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弘済院附属病院の沿革

2019年10月10日

ページ番号:6715

 ここでは、弘済院附属病院の沿革について、ご紹介します。

大阪慈恵病院の創設


大阪市立弘済院附属病院の前身は大阪慈恵病院です。

大阪慈恵病院は、明治21年2月、当時大阪市内に経済的な理由から病院にかかれない人達のための施設がないのを憂えた医学界の先覚者、緒方惟準、緒方拙斉、高橋正純、高橋正直、山田俊郷など、有志の人びとにより設立され、まず同年6月、東区唐物町(現大阪市中央区南本町)1丁目円光寺内に仮病院を開設、ついで11月に東区北久太郎町(現大阪市中央区久太郎町)の元浪華小学校跡を購入、これを改築して12月に開院しました。

さらに、明治27年1月、東区(現大阪市中央区)粉川町に転じ、建物設備を整備し、漸次事業を拡張、明治時代における最大の経済的理由から病院にかかれなかった人達の治療機関として業績をあげました。

また、大正13年には現大阪市立生野工業高校の敷地に移転し、昭和19年、大阪市に移管されましたが、昭和20年の戦災で焼失しました。現在、大阪市立生野工業高校の玄関には大阪慈恵病院跡の石碑が建立されています。

財団法人弘済会の設立


明治42年7月、1万戸余りを焼失させた「北区大火」の後、大阪府知事、大阪市長、朝日新聞社長、毎日新聞社長の4名を発起人として、明治44年8月財団法人弘済会が設立されました。

弘済会の発足により、大阪慈恵病院は弘済会と合体することになり、大正2年5月その名称を弘済会救療部大阪慈恵病院と改め、その後、昭和9年、弘済会山田事業所開設と同時に事業の主体を同事業所に置くことになりました。

 

大阪市立弘済院の誕生


昭和19年4月、国及び地方公共団体を主体とする社会事業体制の確立を理由に、弘済会のすべての事業を大阪市が継承し、大阪市立弘済院が誕生しました。

 

戦後~現在へ


現在の附属病院は、弘済院再建整備計画の一環として、昭和43年に建設(昭和46年増設)されたものです。

入院患者は、終戦後まもなくは大阪市内の戦災負傷者および住む家をなくした病弱者が大多数を占めていました。その後、第1特別養護老人ホームや養護老人ホームの増設が行われ、また社会のニーズにあわせ第2特別養護老人ホームの建設も行われました。

そして現在は、大阪市を中心とする高齢者医療の基幹的な専門病院としての将来を目指しています。

 

弘済院附属病院年表
明治21年2月有志により大阪慈恵病院設立
6月東区唐物町(現中央区南本町)円光寺内に仮病院開設
12月東区北久太郎町(現中央区久太郎町)
元浪華小学校跡改築開院
27年1月東区(現中央区)粉川町に転所
44年8月財団法人弘済会設立
大正2年5月弘済会と合体・弘済会救療部大阪慈恵病院と改名
昭和9年弘済会山田事業所開設
19年4月弘済会事業を大阪市が継承、大阪市立弘済院として発足
21年10月生活保護法による医療保護施設指定
32年7月保険医療機関指定
41年8月基準給食・基準寝具実施
43年弘済院再建整備計画の一環として建物建設
46年建物増設
47年6月病床数 138床→200床
49年3月運動療法施設承認(現 理学療法II)
58年4月特例許可老人病院指定
63年6月基準看護(基本看護)実施(特例許可老人病院指定取消)
平成元年2月基準看護(特I類)実施
3月労災保険指定
12年1月病床数 200床→172床
20年4月病床数 172床→90床

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福祉局 弘済院 附属病院  
電話: 06-6871-8013 ファックス: 06-4863-5351
住所: 〒565-0874 大阪府吹田市古江台6丁目2番1号

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