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大阪市立弘済院の沿革

2024年4月17日

ページ番号:507383

弘済院の沿革

 「弘済院」は、その前身を「財団法人弘済会(※)」といい、明治42年に大阪市北区で発生した大火の際の御下賜金と市民等からの義捐金の残額を基金として、大阪府知事、大阪市長及び大阪朝日(現在の朝日新聞)・大阪毎日(現在の毎日新聞)の両新聞社社長が発起人となり、大正元年8月に設立されました。

 弘済会は、大阪慈恵病院やその他の事業を継承して、現在の大阪市生野区生野東を中心に、市内各所で授産、養老、育児、病院などの事業を総合的に進めてきました。その後、要救護者の激増などにより施設を拡充する必要が生じたため、昭和9年に大阪府三島郡山田村(現在の吹田市古江台)に山田事業所を設置し、在来の事業所とともに大阪市の救済事業に重要な役割を果たしてきました。

 昭和19年4月に大阪市が「財団法人大阪市弘済会」(昭和16年に改称)からこれらの事業を引き継ぎ、「大阪市立弘済院」として運営を開始しました。戦後、生活保護法や老人福祉法などの施行や時代の要請により、逐次整備を進めてきましたが、千里ニュータウンの開発(昭和36年着工)と大阪万国博覧会の開催(昭和45年)を契機に、施設周辺が画期的な変貌を遂げ、本院もこれと並行して建物の改築整備などによる近代化を図ってきました。

 さらに、近年のわが国の急激な高齢化社会の到来に伴い、平成2年に認知症専用棟として第2特別養護老人ホームを開設し、また、平成17年4月に第1特別養護老人ホームの建替えを行い、増大する認知症高齢者をはじめとする高齢者の福祉・医療の市民ニーズに応えるべく施設の充実に努めてきました。

 ※「弘済会」の名称は、明治44年2月御下賜の勅語の中の”施薬施療以て生の道をめんとす”の御句から、「弘済」の2字を戴いたものです。

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住所: 〒565-0874 大阪府吹田市古江台6丁目2番1号
電話: 06-6871-8002 ファックス: 06-6872-0549

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