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大阪の近代橋梁遺産 心斎橋石橋部材 装飾柱4基

2022年9月21日

ページ番号:571264

大阪の近代橋梁遺産 心斎橋石橋部材

おおさかのきんだいきょうりょういさん しんさいばしいしばしぶざい

分野/部門

有形文化財/歴史資料

所有者

大阪市(教育委員会事務局)

所在地

大阪市北区中之島1

紹介


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大阪の近代橋梁遺産 心斎橋石橋部材

 心斎橋石橋は、長堀川(ながほりがわ)北岸に市電敷設の計画が生じ、沿道の橋を堅固にする必要から、明治42年(1909)に鉄橋に代わって架けられた。設計は大阪府土木部、意匠設計は建築家・野口孫市(のぐちまごいち)が行った。大阪における最初の純西洋式の石橋で、野口のデザインによるゴシック風の高欄(こうらん)、バルコニーを支える装飾柱が美観を添え、市民から眼鏡橋と呼ばれて親しまれた。長堀川が埋立てられることになり、昭和37年に撤去され、昭和39年に心斎橋歩道橋が新造された。現在、歩道橋は撤去されているが、橋脚の装飾柱4基すべてが移設され残存していたことが、令和2年に判明した。これは大阪における近代橋梁の記念碑的な歴史資料として貴重である。

用語解説

長堀川(ながほりがわ) 江戸時代の初めに開削された大坂市中の人工運河のひとつで、現在の長堀通の位置にあった。

野口孫市(のぐちまごいち) 1869~1915。明治時代~大正時代の建築家。代表作は大阪府立中之島図書館、滋賀県大津市の旧伊庭家住宅(住友活機園)(きゅういばけじゅうたく(すみともかっきえん))など。

高欄(こうらん) 橋・廊下などの両側につけた欄干。

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このページの作成者・問合せ先

大阪市 教育委員会事務局総務部文化財保護課

住所:〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号(大阪市役所3階)

電話:06-6208-9166

ファックス:06-6201-5759

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