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優秀賞「山田さまへ」

2023年4月1日

ページ番号:516590

受賞者

金子 貴久美 様

エピソード

 山田さまとの出会いは、今から4年前の2015年、山田さまが90歳の時でしたね。
 私は、特養・デイサービスを経験し、在宅介護の仕事は足掛け14年目、管理者となって5年目となる年のことでした。
 初めて担当ケアマネジャーと伺った時、山田さまが過ごしやすいように、と、お部屋のレイアウト変更を提案する私に、
 「あんたのところには別に来てもらわんでもいい!」
 と、とても不機嫌な顔を向けられたことを思い出します。
 気丈で、ご自分でするという思いが強い山田さまは、なかなかお手伝いをさせてくれませんでしたね。トイレに行こうと転倒された山田さまを、支えて起こすことさえさせていただけませんでした。
 それでも、山田さまのお力になりたい一心で、一生懸命、お伺いしていました。私だけでなく、たくさんのヘルパーが交代でお世話をさせていただきました。
 ヘルパーがお伺いできる時間はわずかです。その時間に心を込めてお世話させていただくのは当然ですが、私たちが不在の時も、少しでも山田さまが快適に過ごせるよう、皆で様々なことを想像し、想定し、工夫しました。
 暑さ寒さ対策には最も気を配りました。他にも少し首を動かせば時間が分かるよう、時計を置く位置・角度を何度も何度も細かく調整しました。甥御様の年賀状を枕元に置いた時は、本当に喜んでくださいましたね。
 そういった中で私たちも、山田さまの歩んでこられた人生、人となりを少しずつ知ることができたのです。
 -他人に迷惑をかけたくない、というお気持ちがとても強いこと
 -地域で婦人部長をされ、長年お世話役でいらっしゃったこと
 -ご夫婦ふたりの大切な時間を、このお宅で過ごされてきたこと
 -先立たれたご主人さまをここで見送られたこと
 -住み慣れたこの土地、この家をとても大事に思っていらっしゃること 等々・・
 そうして2年が過ぎたころでしょうか、やっと少しずつ心を開いてくださるようになったのは。
 「あんた、お母さんおるんか? お母さんにもよろしい言うといてや」
 など、優しい気遣いの言葉をかけてくださるようになりました。
 きっと山田さまと共に過ごした時間が、信頼関係を築いてくれたのでしょうね。
 そんな中、体調を崩され一時入院されましたね。
 退院時、弟さまやケアマネジャーを交えて、今後の話し合いをした時のことを覚えていらっしゃいますか?
 弟さまは、
 「僕も年やし身体も悪い。お姉ちゃんに何かあった時にすぐ来られへん。頼むから施設に入ってほしい。心配で心配で・・」
 と、おっしゃいました。
 でも山田さまは、
 「ほな、もう来てくれんでいいわ!」
 と、涙ながらに、
 「私はこの家におりたい。ここにおらしてほしい。どこにも行きたくないねん!私はここで死にたいねん!」
 と、おっしゃられ、それを聞いた私たちもまた涙がとまりませんでした。
 弟さまも、ついに説得を諦められました。
 -ここまでおっしゃる山田さまのお力になりたい!
 -ここが山田さまの最期の場所、最後までおつきあいしよう!
 あの時皆がそう思い、堅い絆が生まれたのだと思います。
 『チーム山田さま』です。もちろん、山田さまはチームの最も大切な一員でした。
 こうして引き続き自宅で暮らせることになり、ほぼ寝たきりではあるものの、ヘルパーがお伺いした時には、椅子に移り座ってご飯を食べ、ポータブルトイレで排泄する生活が続きました。
 山田さまは、食べることが本当に大好きでいらっしゃいましたね。
 -ベッドから離れて、座っていただく。
 -座るとやはりお顔つきがしっかりされる。
 -「食べよう」というお気持ちと姿勢になる。
 -ベッドからは、ただみつめているだけのテレビも、座ってご覧になると、動物などを観て、笑顔になる。
 「歩かれへんでも、オムツは嫌!」
 そうおっしゃる山田さまが、トイレに座って出た時は、「出たー!!」と、一緒に喜び合いましたね。
 一日の内のほんの短い時間ですが、毅然と生きてこられた山田さまらしいお時間だったと思います。
 でもそうして過ごすうち、次第に肺に水が溜まるようになり、足の壊死が進み、眠る時間が増えてきました。
 訪問看護も入るようになり、『チーム山田さま』のメンバーは更に増え、自宅での看取りが本格的になっていきました。
 -山田さまが山田さまらしくあるために
 皆がこの気持ちでひとつになっていました。
 座ることは更に難しくなってきましたが、『チーム山田さま』で話し合い、座って食べていただくことを継続しました。
 「おかゆじゃなくて、ご飯が食べたいねん」
 とおっしゃって、亡くなる直前までご飯を召し上がりましたね。時には大好きな卵焼きも口にしてくださいました。
 眠っている山田さまに、「帰りますね」と声をかけると、少し目を開け、優しい笑顔で、
 「ありがとうなぁ、気ぃつけて帰ってやぁ」
 とおっしゃってくださいましたね。
 -最初はあんなに厳しかったけれど、今はこんなにも温かい
 私たちは、山田さまの最期の大切な時を共に生きることを許されたのだと思いました。
 ヘルパーはもちろん「家族」ではありませんが、その意味では、家族よりも更に近い存在となれるのかもしれません。
 あの頃、私はいつも「山田さま、明日もこのままでいてくださいね」と胸の中でつぶやきながら退室していました。山田さまの痛みやお辛さを考えると、「早く天国へ行かせてあげたい」と思う一方で、「まだまだ山田さまに会いたい」「一緒に時間を過ごしたい」とも願っていました。
 これは私だけでなく、『チーム山田さま』全員が同じ気持ちだったんですよ。
 でも、その時は確実に近づいていました。
 お声を掛けても反応が無く、氷でお口を湿らせて差し上げるのが精いっぱいになりました。
 あの日、山田さまが眠られているのを確認したヘルパーが退室し、1時間後に訪問看護が入った時には、既に息を引き取られていた、と・・
 お一人で、静かに旅立たれたんですね。おだやかな綺麗なお顔でした。
 山田さまとの4度目の冬のことでした。
 -住み慣れた自宅で最期まで
 多くの高齢者が願うことです。
 私自身も、自分のペースで生活しながら、食器一つ、仏壇の飾り一つにも、思い入れのある、この自宅で死にたい、そう思います。
 ですが、現実は難しい。
 ご家族は心配され、ご本人も「家族に迷惑をかけたくない」と思います。
 そのお気持ちをフォローし、願いを実現するお手伝いをして差し上げるのが、私たちヘルパーだと思っています。
 看取りは、ご本人さま・ご家族さまはもちろん、ヘルパーにとっても不安なものです。
 -私がお伺いした時に急変されたらどうしよう・・
 時にはそんな思いにかられます。
 でもその怖さより、
 -山田さま、私の時にしてくださいね、私が見送りたいから
 最後には、その気持ちの方が強くなりました。
 -その方のご希望に添えるよう、過ごしやすいよう、皆で考える。
 -申し送りをしっかりし、チームで一丸となり、支えて差し上げる。
 -その方がその方らしく生き、そして亡くなっていくお手伝いをする。
 こんな素晴らしい仕事はありません。だからヘルパーはやめられません。私は志と誇りを持って、この仕事をしています。
 ヘルパーはご利用者様に育てていただくものだと思っています。
 長きに渡ってお世話させていただく中で、たくさんのヘルパーが、山田さまに育てていただいたんですよ。
 強いお心で「ここで最期まで」を全うされ、私たちは自宅での看取りを経験させて頂きました。山田さまから、生きていく強さを学びました。
 -その方が望まれるなら、最期まで関わっていく
 -終わっていかれるのを見届ける
 -不安でも怖くても、チーム皆で支えていくから大丈夫!
 山田さまのおかげで、いちヘルパーとしてだけでなく、私どもの事業所としてもまた、強い思いと明確な方針がしっかりと定まったのです。
 お別れして一年以上になりますが、苦しい時、迷う時、いつも山田さまを思い出します。
 優しい笑顔で「気ぃつけて帰ってやぁ」とおっしゃる声が今も聞こえるような気がして、
 -私はやっぱり在宅が好き
 この原点を思い起こし、また「がんばろう!」と奮い立ちます。
 山田さま、私は山田さまの強さの中の優しさが、大好きでした。
 本当に、ありがとうございました。

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