔彫刻〕

所有者

宗教法人 地蔵寺

所在地

大阪市住吉区墨江1

紹介

 法量  像高 109cm

木造地蔵菩薩立像(地蔵寺)写真

 地蔵寺は承応3年(1654)に僧承圓が建立したという天台宗の寺院である。もとは少し離れた殿辻の字松本にあったが、明治18年(1885)に現在地に移転したという。この地蔵寺の本尊が木造地蔵菩薩立像である。その姿は、頭を丸め、衲衣、裙をまとう僧形で、右手に錫杖を持ち、左手には福徳をあらわす宝珠を捧げ持って、蓮台上に直立する。内刳りのない一木造の彫眼像である。頭部・体部ともに奥行が深く、下半身の量感豊かな表現が目を引く。また上半身、特に右肩から手首にかけての複雑な衣の重なりが織り成す装飾的な表現は特徴的である。両手首先、両足先が後補の部材に変わっているが、制作当初の様子をよく伝えている。

 日本では錫杖を持つ地蔵菩薩像が11世紀頃から多くなるが、もとは何も持たずに右手を下げる形であった。本像の右手首先と錫杖は後のもので、右腕の形状から、当初は何も持たずに右手を垂下していた古式の地蔵と思われる。また、量感豊かな一木造で、顔の表現が穏和であり、衣文に手慣れた彫技が見られるので、10世紀末から11世紀前半に制作されたと考えられる。平安時代の地蔵菩薩立像の優品である。

 本像の伝来の由来は不明であるが、台座の銘から、安政6年(1859)には、地蔵寺の本尊となっていたことがわかる。当時、地蔵寺は浄土宗に属し、子安寺と号していた。地蔵寺の周辺には、住吉神宮寺を初め、津守寺、慈恩寺、天野谷寺などの現在は廃絶してしまった密教寺院があった。したがってこの地蔵菩薩像は、近辺に所在したいずれかの密教寺院の旧蔵品であった可能性もある。

用語解説

衲衣(のうえ) 如来がまとう衣

裙(くん) 僧侶がつける、黒色でひだの多い下半身用の衣服

内刳り(うちぐり) 木の干割れを防ぐため、また重量の軽減化のため、像底や背面から内部を刳ること。一木造りの仏像などでは像底や背面から刳ることが多いが、寄木造りの技法が完成した以後は像内全面に施されることが多い

参考文献

『大阪市内所在の仏像・仏画 地蔵寺地蔵菩薩立像について』(大阪市文化財総合調査報告書2 1997年)

 

⇒「大阪市指定文化財(平成11年度)」にもどる

 

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