最優秀賞「ヘルパーの仕事は、毎日楽しい」
2024年9月5日
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受賞者
エピソード
ピンポーン…。コンコンコン…。
私は、自分の腕時計を見る。十時前…。「おはようございます」ピンポーン。「住吉です」自分の名前を名のると、ドアの向こうから「はい…」と小さな声が聞こえてきました。その瞬間本当にホッとなります。
平成十二年にできた介護保険法により、当時はヘルパー2級という資格を皆が受けに行きました。私も子供を産んですぐに資格を取得し近隣の事業所に勤めだしました。
何故、訪問介護を選んだのかは今となってはわかりません、ディサービスや施設色んな分類の中で選んだのが訪問介護。高齢者のご自宅に訪問させていただきサービスを行う。仕事です。子供もまだ赤ちゃんだったので時間も自由なところもありそれがきっかけだったのかもしれません。
今から、十七年前になります。
人生、初めての利用者さん。ドキドキと不安をたくさん抱えながらサービス提供責任者と共に訪問させていただきました。
名前は、山本 タネさん。当時九二歳で、認知症などはなく(当時は痴呆症)しっかりとされていました。特にヘルパーに対しての拒否などもみられず。とても良い笑顔で迎えて頂けました。その笑顔を見た瞬間に私の緊張は一瞬で解けました。恐るべし高齢者の笑顔!
それから色んな支援を経験したい!勉強したい!と思い今までやって来ました。ヘルパー経験も十年以上勤めていると本当に色んな利用者がいらっしゃいます。それは、どの職種も同じだと思います。
一番良いのは自分が楽しくやれること。利用者との会話の一つもそうです。
ヘルパーになり四年目が過ぎた頃の話です。
二月のとても寒い日に新しい利用者さんの所へ訪問してほしいとサ責(サービス提供責任者)から依頼がありました。
利用者の守並 清子さん。当時八五歳で、夫とは 死別されており、子供はなく、お一人暮らしでした。遠方に姪子さんが一人おられます。仕事の経験はありませんでしたが、株を好んでしており、特に海外の株をされていて、年金と株の収入で生活されていました。分譲マンションに住まわれ、貯蓄も多かったかと思います。詳しい金額はわかりません。お金に対しての執着があり、ヘルパー(他人)の受けいれはなかなかスムーズに行うことが困難でした。色んなヘルパーが訪問しても、「何もしてもらうことはない」「お金目当てか!」と…。
守並さん宅へ入ってくださいと当時のサ責(サービス提供責任者)に言われ、恐々行きました。「ピンポーン」「誰?」「介護センターのヘルパーです。お邪魔します」とサ責がドアを開け入室していきました。私もその後をついて入りました。「こんにちは守並さん、今日は新しいヘルパーさんを連れてきました。」とサ責がいうと、守並さんはジーと私の顔を見ていました。(入ってきたときからサ責ではなく私を見ていましたが)
「いらんよ。何でも自分で出来るから。」と早速言われました。「まぁ、とりあえず色んな部屋とか、置き場所、トイレや浴室を説明させていただきます」と少し強引に言われています。「勝手にし!」と守並さんは返答されていました。その後色んな説明や支援目的などを説明していただき、サ責は退室しました。
さぁ、残されたのは、私と守並さんのみです。
ヘルパーの拒否があるので、部屋の中はかなり散らかっていました。
「まず、台所の食器などを洗って片付けさせていただきますね」と説明し、流し台に立ち洗いものをしていました。その後も一時間、何の会話もなく話しかけても無視され続けていました。が常に笑顔で話しかけるようにしていました。実施記録に記入して挨拶しましたが、振り向いてもいただけませんでした。その後、週に三回の訪問に行きました。その合間も特に会話もなく、話しかけても無視され続けていました。こうなってくると私の元の性格もあるのですが、絶対に話が出来て笑顔を見たい!と思うようになりました。
事務所に戻り、他のヘルパーやサ責などにも相談し、色んな案を出してもらいました。
好まれている話題や好きな物などを問いかけたりもしました。
「あんたもしつこいな」と怒られる時もありましたが、不思議と追い出されたりなどはありませんでした。今考えればこのやり取りを少し楽しんでいてくれていたのかもしれません。色んな問いかけに関して、当時流行っていた韓国ドラマなどを好んで見ていることなどもわかり、私は見ていなかった韓国ドラマも録画して見るようにし話題に出してみたりもしました。そんなやり取りも決してつらいなどは全く思いませんでした。反対に私自身も守並さんとのやり取りを楽しんでいました。守並さん宅に行くのが待ち遠しくなり、今日は、この話をしてみよう、と思っていました。
ある意味その時に守並さんの支援に対してやる気が出たのです。通いだしてから三ヶ月目が過ぎた頃、私自身がインフルエンザにかかってしまい休む事になりました。今日は守並さんのサービスがある日でした。代わりにサ責が入ってくれることになりました。
自宅で寝ていても訪問時間が気になっていました。訪問時間が少し過ぎたあたりで私の携帯電話が鳴りました。
「はい、住吉です。」「あ~良かった。しんどくて寝てるかなと思ってんけど、守並さんが心配して電話してって言って大変やってん。ごめんね~寝てるのに、熱はどう?大丈夫?」と私の代わりに訪問してくれているサ責からでした。
???森並さんが?心配してる?とボーとしながらの状態でいると、「ちょっと待って、代わるから。」と守並さんに代わられました。「もしもし…」と、か細い声が電話の向こうから聞こえてきました。「はい住吉です。」「あんたっ、大丈夫かいな、身体大きいのに、あんたでも病気になるねんな」と初めて入った時、「誰?」と聞いた以来の声ではないのか?と思うほど聞き慣れない声でした。しかも何故か?怒られている?「すみません。ご迷惑かけてしまって。すぐに治ったら又訪問させて頂きますので」と返答すると。「いや、まだ来なくていい。来てうつされても迷惑やから、寝とき。ただ、あんたが休むからこの子が代わりやってきたけど、この子は来んでいいわ。あんたの方がマシや。うつらんようになったら来て」と…。可愛いのか可愛くないのかはさておき、受け入れてくれてる~と思わず笑ってしまいました。電話の向こうでは、「何笑てんねん。元気やないか」と少し笑っているようにも聞こえました。
その後、体調も戻り、訪問すると、又いつものように話さない。声掛けしても返答なし。ただ、少し違ったのは、目は合わせていただけるようになり、うなずきなどによる返答はありました。
一年も過ぎると、通院同行や買い物同行にも一緒に行けるようになり若かった時の写真なども見せてくれるようになりました。守並さんに「一年前は無視されてたわぁ~」と言うと、「あんたはしつこいねん。昔の事は歳やから、もう忘れたわ」と笑いながら言われました。
お正月には黒豆の炊き方なども教えていただき、今でも我が家では炊いています。
とても充実した日々を送っていましたが、別れは突然にやってきました。守並さん宅に行くようになり三年が過ぎたころ、いつもの様に訪問すると、ベッドの中でしんどそうに寝ていました。「どうしたの?しんどいの?」と聞くと「しんどい」と、すぐに主治医に連絡し、救急車を呼びました。もちろんケアマネージャーにもすぐ連絡しました。救急車がきてすぐ病院に搬送されました。心筋梗塞との事でした。治療がされ意識はないのですが、何とか命は助かり、集中治療室に入られました。
面会には家族以外は会うことは出来ません。すぐに事業所では、遠方の姪子さんに連絡して頂き、大阪まで来てもらうように手配をしてくれていました。姪子さんも、翌日には大阪に来てくれて、お会いさせていただきました。「面白いヘルパーが来てくれてる」と叔母が電話で言っていました。住吉さんの事ですねと…。
それから、姪子さんと沢山、守並さんの話をしました。「おばさんが言ってました。色んなヘルパーが来たけど、今、来てる子は根性がある強いねん。口も達者やし、体も大きい。又大阪来たら礼言って」と言われていたとのこと。
「褒めてるのか?けなしてるのか?」と私が言うと姪子さんも「本当に」と笑っていました。守並さんが危険な状態なのに、なぜか私と姪子さんは守並さんの頑固さの話で笑っていました。たぶん「あんたら、私が話せないと思って好き勝手言いよって!」と怒っていることでしょう。
集中治療室にも姪子さんの配慮で入室させてもらうこともできました。
入院して、約一ヶ月後、事業所から連絡があり、姪子さんから電話があって、「危篤」らしいとの事を言われました。すぐに病院へ行きました。
その後、1時間もしないうちに亡くられました。結局、意識は戻らないままで最後の挨拶は出来ませんでした。お葬式には出席させて頂きました。守並さんが居たからこそ今でもヘルパーとして働けていると思います。守並さんとの出会いで、自分の良い所、悪い所、色んな事を教えていただき、料理の幅も広がりました。今は、事業所のサービス提供責任者として働いております。亡くなってから十一年以上が立ちますが今でも私のデスクの上に守並さんの写真を挟んでおります。写真の向こうで笑っている顔を見るたびに困難なケースなどにぶち当たった時、「どうしてあげたらいいかなぁ」と聞くこともあります。初心に帰ることができます。ヘルパーという仕事は、きたない、きけん、こわい、きついなど言われていますが、高齢者一人、一人にも歴史があり、自分が知らない世界をたくさん知っています。こんなふうに色んな経験や実体験を聞くチャンスはありません。この仕事は皆が思っているのとは違っていて、毎日にドラマがあります。
チームで動き、一人の利用者に対して色んな案や、色んな経験が役立ち主張もしっかりとでき、又その意見をきちんと受けとめてくれる仕事だと思います。
毎日が刺激のある楽しい仕事だと思っています。
私は自分の仕事に自信を持つと共に、思いやり、寄り添える気持ちを大事にしていきたいと思っています。
「ヘルパーの、仕事は毎日楽しくて仕方ない」と思っています。
この仕事に誇りを持って働かせていただいています。
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