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最優秀賞「みんなに愛された蟹が大好きなおばあちゃん」

2023年4月1日

ページ番号:516575

受賞者

古賀 琉風 様

概要

 私は高校を卒業して、特別養護老人ホームに就職しました。そこで、几帳面で凄く厳しい蟹が大好きなA様と出会います。A様の状態が悪くなり、ご家族から「かに道楽に連れていきたい」と言われて外出の計画をしますが、A様の状態は変わらず、かに道楽へは行けませんでした。数日後、私が夜勤を担当しているときに、A様は息を引き取られました。
 この作品は、その時のA様の様子やご家族・職員の気持ちなどを書いたものです。

エピソードを通じて伝えたい「福祉・介護の仕事」の魅力

 多忙な中「ありがとう」と言われることも一つの魅力ですが、死に直面する仕事なので、いつ何が起こるかわからないと考え、時間を大切にして、一人一人と関わっていかなければならないと思います。

本文

 高校卒業し特別養護老人ホームへ就職し、初めてエンゼルケアを携わらせて頂いたA様の事が今でも昨日のように思い出されます。
 A様は几帳面な方で、歯磨きの手順やパジャマの置く位置・物の配置等にはこだわりがあり、凄く厳しい方でした。手順を間違えると、大きな声で叫ばれます。A様は、過去に脳梗塞の後遺症で右片麻痺と失語症があり、発語は出来ませんが、自分の意思・気持ちは伝えて下さいます。頷いたり、首を左右に動かしたり、大きな声を出して伝えてくれます。歯磨きが終わると毎日ヘアブラシで髪の毛を整えられます。ある日、歯磨きが終わりベッドの方向へ向かうと大声で「あー!」と、私は何故だろうと混乱してしまい、本人様のいつもの流れを考え、髪の毛を整えていなかった為叫ばれたのだと気づきました。「忘れてしまいすみません」と伝えると笑って肩をポンポンと叩いてくれました。優しい一面もあるA様です。
 新人が支援に入ると、つぶさに動作を確認し、一つでも流れが違うと指摘をされます。新人にとっては登竜門で、私も支援内容を覚えるのに必死になった記憶があります。
 そんなA様ですが、特にお気にいりの職員がいてました。B職員です。
 B職員が出勤すると合図され、ニコニコとご機嫌。食事のお誘いも気分が乗らない際はお部屋から出て来られませんが、B職員がお誘いするとニコニコしながら起きて来られました。A様にとって信頼している職員は私が見る限り2人だけ。残念ながら当てはまっていませんでした。
 信頼されている先輩に、A様に対しての支援方法を聞き、A様本人に認めて頂けるように努力しましたが、先輩の気遣いや言葉遣い、支援に対する思いには届きませんでした。経験の差を実感し、悔しかったのは今でも覚えています。
 人は苦手な人がいて当たり前ですが、A様の事を苦手と言っている人は聞いたことがありません。ハイタッチ等もして下さり話しかけると笑顔も多く見られました。他の男性ご入居者様も「ここは、女ばっかりや。唯一の仲の良い人はAさんじゃー」と仰っておられ、毎日起きると挨拶をされていました。
 そんなA様には、毎週二回はご面会に来てくださる娘様がお二方おられます。
 おしゃれなA様は着ている衣服にもこだわりがあり、冬はセーターを好まれます。乾燥すると縮んでしまうため、施設では洗濯出来ず、必ず娘様が持って帰って洗濯してくださいます。正月にはご自宅へ日帰りし、孫様はお会いする度に大きくなり、「もう小学生ですか?」と尋ねると嬉しそうに返答されます。A様のお部屋には家族様とバラ園やかに道楽に行った写真・施設で行ったイベントの時に撮った写真がどんどん増えて行きます。
 そんな毎日をお過ごしでしたA様ですが、腎機能の低下が増悪し、状態は悪化していきました。大声も出される事無く寝たきり状態でご飯も水分も取れない日が続きました。御家族様も毎日来られこちらも毎日A様の容態をお話し、A様のお好きな食べ物や、好まれそうな飲み物なども話し合い、水よりもお茶、お茶よりもミルクティー、他のジュースを試しても、やっぱりミルクティー・・。少しでも口に入れて頂こうと二人三脚で支援をしていました。
 体重も見る見るうちに減少し、尿毒症に罹っていてもおかしくないと医師から言われてからは、顔にぽつぽつとした発赤も現れてきました。それでもA様はいつもの流れを崩しません。寝ている事が多くなりましたが、パジャマの場所や靴やティッシュはここだと示されます。お風呂がお好きで、機械のお風呂よりも、一人で入れる個室浴槽を選ばれます。トイレも、おむつ内ではなく、立位を取り、あまり出ない排尿をされていました。
 家族様は「カニが好きだからかに道楽へ連れていきたいです」と、「少しでも食べてもらいたいんです」と言われ、外出の企画もしましたが、A様の状態回復は見込まれず、結局いけない事になりました。「仕方ないですね」と家族様も言われていましたが、残念でなりませんでした。
 その日、私は夜勤者でした。色々な職員や他職種にもしかしたら今日かもしれないと申し送りで聞き、私は不安と緊張がありましたが、A様を苦しませず、寂しい思いをさせないでと、覚悟して夜勤業務に入りました。状態を聞いた御家族様も施設に泊まって下さり安心しました。「Cちゃん一緒に頑張ろうね」と固く握手。毎時間、バイタル測定し体温も33度、酸素飽和度も取れなくなってきていました。1時間ごとに、御家族様とA様の状態を確認し「またきます」と退室した数分後に御家族様から呼び鈴を押され居室へ走って向かいました。「息が少なくなってきてる。看護師さん呼んだ方がいいと思うわ」と話されました。目は虚ろで、呼吸がゆっくりに・・。その時が来たのだと確信しました。
 看護師からは予め申し送りをされていたため、手順通りに宿直者に連絡し。夜中であったが「A様に変化があったら電話してね」と言われていた先輩にも連絡を行います。
 御家族様が見守っている中、数分後に息を引き取られました。その顔は安らかに見えました。
 御家族様は夕方から来られ夜中まで一睡もしておらず、私と共にA様の身なりを整えた後「違う部屋で休まれても大丈夫ですよ」と言うも「一緒にいたいので、ここでいます」と話されました。御家族様も一緒におり、A様は幸せ者だったのではないかと感じました。
 泣きながら「よく頑張ったね。皆に良くしてもらって本当に良かったね」とご家族様はA様に語られていましたが、私はそんな風に家族に思われるA様こそが昔いいお母さんだったのだなと感じていました。「かに道楽も、行ったときに本当に良い顔してて、孫に自分の好きな物をあげることもありました。カニ好きだなんて、私たちも知ったの最近ですよ。多分皆と一緒なのが嬉しかったんだと思います」と、後から知れた情報もありました。
 凄く悲しい出来事ですが、苦しむことなく、寂しい思いもされることなく見送る事が出来たのではないかと思います。怖かったけれど、経験でき良かったと思っています。御家族様がもし泊まっていなかったら・・・と考えると、まだまだ自分の未熟さを感じます。
 御家族様はその後、A様の49日が終わってから施設に来られ、A様の笑顔の様な明るい絵画をご寄贈下さいました。娘様は「何年間もここに通っていたので、何か週二回が暇で・・・ここでボランティアとかさせてもらえないですか?」と、A様がおられなくても私たちがいるこの施設と繋がっています。
 この経験を元に、私も親を大切にしないといけないと思い1ヶ月に1回は実家へ帰り仲良くしています。人の死はいつくるのか分からないので時間を大切に働いていきたいと改めて実感しました。A様が、他界されてからもお部屋を訪室するたびに、A様の事を思い出します。
 今でも、夜勤に入っている時A様のおばけが出て来て、「それはそこじゃない!」と怒られないだろうかとびくびくしながら夜勤を頑張っています。そのA様のおばけが「よくやったね」と頭をなでてくれたら、私は介護職として先輩たちのように一人前になれたのかなと思うことが出来るでしょう。その日が来るまで、私はここで頑張っていきます。

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