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加美遺跡Y-1号墓出土遺物 一括(101点)

2019年1月9日

ページ番号:9114

加美遺跡Y-1号墓出土遺物

かみいせきY-1ごうぼしゅつどいぶつ

分野/部門

有形文化財/考古資料

所有者

大阪市

出土地

大阪市平野区加美東6

紹介

加美遺跡Y-1号墓出土遺物 写真

 加美遺跡は平野区加美東一帯に所在する遺跡である。
 昭和59年(1984)に実施された加美東6丁目の調査によって、古墳時代初期の集落跡と墓、その下層から弥生時代中期の2基の墓(Y-1号墓・Y-2号墓)が見つかった。全容が判明するY-1号墓は、墳丘裾部で南北26m、東西15m、高さ3mを測り、墳丘内から23基の埋葬が確認された。近畿地方を代表する弥生時代中期の大型墳丘墓として、全国的によく知られた存在である。
 発見された23基の埋葬施設のうち、9基が小児用、14基が成人の木棺で、中心の埋葬施設である5号木棺は二重構造をもつ特異な形態の木棺であった。副葬品(装身具)として、2号木棺から円環型銅釧(どうくしろ)1点とガラス平玉1点、14号木棺から円環型銅釧1点、1号木棺からガラス勾玉1点と丸玉1点が出土している。いずれも墳丘の北部に埋葬されたグループに含まれ、被葬者は女性であると鑑定されている。墳丘上や周溝からは、埋葬の儀式に用いられたと考えられる土器や木器が多数出土し、当時の生活用具が良好に残っていた。
 銅釧は2点とも漆黒色をした白銅製で、被葬者の右腕に装着された状態で出土した。円環型銅釧の完形品としては、近畿地方の初例である。
 加美遺跡Y-1号墓は、河内平野で多数見つかっている方形周溝墓のなかでも際立って規模が大きく、銅釧を所有する人物が被葬者に含まれるなど、いくつかの集落を指導する立場にあった有力家族の墓であると考えられる。また、その出土遺物は、河内平野における弥生時代の葬送の様子や、家族の構成を考える上で欠くことのできない資料である。

用語解説

銅釧(どうくしろ) 銅でつくられた腕輪。弥生~古墳時代の装身具としてよく知られる。貝輪の形をまねたものや朝鮮半島からの影響を受けた円環型のものがある

参考文献

永島暉臣愼・田中清美「大阪市加美遺跡の弥生時代中期墳丘墓」『月刊文化財』 11/1985年
田中清美「大阪府大阪市加美遺跡の調査-弥生時代中期後半の大型墳丘墓を中心に-」『日本考古学年報』 37(1984年度版) 1985年
田中清美・櫻井久之「大阪府加美遺跡Y1号墳丘墓出土の銅釧」『考古学雑誌』第73巻2号 1987年

 

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