出来ることは自分でやる
2024年9月5日
ページ番号:634844
受賞者
藤田 佑太 様
概要
特別養護老人ホームで入居することが決まったS様は自分で出来ることは自分でやりたい。
最初は出来なくても工夫して出来るようにしていきたいと入居当初から仰られており、入居されて約2年が経ちましたが、現在も常に自分の可能性・周りの可能性を広げられるように日々奮闘中です。中でもご入居してから本人様の御意向通りの居室環境にさせていただいた機能訓練指導員との奮闘記をエピソードにして紹介させてもらいます。
※法人の取り組みの一環で、「介助」という言葉は「支援」という言葉に置き換えています。
エピソードを通じて伝えたい「福祉・介護の仕事」の魅力
S様と話し合うにつれ【諦めることを諦める】とは、このことかと実感しました。介護を受ける方はどこかしらに不自由な部分があるため支援が必要です。入居者様の今後のためになる支援かそうでないかは支援者側の対応によって変わってくると思います。入居者様がその人らしく生活するには、対話が必須でその先に入居者様がありのまま過ごせる環境が整うと思います。それを達成するために僕たちがいるのではないかと思いました。
本文
僕は前職では整骨院に勤めており2年前に特別養護老人ホームへ入職し初めて機能訓練指導員というお仕事をしました。初めのうちはどんな風に機能訓練指導員として動いていけばよいか定まらず、今の自分に出来る事をやろうと思い約1年が過ぎました。徐々に自分の中で軸が出来ているような感じがしていました。ところがS様と出逢いその考えが大きく変わることとなります。
S様と出会ったのはご入居が決まり自宅の環境を確認するため訪問した時です。事前情報では2歳の頃から脊髄性小児麻痺による右上肢、両下肢の機能障害とありました。
僕の中では両下肢の機能障害と聞くとそもそも自宅での生活は難しいのではないかと考えていましたが、自宅へあがらせてもらうと床での生活を中心とし手の力を利用しお尻を擦るような形で移動されていました。「こんなんでもトイレも自分でいけてるで~。ただ風呂とご飯を作るのは危ないって言われてるから一人ではやらんけど」と様々なところにご自分が進みやすい・作業しやすいように工夫を凝らされていました。奥様と二人暮らしでしたが、奥様は入院後ご自宅での生活が難しいとなり、いち早く同じ施設にご入居されています。
「奥さんに会いに何度も施設に行ってますが、ここは良い。僕の事もちゃんと話聞いてくれて。だから僕もここでお世話になろうと決意しました」
住み慣れたご自宅を離れる決意をされたS様。そう思って頂いた心を大切にしたいと思い、一度S様の自宅環境の情報を持ち帰り多職種で共有を行いました。
今後の事を踏まえて居室環境をこの先どうしていくか。自宅と同じように畳を敷く環境にするのか?ベッド生活にこれから慣れて頂くか?と悩みました。
S様と相談し「今のうちに慣れておいた方がええやろ」という事でベッド生活へ環境を変更されることを選択されました。
いざ入居されてから見つかる課題も多かったですがS様の口癖は「なんでも頼ってたら自分が弱ってしまう。今まで自分で考えてなんでもやってきた。ちょっとずつ試しながら自分で出来る方法を探していきます」と前向きに物事を受けとめられていました。
移乗・移動では、身体の機能だけみれば足の踏ん張りはほとんどなく、右手指の変形もあり施設で過ごすうえでは、他の入居者様と同じ支援方法で職員が前から本人様を抱える方法が妥当です。
ですがS様のできる動きを確認し、話し合い、移乗の時はベッドに車いすを垂直につけ両足をベッドに上げれば自宅と同様に腕の力でベッドと車いす間を移動できる事に気づきました。同じ方法でトイレにも行くことが出来ました。本人様のための支援として移乗、トイレに行く時は自立で対応する判断をしました。一般的な支援はせずにS様に合った支援方法に辿りついたからこそ、毎日を楽しく過ごして頂けていると思います。
また、ご自分でご自分のお身体の状態を理解しており、出来ないことを【どうやったら出来るようになるか】を常に考えられており、同時にその思いは日々S様と関わっている介護職員の方々とも同じ思いであり、ある日介護職員よりS様のことで相談を受けます。
「Sさん、自分で洗濯物の準備などをしたいと言われています。後は窓の開け閉めとか、ちょっと自分の腕の力で移動して、自由に出来る空間があればいいなと言ってます。なんか出来る事ないですかね?」
これを聞いた僕は、S様が新たな動き出しをされている、何とか力になりたい。と思いました。
上司である機能訓練指導員や、介護主任、介護係長などと相談し、S様の想いを共にお聞きします。「いやな。家では床で生活してて、何でも自分でやっててん。でもベッドで生活してたらどうしても車いすとベッドだけになるやろ、そうなると腕の力も落ちてくるし、入浴の着替えとかも僕自分で直せるのに、介護士さんにやってもらうの悪いやろ。何とか自分で出来たりしたらと思って。それに運動とかもやりたいねんけど、場所がないねん」と思いをお聞きします。ベッドを無くして畳生活に替える事も出来ましたが、「ベッドでいいよ。ちょっと柔らかすぎるけど、前にベッドマットに畳入れてくれたやろ。あれで腰は痛くないねん。これから何があるかわからんから、ベッドの生活に慣れていくわ」と仰った時、ベッドでの生活の延長として畳を設置出来ないかと考えました。
施設には誰もが使用して頂ける場として畳を使用した【和風】なスペースを作っており、車いすの方でも過ごして頂きやすいように、床に直接畳を置くのではなく、高さのあるボックスタイプの畳を使用しています。それをS様のベッド奥に敷きつめ、段差をなくして腕で移動できる空間を作ってはどうかと本人様のお言葉と職員との話し合いの中で閃きました。
施設の備品ではありますが、一度試してみよう!と皆でS様のお部屋を大改造。
劇的に変わったお部屋を見て、「おー。いいやんか。ちょっと僕そっち行ってみるわ」とご自分で車いすからベッドに移乗され、ご自宅で拝見した通り腕の力で上半身を少し上げ、移動されます。「いけるいける。これはいいわ~」と目を輝かせたS様。
居室の入り口から本人様がご自分で移乗出来る場を確保し、ベッドから窓に向けての部分に8個のボックス畳を使用します。
これにより、タンスや窓をご自分で開けられるようになり、更には多趣味なS様の多目的スペースも確保できるようになりました。
勿論、同じ階にご入居されている奥様との語らいの場も忘れてはいません。
ご入居前に訪問させていただいたS様のご自宅のような環境となり、ユニットケアの理念である『入居前の在宅における生活が、入居後の生活においても連続したものとなる環境』に近づけたのではないかと思い、新たな可能性が見えてきました。
「いろいろ考えてくれてありがとうな。僕一人ではこれは思い浮かばなかったわ。皆さんのおかげで筋トレしたり絵をかいたりできます。このブレスレットは自宅の時に作ってて今はそんなに作ってないけど、良かったらどうぞ。僕の感謝の気持ちや」
手慰みにと作成されていたビーズのブレスレットを下さいました。感謝の気持ちを伝えるとともに、「またしたいことがあればいつでも相談ください」と胸を張ってお伝えしました。
そのブレスレットを見て、入居者様のためになる支援とは、【出来ない事を手伝うだけではなく出来るように協力し話し合うのも支援なんだ】と自分の中で考えが変わりました。
しかし、ある日、生活の変化に慣れご自身の生活リズムを確立していく中S様から「左手が自分の腕ではないようや」と訴えあり、異変を察知した看護師が救急搬送を依頼。S様はそのまま右視床梗塞と診断を受け入院となりました。
右の脳に支障をきたすと左半身の運動に障害が現れます。S様は日常生活における左上肢の貢献度はとても高いため左半身の運動障害は今後の生活を大きく左右します。
病院からの情報では以前のように暮らすのは難しいのではないかとの見解でした。
いてもたってもいられなくなった僕は、S様のご様子を確認するためにケアマネージャーとともに病院へ訪問させて頂きました。
病室にてS様にご挨拶すると「あの時すぐに救急車呼んでくれたやろ。それが良かったわ。僕の言うことを信じてすぐに対応してくれたから一命取り留めました」と明るい笑顔で迎って下さり、悲観されているようなお姿はどこにもありませんでした。
病院の職員から、「現状で起き上がりはご自身では難しく座位の保持は支持物があればなんとか出来ているが体勢が傾くと保持出来なくなってしまう。移乗に関してはご自分では出来ない」と説明されました。実際にS様の動きをみせて頂くと以前と比較して筋力の低下がみられました。S様も「全体的に筋力が落ちているわ」と自覚あり、ご自分の力を適切に判断されてるS様がそうおっしゃられるのであればそうなんだろうと肩を落とした時、ふと目に入ってきた物がありました。
そこには一枚の風景画がありました。
「これって誰が描いたんですか?」とお聞きすると「僕が描いてん。入院してたら暇やろ。ええリハビリになるし」と仰ったS様。こんなに上手に描けるのか?ととても驚いたと同時に、S様は筋力が落ちていると仰ったが、生活全てに落胆しているわけではないと感じました。
直感的に完全に元の生活とはいかないまでも近い状態までは戻れるのではないかと思いました。そして、その直感は正しかったのです。
病院で得た情報を施設へ持ち帰り、共有し、多職種で話し合い、最初は体力・筋力を回復していけるようにS様の負担は軽減できるように支援を考えていました。
退院当日、S様にご意向を確認すると「焦らずに動いていきます。いきなり動いたら危ないしな。トイレは行けるようになりたいな」と話されました。
試しにトイレ案内をさせて頂くがやはり姿勢保持が難しく中止。けれど、トイレでの動きをみてベッドへの移乗は見守りか一部支援で対応できるのではないかと思い試してみるとゆっくりではあるが移乗ができ「なんとかいけるわ~」と笑顔で話されるS様。このまま筋力が回復していけばトイレ案内を再開できると希望が湧いてきました。病院では全て介助で移乗されていたS様ですが動きやすい環境づくりができればご自分で移乗ができることに感動しました。
退院してからのS様はあらゆることをリハビリと捉え、ひとつひとつの動作を人に頼るのではなくなるべく自分で行うように努めていました。その時にS様は「なんでも頼ってたら自分が弱ってしまう。今まで自分で考えてなんでもやってきた。ちょっとずつ試しながら自分で出来る方法を探していきます」といつも通り前向きな姿勢をみせられていました。
月日が経ちS様の体調も落ち着きを見せたところで、最近のお悩みをお聞きすると「やっぱりトイレには自分で行きたいわ」と仰りました。カンファレンスでも話し合い、今のS様ならトイレへ行けるのではないかと思い再チャレンジすることにしました。
試行錯誤の結果、最初は姿勢の保持が難しく断念したトイレ案内ですが見守り・一部の支援でのトイレ再開が可能になりました。徐々に自身を取り戻していくS様をみて僕も嬉しい気持ちでした。
現在では以前と殆ど変わらない暮らしをされているS様、もし病室で一枚の絵を見つけていなかったら、S様のご意向を聞き逃していたら、機能訓練指導員として本人様の想いを無視したネガティブな支援方法を提案していたように思えます。
今回の出来事をきっかけにその人にとって一番良い選択ができるように最善を尽くそうと決めました。
そして今までの常識が最善の選択にならない事も身を持って知ることができました。S様に対して一般的な支援ではかえってS様の生活の質を下げてしまう可能性があることを学んだお陰です。
考える中で何が正解か分からない事も多いですが、その時は入居者様と話し合って進めていき、お互いが納得できるように心がけています。
今日もS様は「今日はカラオケクラブの日やろ?何歌おうか今から考えてるねん」とご自分の出来ることを探されています。
僕もその姿勢を見習い、自分が今出来ることを全力で行い、この方がご自分で出来る事は何だろうと、頂いたビーズブレスレットを見ながら考え続け、機能訓練を行っていきます。
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