豊臣期金箔押沢瀉文方形飾瓦 1点
2019年1月9日
ページ番号:301426
豊臣期金箔押沢瀉文方形飾瓦
とよとみききんぱくおしおもだかもんほうけいかざりがわら
分野/部門
所有者
大阪市(教育委員会事務局)
出土地
紹介

方形板状の瓦の表面に沢瀉文(おもだかもん)を表した金箔押飾瓦である。昭和62~63年(1987~88)に、現在、大阪歴史博物館・NHK大阪放送会館のある敷地で行われた発掘調査で出土した。縦・横とも28.5㎝で、周縁のない形状である。3箇所の隅を欠いて金箔はほとんど剥落しているが、沢瀉文の下地に塗られた朱漆の色彩は鮮やかである。現状では3箇所に釘孔が認められ、本来は4箇所にあったと復元できる。
沢瀉文の飾瓦・鬼瓦は、上記敷地内でも特に南北約240m、東西約120mの広さをもち、上町筋に面した大名屋敷と考えられる区画から集中して出土した。同文は豊臣秀次の馬標(うまじるし)に見られ、木下氏や秀吉の従兄弟とされる福島正則などが家紋として用いたことや、この大名屋敷が豊臣氏大坂城期前半に存在した後、大規模な改変を受けているという調査結果から、この屋敷の主を秀次と結び付ける見解がある。
用語解説
沢瀉文(おもだかもん) 「沢瀉(おもだか)」は多年生水草で、その葉や花を図案とした文様
豊臣秀次(とよとみひでつぐ) 豊臣秀吉の甥で、秀吉の養子となり、ついで関白となった。秀頼誕生後は秀吉との関係が悪化し、文禄4年(1595)に高野山へ追放された後に切腹
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