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コラム4 大和川の付け替え

2019年5月10日

ページ番号:9264

 昔の大和川は、柏原市付近から玉串川・長瀬川・平野川などに分かれ、北または北西方向へ流れていた。このように複雑に分流している上に天井川でもあり、途中に低湿地が広がるなどのため、ひとたび長雨がつづくと洪水がおこった。江戸時代延宝2年(1674)の洪水は特にひどく、遂に今米村(東大阪)庄屋川中九兵衛らが中心になって現在のような大和川の付け替えを計画した。幕府への訴願運動や同志の糾合に力をつくしたが、志なかばで死去し、長男太兵衛、三男中甚兵衛らが遺志をつぎ、遂に幕府を動かし、総延長約14.5km、川幅約180mに及ぶ工事を、わずか8か月で完成させた(宝永元年、1704)。
 新しい川の出現で、田畑を無くした人達の苦労もあったが、旧川跡では綿の栽培が盛んになり、洪水がなくなると同時に、商業的農業が繁栄することになった。

「大和川の付け替え」の写真

 

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