新喜多新田会所跡
2011年4月4日
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新喜多新田を経営するための中心となる会所の建物があったところです。もともとこのあたりに旧大和川が流れていましたが、宝永元年(1704年)に付け替え工事が行われ、柏原あたりからまっすぐ西に向かい、大阪湾に流れ込む現在の姿になりました。京橋あたりから東大阪市域に及ぶ大変広い新田で、周りの湿地や沼地が次々に水田となり、この辺りが開けていくきっかけとなりました。旧大和川の下流を鴻池新十郎、鴻池喜七、今木屋多兵衛の三人が開墾し、その名前の一字ずつを取って新喜多新田と名づけられました。

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