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吉村区長の城東見聞録 「旧町名継承碑」

2024年5月1日

ページ番号:625398

大阪市では、住居表示の実施に伴い、かつての町名・町域が統合整理されて消滅した旧町名を継承碑として保存しており、城東区には7つの旧町名の継承碑が8か所に設置されています。

先月号と今月号の2回に分けて、城東区にある「旧町名継承碑」をご紹介します。

森小路町(もりしょうじちょう)1丁目(関目5丁目5番街区先植栽帯)

 現在の成育5丁目・関目5丁目の各一部となった地域です。町名は、旧村名に由来し、森小路の名は付近一帯が森をなし小路がついていたことによると伝えられています。

 この町は、明治初頭、東成郡森小路村と南島村の一部で、大正14年に大阪市に編入、昭和4年にこの地域の一部が森小路町1丁目となりました。昭和7年に旭区に編入されますが、昭和18年に城東区となり、昭和51年に住居表示が実施され、現在に至ります。


森小路町1丁目の旧町名継承碑

白山町(しろやまちょう)1~5丁目(中浜小学校内、東中浜小学校内)

 現在の森之宮2丁目、中浜1~3丁目、東中浜2~3・5~6・8~9丁目の一部となった地域です。町名は、白山(しらやま)神社が当町域にあったことに由来します。

 この町は、明治初頭、東成郡中浜村・本庄村・左専道村・永田村の各一部で、大正14年に大阪市に編入されます。その後、幾度の行政区画変更を経て、昭和18年に城東区に編入、昭和48年に住居表示が実施され、現在に至ります。

中本町(なかもとちょう)(東中浜3丁目16番街区先植栽帯)

 現在の東中浜3・6丁目の各一部となった地域です。町名は、旧村合併に際し、区域の大きかった中道・中浜・本庄の村名を交互折衷して町村制時代の村名としていたことに由来します。  

 この町は、明治初頭、東成郡本庄村の一部で、大正14年に大阪市に編入され、東成区中本町の一部となります。昭和18年に城東区となり、昭和48年に住居表示が実施され、現在に至ります。

三組町(みくみちょう)(諏訪1丁目18番街区先道路)

 現在の諏訪1丁目の一部と鶴見区の一部となった地域です。町名は、三か所に点在する地域を組み合わせた新田の地域であることに由来します。

 この町は、明治初頭、河内国茨田郡三組新田の一部で、大正14年に大阪市に編入された際に東成区三組町となりました。昭和18年に城東区に編入、昭和48年に住居表示が実施され三組町の一部が諏訪1丁目の一部に、残りは昭和49年の分区に伴い鶴見区に編入され、現在に至ります。

 過ごしやすい時季になりましたね。旧町名継承碑を探しに、城東区内を散策してみてはいかがでしょうか。

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