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コラム3 柏原船

2022年9月2日

ページ番号:9263

 大和川付け替え以前の元和6年(1620)5月、旧大和川の洪水で柏原市を中心に大きな被害をうけた。このとき志紀郡代官でもあった末吉孫左衛門が柏原の復興と平野繁栄を願って平野川に舟運を計画した。しかしそのときは大坂町奉行の許可がおりず、正式に運行が始まったのは寛永13年(1636)のことであった。大坂京橋から平野川を平野、柏原まで上下し、河骨池口付近に船溜りが設けられた。
 船は長さ約12m、幅約2m、15~20石積(発足当時は40隻、その後70隻)の大きさで、船頭2名で運行した。平野方面への積荷は米(他国産米で綿作農家の飯米用)、干鰯(ほしか)で代表される肥料(これも綿作用)がおもなものであった。この平野に利益をもたらした船も、大和川が付け替えられてからは衰退に向う。それは平野川へ流入する大和川の水が、ただ1カ所の樋門からになったため、水量が減少し、土砂の堆積も進んだことによるのである。その対策として川ざらえをしたり、積荷量を減らすなど対策を講じたが、やがて運行は平野までとなり、隻数も明治初期には20隻ほどとなった。その後は鉄道が発達し、明治22年には現在の関西線が湊町-柏原間に開通し、荷物はそれにとってかわられ、明治40年遂に270年続いた栄光の歴史を閉じた。

「柏原船」の写真

 

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