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吉村区長の城東見聞録 「行者講」

2025年1月1日

ページ番号:642517

修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が最初に開山し、「霊峰」として崇められてきた奈良県吉野郡の大峯山への参拝(行者講)が、かつて盛んに行われていたそうです。
今もその歴史を伝える場所を3か所ご紹介します。

榎並講(野江3-5)

 旧榎並村(現在の野江、関目、内代)の大峯山まいり有志により、昭和8(1933)年7月に建てられたものです。石像の不動明王、役行者は大変立派で威厳があり、付近の人たちにより今も手厚く祀られています。
 榎並講は戦前には非常に盛んで、特に13歳になった男子が村人に連れられて初めて山行する行の中で、断崖絶壁に逆さまに宙づりになって行う“人生に対する誓い”は青年への通過儀式でもあったそうです。


蒲生不動尊(今福西1-11)

 城東商店街と城東中央商店街の東、住宅街の一角に、昭和4(1929)年に建てられた「蒲生不動尊」があります。戦禍や震災被害も免れた蒲生不動尊、役行者神變大菩薩像(えんのぎょうじゃじんべんだいぼさつぞう)の石像が祀られ、地元や遠方から多くの方がお参りに訪れます。毎月10日の午後4時から健康、商売繁盛などを祈念して奉納された護摩木を行者とともに焚き上げる護摩焚きが長年続けられています。コロナ禍では疫病退散を願い、500本以上の護摩木が奉納され、大護摩会が行われました。


蒲生行者講(蒲生4-10)

 三百余年の間、蒲生村民の安全と繁栄を念じてきました。大峯山上の行場で厳しい山行を終えて下山してきた人に、体をまたいでもらうと強くなるというので、人々は道に横たわってまたいでもらったそうです。
 町の守護神として祠られている不動明王や役行者、弘法大師像などは、大正末期から昭和初期に建てられ、近在の人たちにより手厚くお祀りされています。



 この地を訪れると、かつての参拝者たちの思いを身近に感じることができるのではないでしょうか。


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