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優秀賞「会長」

2023年4月1日

ページ番号:516600

受賞者

糸川 恵子 様

エピソード

 今から3年前…
 田島さん(仮名)90代。一代で会社を築き上げた、当時現職会社会長。
 ひとり暮らしをされていましたが、認知症の進行により、日常生活に支障をきたすようになり、サービス付き高齢者向け住宅に入居となり、ヘルパーによる支援を受けられるようになりました。
 ご家族が支援を行っておられましたが、仕事を抱えながらだったので、限界にきてしまい、やむなくの施設入居を決断したようでした。
 入所当時、ご本人は転居したことを理解できず、自分の置かれた環境に戸惑っておられました。
 ヘルパーの訪問を拒否され、自室の鍵をかけて返答もありません。時には「何しに来たんや」「かえれ!」と、ヘルパーに大声で怒鳴り、門前払い状態で笑顔は一向に見られません。夜遅く「社長(息子様)を呼べ!」と仰り、息子様が何度も来所される状態でした。担当ヘルパーも女性や男性、そしてサービス提供責任者であった私も代わるがわる対応を行う必要があり、何とか支援を受け入れて頂けるよう、もがきながらみんなでサービス提供をしているような状況でした。
 田島さんは、施設館内を毎日ひたすらウロウロされ、自室がどこにあるのかも分からない状態でいつもイライラされていました。エレベーター内に設置してある鏡を前にして、ぶつぶつと話しかけ、鏡を見ては不穏になられていました。鏡に映る自分を認識できていないようでした。
 ヘルパーが訪問しても、口腔ケアの声掛けに、「なんでそんなことせなあかんのや!」と怒り、リハビリパンツの交換を行わなくてはならないのに、「何でお前らにわしのケツを見せなあかんのや!!」と断固として私たちヘルパーを受け入れて頂けず、押し問答が続き、日常生活の支援はかなり難航していました。
 洗濯も「娘がするからいい」と言われ、施設に入居されてからも家族の支援は必須の状況で、毎日娘様が来所して対応して頂く状況が続きました。
 田島さんの支援が、拒否やヘルパーに対する【説教】が始まることによって成立せず、サービスのキャンセルが相次いでいました。
 失禁によるトイレの汚染、衣類の汚れ、居室内も尿の臭いで充満していました。
 (このままでは、本人も家族も生活が安定出来ず続かない…。)
 担当ケアマネジャーに相談し、介護側と、家族様と何度も話し合いを進め、本人の支援について、今までの生活に少しでも近づけないか?どうすれば安心して頂けるか等、家族様からの提案もいただき、いくつかの決め事をして対応を行うこととなりました。

※会社のパートさんをとても大事にされ、いつでも笑顔でパートさんたちに対応をされていたことと、周りから「会長」と呼ばれることが多い日常生活を送っておられたことから、本人の事を田島さんではなく、「会長」と呼び、本人の会社のパートさんのように振る舞い、会長に敬意を持って話しかける。
※ひとり暮らしをされていた際に、洗濯物は娘様が行っていたが、クリーニング屋の出入りが多かったので、洗濯をするときには、クリーニング屋です」と声をかけて洗濯をする。
※ヘルパーの事を、顔見知りだと思って頂くまで、毎回ヘルパー自身の自己紹介を本人にしてから支援を行う。
※鏡を見ると不穏になったり、鏡に向かって文句を言ったりされるため、エレベーターの鏡や自室の洗面台の鏡に布を貼る。

 以上の事を話し合いにて決定し、実践することになったのです。

 会長は戦時中、10代で航空兵として従事されていたそうです。無事に生き残り、終戦を迎え、苦労して一人で会社を創設されたそうです。
 私たち介護チームは上記などの決め事を実施しながら本人に接するようにしました。
 ある日私は会社のパートさんのように振る舞い、「この度パートとして入社させて頂いた吉岡(仮名)です。一生懸命頑張りますので宜しくお願い致します。いろいろ教えてください!」と会長に話しかけました。すると、会長の顔つきがガラッと変わり、会社の説明を一生懸命してくださったのです。
 私はこのことを、他のヘルパーさんたちに伝え、何とかコミュニケーションが取れるように実践してもらいました。そうすると、ヘルパーさんたちからも、少しづつコミュニケーションが取れるようになったと報告が上がってくるようになりました。そのうち会長の顔つきは少しずつ優しくなっていきましたが、不機嫌な時もあり、「クリーニング屋です!」と言って、洗濯をしにヘルパーさんが訪問しても、「今日はいらん!」と不穏な様子で断られた報告や、会社の話をしても受け入れてもらえない時もあり、それでも私たちは、会長が大事にしている「会社のパートさん」のような思いで、支援を続けて行きました。
 ある日、私が訪問することになり、「今日は私が娘様に頼まれ訪問しました。宜しくお願い致します」と言い、さりげなくトイレ誘導を行い、歯磨きを誘導し、さりげなく更衣を勧め、またいつ怒鳴られるのだろうか?と心の中で思いながら声掛けをすると、「よっしゃいこか!」と仰って頂いたときには、私は別の意味で(よっしゃ!)と心の中で思いました。
 こうして私たちは、ヘルパー全員で支援時の報告などを行い、情報を共有することで、本人への支援が進行できるようになっていきました。家族様へも状況を説明し、安心して頂けるようになりました。
 そうして支援を少しずつ進めていると、会長もヘルパー1人ひとりの顔が認識できるようになり、いつしか名前も覚えてもらえるヘルパーさんもいました。
 やがて自分の居室の場所も認識できるようになり、ヘルパーの訪問もほぼ受け入れて下さるようになりました。
 施設の事務所の椅子に座り、施設長と話をしたり、また自室へ戻っては事務所に来られる。といった過ごし方が安定してきました。きっと、ご自分の会社事務所にいる気分になれたのでしょう。
 暫くすると、ご自分の生い立ちや、会社を設立した時の事、若い時に戦争に行ったときの話など、次々に自分の事を話してくださるようになり、戦争に行ったときのアルバムを見せてくれるまでになりました。家族様へは、ほぼ毎日どんな様子だったのか等、報告をこまめに行ってきましたが、写真を見せて頂いたことを説明した時には、本当にびっくりされており、こう言われたのです。
 「父は昔から、絶対に自分の写真を他人に見せない人なんです。父が皆さんに写真を見せたなんて、信じられません…」と。
 これを聞いた私の方がびっくりしました。いつからか、毎日のように必ずアルバムを出してこられ、自分の若かりし頃の、軍服を着た写真を指差し「男前やろ?」と笑いながら言って来られていたからです。
 会長がご自分からアルバムを出し、ヘルパーさんたちに見せてくれるようになり、私たちは、そんな会長の姿が当初見られるとも思っておらず、ただただ嬉しく感じていましたが、写真を人に見られるのが嫌いな会長が、私たちに一生懸命見せてくれていると思うと、更にうれしく思いました。
 会長との距離が縮み、お互いの信頼関係が築けるようになると、いつしか私は会社のパートさんではなく、本来のサービス提供責任者として受け入れられるようになっていました。私の職務も、なんだかわからないけど、自分の事を世話してくれる【責任者】という理解をしておられ、お会いすると必ず「がんばれ!」とエールを送ってくださり、「人の上に立つ仕事はとても大変だ。でもあんただったら必ずできる!パートさんには優しくするんだぞ」とよく言われるようになりました。
 ある時私は会長に、自分の悩みを乗せながら、【人を育てる】ことについて、まじめに聞いてみました。
 するといっぺんにキリっとした顔つきになり、受け答えをしてくださるその話し方はまぎれもなく、一国の会社会長。私は支援を開始した当時の事を思い出し、その時の会長の顔を見てうれしくなりました。
 家族様も「安心して生活ができるようになりました」と言って下さるようになった頃、会長の大腸癌が発覚しました。暫く検査入院となり、施設に戻られたとき、当たり前のように「ただいま」と言って下さりました。その時、施設が本当の本人の【家】になっているのだと、みんなが感じていました。
 しかし、病気が深刻化して、今後の対応について、家族様や医師達と話し合いを行うこととなった時、私は会長が生きてきた戦時中の頃の話や、会社を一人で創設したこと、日本の壮絶な時代を一生懸命に生きてきた姿に心を寄せ、家族様の会長に対する想い、私たちが出逢ってお世話をさせて頂いたこれまでの経緯が、走馬灯のように頭を巡り、涙が止まりませんでした。私の涙を見て娘様も涙されたことを今でも思い出します。
 会長の最期は、ご家族や本人が望んだように自室で看取りを行うことになりました。下血をしたり、食べ物が食べられなくなったり、ほぼ寝たきりになられ、懸命に家族様やヘルパーさんたちが会長を支え、最後までお世話をおこないました。支援開始から認知症の行動・心理症状を支える介護から、いつの間にか大腸癌の病気と向き合っている会長を支える支援になっていました。
  会長との別れは本当に、本当につらかったけれど、私たちが悔いのない介護ができたこと、家族様からの多大な感謝を胸に、また明日からも頑張ろうと思いました。
 人の人生、一生とは何なのだろうか。そして年老いた先で、出会った他人にお世話になることが、その人にとって、どんなことなのだろうか。お世話をする側、される側で気持ちが一つになった時、素敵な介護が生まれるのだと感じました。
 縁によって、それまで知らなかった人と出会い、介護をすることによってその人の人生に触れます。介護職の重みは決して軽くはないけれど、人間対人間の不思議な関係性があり、他の職業にない気持ちを味わえる職業だと感じました。

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