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藤田美術館多宝塔(旧光臺院多宝塔) 1棟

2022年9月21日

ページ番号:571248

藤田美術館多宝塔(旧光臺院多宝塔)

ふじたびじゅつかんたほうとう(きゅうこうだいいんたほうとう)

分野/部門

有形文化財/建造物

所有者

公益財団法人 藤田美術館(ふじたびじゅつかん)

所在地

大阪市都島区網島町

紹介


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藤田美術館多宝塔(旧光臺院多宝塔)

 明治期の大阪経済の基礎を築いた実業家であり数寄者としても知られる藤田伝三郎(ふじたでんざぶろう、1841~1912)は、都島区網島に住居を構え、庭園を築いた。伝三郎の没後は長男の平太郎(へいたろう、1869~1940)が、3分割された敷地のうち中央の敷地に居住し、整備を完成した。この時、高野山光臺院(こうやさんこうだいいん)にあった多宝塔を庭園の築山(つきやま)に移築した。多宝塔は下層3間(けん)四方で周囲に縁をめぐらせ、上層は円形平面で漆喰塗(しっくいぬり)の亀腹(かめばら)を設け、宝形型(ほうぎょうがた)の屋根を載せている。相輪(そうりん)を含めた総高10.2mの小規模なものである。蟇股(かえるまた)、木鼻(きばな)などの細部意匠は、17世紀後半の時期の特徴を有す。光臺院の寺誌によると、この多宝塔は延宝7年(1679)から元禄4年(1691)の間の創建と記され、建築様式の特徴と合致する。下層内部は天井の彩色などが良く残り、保存状態も良好である。大阪府内には近世の多宝塔は3棟のみと少ない。創建年代も推測できることから、資料的にも貴重である。旧藤田邸庭園(大阪市指定名勝)に景物として移築されたという経緯も明確であり、記念物的価値も認められる。

用語解説

多宝塔(たほうとう) 平面の形が上部は円形、下部は方形の二重の塔。

高野山光臺院(こうやさんこうだいいん) 和歌山県高野町の真言宗寺院。快慶(かいけい)作の阿弥陀如来像や重森三玲(しげもりみれい、1896~1975)の庭園などで知られる。

築山(つきやま) 庭園の中に人工的に作られた山。石や土砂を盛り上げて作る。

亀腹(かめばら) 建物の基礎部分や多宝塔の上下両層の間などを白漆喰で固めて饅頭型につくったもの。

宝形型(ほうぎょうがた) 屋根の形式の一種。隅棟(すみむね)が屋根の中央に集まる屋根。

相輪(そうりん) 仏塔の屋根の最上部に取り付けられる金属製の部分の総称。

蟇股(かえるまた) 社寺建築で梁や桁の上に置かれ、上方の荷重を受ける輪郭が山形をした部材。かえるが足を広げた形に似ているため、このように呼ばれた。

木鼻(きばな) 柱の上部で頭貫などの水平材の端が柱の反対側に飛び出した部分。装飾性が強く、象や獅子などの形を模したものもある。

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