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コラム2 加美・瓜破・長原遺跡群

2022年9月2日

ページ番号:9258

 この付近に分布する埋蔵文化財は、旧石器時代(約15,000~16,000年前)・縄文晩期(約2,500年前)から江戸時代に至る複合遺跡である。地下鉄工事や道路建設、住宅建築などのときに偶然発見されたものが多くおもなものは以下のとおりである。

加美遺跡


 弥生時代中期~中世にかけての複合遺跡。特に弥生時代中期の大型墳丘墓は、当時のものとしては全国的にも最大級に属している。いわゆる方形周溝墓で、長辺26m、短辺15m、高さ3mあり、23基におよぶ木棺が出土し、その墳丘の中央からは中心被葬者と思われる2重構造の木棺が出土し、ほかに子供用木棺も見つかっている。これから有力者層の家族墓と考えられている。

瓜破遺跡


 昭和14年市立霊園の建設中に発見された。大和川河床一帯にかけ紀元前300年~紀元後200年の土器・石器・銅製矢じりなとが出土し、特に貨泉(紀元 10年ごろの中国貨幣)の発見で、中国文化の東方への波及の様子と、弥生時代の年代決定に大きな手がかりを与えた。そのほか中世から近世の陶磁器も出土している。

瓜破北遺跡

 弥生時代前期~中世に至る集落遺跡。大溝があり環濠集落の様子をみせ、竪穴住居・高床倉庫・井戸が現われ、方形周溝墓や木棺墓、中国新・後漢時代の破鏡などが注目されている。

長原遺跡

 地下鉄谷町線工事中に発見され、工事を中断して発掘調査された。旧石器から室町時代に至る複合遺跡で、市内では始めて弥生時代の村落をしのばせる住居跡・溝・墓などが一体として見られ、火災にあったらしくその跡をとどめていた。また全長100mをこえる前方後円墳の跡があり、勾玉・管玉やガラス玉・馬・家型埴輪の副葬品を伴い、古代~現在までの地割り変遷が見られるといわれている。昭和63年4月には、船形埴輪が発掘され、まれにみる良好な遺存状態で、古代船の構造を考える上での貴重な文化遺産となっている。

 

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