【第110 号】「考古学っておもしろい!」 大阪歴史博物館 学芸員 松本 百合子
2022年10月30日
ページ番号:594317
考古学と聞いて、なにを想像しますか。ハケで地面をはきながら宝物を掘り当てる冒険家でしょうか。現実の考古学者が命がけで大冒険することはありませんが、過去へ冒険するために、炎天下の真夏も粉雪舞う真冬も、ヘルメットと長靴姿で発掘現場に立ち続けます。こんなにわたしたちを夢中にさせる考古学って、なんだろう。
考古学は昔の人が遺したモノで過去を明らかにする学問です。歴史の研究には、文字で書かれた資料を読むことも大切ですが、私たちの日記のように、すべての出来事は記録できないし、都合の悪いことは省いたり。そもそも書かれた内容が正しいとは限りません。そこで、文字の無い時代や、記録があってもそれが真実かどうか、違った角度で確かめるために考古学が必要なのです。
そんな考古学は、明治時代に西欧の学者が日本に伝えました。大きな画期は、1972年、奈良県明日香村で発掘された高松塚古墳の調査です。石室に描かれた1300年前の色鮮やかな飛鳥美人は、日本中に考古学ブームという社会現象を巻き起こしました。高松塚古墳の大発見は、それまで地味な学問の代表であった考古学に光をあてたのです。
考古学の学び方
考古学が研究する遺跡・遺構・遺物を考古資料といいます。「遺物」は土器や石器など持ち運べるもの。「遺構」は住居跡や古墳など大地から切り離せないもの。「遺跡」は遺物や遺構がまとまって見つかる場所です。これら遺跡・遺構・遺物を調べるための手段が発掘調査です。小さな土器のかけらも発掘調査で見つかれば重要な考古資料になり、どんなに高価な小判でも、骨董店に並んでいるものは考古資料ではありません。考古学の醍醐味は、ぼろぼろの土器から形や文様を復元し、発掘調査で時代の変化を科学的に証明することなのです。
ところで、みなさんはすでに考古学を知っています。たとえば携帯電話。1970年大阪万博の試作機に始まり、1985年に肩にかける重さ3キロの箱形電話、1987年には箱が取れて受話器形になり、1990年代は棒形、それから二つ折りの時代を経て、現在の薄い板になります。わずか50年でずいぶん形や機能が変わりますね。これは人間が常に利便性を求め、改良を加えるから。うつわや道具も同じです。素焼きの土器がやがて高温で焼いた丈夫な陶器や磁器になり、石や粘土に刻んだ文字は今ではキーボードで機械の中に打ち込みます。わたしたちは日常的にモノ(遺物)の変化を体験し、モノの形が時代を表すことを知っているのです。
遺跡はどうやって見つけるの?
エジプトのピラミッドや日本の仁徳天皇陵古墳など、地上に見える遺跡はわかりやすいですね。それでは地下の遺跡はどのようにして見つけるのでしょう。現在、日本には465,000箇所の遺跡があります。これらは記録や伝承によって昔から知られているものもありますが、遺物の分布調査で発見されることもあります。土器や石器などの遺物は本来地下に埋まっていますが、耕作や土地の造成で地表に出てくることがあります。地表に遺物が散らばっていればその下に遺跡がある可能性が高く、新たな遺跡として認定されます。みなさんのお住いの地域でも、地面を探せば遺物が顔を出しているかもしれません。
遺跡はどうして埋まっているの?
遺跡が地下に埋まる理由は大きく二つあります。
一つは自然の力。洪水や火山の噴火など、大災害が起こると山から土砂が流れ込み、地上のすべてを覆いつくします。大阪市の南部は大和川が運んできた土砂で何度も埋まり、平野区の長原遺跡では地下2~3メートルから弥生時代の住居跡が見つかることもあります。
二つ目は人間の力です。新しいまちや田畑を造るとき、他所から土を運んできて大規模に整地します。中央区の大坂城跡や大坂城下町跡では、土地を平らにするために厚さ1メートルも土が盛られ、重機の無い時代の人間の力に驚かされます。このようにさまざまな理由で遺跡は埋まり、古いものほど地下深く埋もれていきます。
遺跡はどうやって調査するの?
遺跡を覆う土砂を地層と言い、発掘は地層を上から剥いでいくことから始まります。まず溝を深く掘って断面で地層の重なりを観察し、地層ごとに掘り広げながら遺構や遺物を探します。遺構は五感を駆使して土の色や硬さの違いを見分けながら掘り出します。
柱穴がひとつ見つかると仲間の柱穴を探し、建物全体の規模を確認します。集落跡なら周りに別の建物や井戸・ごみ穴・溝などがあって、古墳なら埋葬のための墓穴や墳丘の盛土、墳丘をめぐる周溝を探します。同時にどの遺構からどんな遺物が見つかったか、注意深く記録します。あらゆる生活の痕跡を理解するためには、文献史学や地質学はもちろん、建築学、金属学、植物学、昆虫学、医学などさまざまな専門分野と連携が必要で、研究領域は広がるばかりです。
遺跡は一度掘ってしまうと元に戻りません。乱暴に言うと、発掘調査は遺跡の破壊と同じです。なくなってしまう遺跡を正しく後世に残すために、考古学者はその土地の成り立ちを調べ、予測をたて、地層を掘り下げる。一つひとつの事実を積み上げて、遺跡全体の姿、そして歴史を解き明かしてゆくのです。
考古学とわたしたち
発掘調査には一夜にして教科書を塗り替えるパワーがあり、だれもが歴史の新発見に心を動かされます。けれども考古学の目的はそれだけではありません。わたしたちは過去の延長上に生きていて、その先は未来につながっています。過去は未来のリハーサル。よりよい未来へのヒントを学ぶために考古学は必要なのです。
大阪市には難波宮跡や大坂城跡を始め、歴史の舞台となった遺跡がたくさんあります。大阪歴史博物館では豊富な考古資料を展示し、体験コーナー「なにわ考古研究所」に実物大の発掘現場を再現し、「考古学体験教室」では本物の遺物を使って考古学を学べます。考古学ってなんだろう、そう思ったら博物館にお越しください。
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