ページの先頭です

特別賞(障がい支援部門)「天国のAさんへ」

2023年4月1日

ページ番号:516603

受賞者

尾﨏 健二 様

エピソード

 Aさん、お母さんには会えましたか?
 Aさん、お父さんには会えましたか?
 Aさん、子供のころ遊んでくれた親戚のおじさんには会えましたか?
 Aさん、僕たちのことはお母さんにはなんて言ってるのかな?
 お母さんはいつも天国から、Aさんのことを心配していたはずだけど、しんどいしんどい人生に心を痛めていたと思うけれど、最後に僕たちと暮らせたことを喜んでいてくれたらいいな。

 2013年、僕は新規のグループホームの立ち上げの責任者として忙しくしていました。4月に定員6名と4名の住居を開設するにあたって、何名かの入居希望の問い合わせがあり、その中に入所施設から地域での生活を希望しているAさんがいました。
 Aさんはもう30年以上入所施設で暮らしていて、親族もおらず天涯孤独の身だそうです。Aさんは知的障がいと自閉症スペクトラムという障がいのある方で、50歳です。見ための感じは泉谷しげるをちょっと小さくしたようなおっちゃんでした。20歳くらいまではご両親と一緒に暮らしていたらしいのですが、お父さんが亡くなったあと、お母さんと二人だけでは暮らしていけず、決してAさんが望んだわけではないのですが、生まれ育った地域から遠く離れた入所施設に入ることになったそうです。
 Aさんが施設に入所した当時は、一度入所施設に入ると、ほとんどの方が一生をその施設の中で過ごすのが一般的な時代でした。しかし、ここ10年ほどの間に、障がいがあっても地域社会で一人の市民として暮らしていく権利があるんだという機運が広まり、24時間のヘルパー利用や、グループホームの制度化など、両親や家族の介護がなくても障がい者が地域で暮らしていくことができる仕組みが急激に進みました。
 Aさんは「施設から出て暮らしたい」という希望をずっと持ち続けていたそうです。入所施設の相談員さんが、一生懸命Aさんが暮らすことのできるグループホームを探してくれていたのですが、何度も何度も断られていたそうです。Aさんを受け入れてくれるグループホームを見つけるのはちょっと難しいかな・・・と半分あきらめかけていたころ、「ぜひうちのグループホームに来てください」と言ってくれた事業所があり、それが僕の働いていた社会福祉法人Rだったそうです。
 グループホーム開設の準備をしていた僕は、利用者の確保にも奔走していました。契約を前提とした現在の障がい福祉制度の中では、利用者さんがいてくれないことには事業の経営が成り立ちません。利用者の確保を急いでいた僕は、Aさんのプロフィールをざっと聞いたところで「うちのスタッフなら受け入れることができるな」と判断しました。正直なところ、これまでかなり障がいの重い方たちの支援をしてきたので、知的障がい者の支援にはかなりの自信を持っていました。入所施設の相談員さんに、多くのグループホームから利用を断られた理由を聞くと「大声が出てしまう」ということでしたが、今までかなりの大声や奇声のある方の支援もしていたので、声くらいどうってことはない、と思っていました。担当の方は「かなりすごい声なので、一度聞いてもらっておいた方が・・・」と心配されていましたが、僕は「今まで支援してきたSさんや、Fさんに比べたら、あれよりすごい声はないだろう、大丈夫大丈夫。」とお気楽に構えていました。
 そんなわけで、半分あきらめかけていたAさんのグループホームでの地域生活は、お気楽な管理者のいる社会福祉法人Rのせいで、めでたくスタートすることになります。グループホームなので、当然ほかにも何名かの障がいのある方たちと一緒に生活することになります。さて、Aさんはみんなとうまくやっていけたでしょうか。
 最初の夜のことです。みんなが新しい生活にドキドキしながらなかなか寝付けないでいたところに、Aさんの叫び声が炸裂しました。「ぶち殺すぞ!しばき倒したろか!!」 みんな飛び起きてリビングに出てきました。怖い怖い怖い。不安な利用者さんをなだめる職員も一苦労です。Aさんに何があったのでしょうか?実は・・・・任侠映画が大好きで、その中に出てくるセリフを叫んでいるのでした。Aさんのつぶやきはその後もしばらく続き、ほかの利用者さんにとっては「なんやねんあいつ・・・」という最悪の印象でAさんの地域生活は始まりました。
 その後も、みんなが寝静まった後に、冷蔵庫を開けてほかの方のおやつを食べてしまったり、みんなのおやつをこっそり一人で食べてしまったり。いろいろやらかしてくれる方で、ほかの利用者さんと喧嘩ばかりしています。
 そんなAさんで、職員も今後どうやってこの方を支援していこうかと悩んでいましたが、それが変わるきっかけがありました。Aさんは以前から定期的に通院していたので、グループホーム入居後も近くの病院に通っていたのですが、ある日の受診の際に先生が「A君、グループホームと施設とどっちがいい?」と質問したところ、Aさんはグループホームのほうがいい」と答えたのです。それからさらに「グループホームのどんなところがいい?」という質問に対しては「B君と、C君と、D君がいるのがいいです。」と、ほかの利用者さんと一緒に暮らせるからいいですということを言ったのです。ご飯がおいしいとか、職員さんがやさしいとか、そういう答えを想像していた僕はちょっと驚きました。そんなことがあって、Aさんとほかの人たちの様子を注意してみていると、喧嘩ばかりしているように見えて、実はおやつの交換をしていたり、食事の際の準備を一緒にしていたり、些細なことですがお互いに思いやりながら暮らしている様子がわかってきました。
 またAさんは自閉症スペクトラムという障がいがあり、おしゃべりは苦手なのですが、物覚えが悪いわけではないので、ゆっくり話を聞いていると子供の頃の思い出を話してくれることがありました。入所施設からは、身内のいない天涯孤独と聞いていましたが、Aさんは時々、子供のころ遠方に住んでいる親戚のおじちゃんに遊んでもらって楽しかった思い出をぽつぽつと話すことがありました。これは僕の想像でしかないのですがAさんが生きてきた時代というのは、親族に障がい者が生まれたとなると、そのことはできるだけ秘密にされてしまうことがあった時代です。Aさんは親族の中で、徐々にいないものとされていき、ご両親とひっそりと暮らしてきたのかなと思います。
 入所施設を出てからの暮らしは、Aさんにとっては非常に充実したものだったようでした。毎日作業所に通い、ほかの利用者さんと一緒に仕事をし、時々レクリエーションもしたり一泊旅行もあり、そこでもたくさんの仲間ができました。生活が落ち着くにしたがって、夜中の大声も落ち着いてきます。やっぱり最初は不安で、それが大声になっていたのでしょう。
 そんなAさんの暮らしは突然終了します。
 施設を出てグループホームでの暮らしを始めて1年と数ヶ月が過ぎた日の朝、Aさんは起きてきませんでした。急性心不全。先日の夜、いつものように元気に過ごしていたのがウソのように、静かに息を引き取っていました。
 そのまま行政に相談すれば、大阪市の決まった手順によって火葬の手続きが進んでいくのですが、グループホームと作業所の仲間にとって、Aさんはもう家族のような存在になっていました。きちんとしたお葬式で見送ってあげたいと後見人さんに相談したところ、思いを汲んでいただき作業所近くの市民ホールでお通夜とお葬式を出すことになりました。しかし宗派とかどうすればいいのか?様々な方面に連絡していると、Aさんがまだ自宅でお母さんと暮らしていた時のことを知っている、当時の関係者の方が見つかりました。そこで分かったことはAさんのお母さんは、Aさんのことをとても大切にしており、また障がい者が住みよい社会作りのために、親同士のつながりを作ったり、社会的な運動を一生懸命されていたこと。それでもお父さんが亡くなられた後、Aさんのわがままをお母さんだけでは抑えられずに施設に入らなければならなくなったこと。Aさんが入所して間もなくお母さんが亡くなられていたこと。Aさんの暮らしを支えるのに必死で、癌の発見が遅れたこと。Aさんのお母さんと一緒に運動していた家族会の人たちが、Aさんのことをずっと心配してくれていたこと。
 告別式には、Aさんがグループホームで出会った人たちや、作業所で出会った仲間もみんな参列してくれました。その中で一番Aさんの思い出を語ってくれたのが、一番ケンカをしていたB君でした。「Aさんはコーヒーが好きだった、桃食べたいと言ってた。」とか。そんな告別式を見て、家族会の方からいただいた「親なきあと、障がいのある子どもが残されることを考えると、死んでも死にきれないと思って生きてきた。しかし、Aさんの最後まで人として生き、見送ってもらえる姿を見て勇気をいただきました。」という言葉は今も覚えています。
 その後、Aさんはお母さんの眠るお寺に埋葬されました。
 世の中はずいぶん変わってきましたが、障がい者の中には今も入所施設で誰にも知られないまま、何十年もひっそりと暮らしている人がいます。社会の中で、誰にも知られないまま、何十年も施設の中で暮らし、そのまま誰にも看取られることなく人生を終える。そんな人生を送る障がい者が、僕たちの住んでいる社会には、実はたくさんいるんです。
 Aさんもそんな障がい者の一人だったと思います。僕たちにとっても最初は大声を出す困った人でしかなかった。そんなAさんが仲間との暮らしの中で、かけがえのない存在になっていき、多くの仲間に囲まれて人間らしく人生の最後を迎えることができました。短い時間でしたが、そんな時間をAさんと過ごせたこと、人生の最後にそんな暮らしをAさんに提供できたことは、僕たちにとっても誇りです。

 僕たちの仕事は、大変おこがましい表現ですが、人の人生を豊かにする仕事だと思います。Aさんの人生が、ただ年月を重ねるだけのものから意味のあるものに変わっていく。誰とも関りのなかったAさんが、誰かにとってのかけがえのない仲間になっていく。そのお手伝いができる仕事です。Aさんは僕たちにそのことを教えてくれました。仕事をしていると当たり前ですが、いいことだけでなくしんどいこともたくさんあります。それでもAさんとの思い出が、そのしんどさを乗り越える力になっています。ありがとうAさん。これからも頑張ります。

SNSリンクは別ウィンドウで開きます

  • Facebookでシェア
  • Xでポストする
  • LINEで送る

探している情報が見つからない

【アンケート】このページに対してご意見をお聞かせください

入力欄を開く

ご注意

  1. こちらはアンケートのため、ご質問等については、直接担当部署へお問い合わせください。
  2. 市政全般に関わるご意見・ご要望、ご提案などについては、市民の声へお寄せください。
  3. 住所・電話番号など個人情報を含む内容は記入しないでください。

このページの作成者・問合せ先

大阪市 福祉局生活福祉部地域福祉課

住所:〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号(大阪市役所2階)

電話:06-6208-7970

ファックス:06-6202-0990

メール送信フォーム