榎並猿楽(えなみさるがく)発祥の地・榎並城跡(えなみじょうあと)伝承地の碑
2011年4月4日
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榎並猿楽は、鎌倉時代末期に丹波猿楽の新座としてこのあたりに座を構え、一時は本座をしのぐ勢いでした。しかし、応永31年(1424年)には丹波猿楽の楽頭職を大和猿楽の観世に譲り渡し、榎並の地が応仁の乱の影響を受けたこともあり次第に衰退、天文年間には廃滅していたと思われます。
天文2年(1533年)に三好政長が築いた榎並城は、小さいながら東成郡随一の要衝であったといわれています。天文17年(1548年)、細川晴元の打倒をめざす三好長慶は、晴元方に属していた三好政長と、その子政勝を攻撃し、翌年政長は戦死、晴元の軍は敗れ榎並城も陥落しました。
場所:城東区野江4丁目1番(榎並小学校東門前)

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