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国外を起源とする主な人種・民族問題

2023年6月16日

ページ番号:528586

大阪市が人権について目指す都市像

  • 大阪市は、2000年に、「大阪市人権尊重の社会づくり条例」を制定し、「国際人権都市大阪」の実現を目指しています。
  • 国外を起源とする人権問題に関心を持つことで、現代の大阪市に生きる市民として、人権の観点からの国際的な知識と感覚も、身につけていきましょう。

世界人権宣言について

人権の国際的な重要性と世界人権宣言

  • 20世紀には、世界を巻き込んだ大戦が二度も起こり、特に第二次世界大戦中においては、特定の人種の迫害・大量虐殺など、人権侵害・人権抑圧が横行しました。
  • このような経験から、人権問題は国際社会全体にかかわる問題であり、人権の保障が世界平和の基礎であるという考え方が主流になってきました。
  • そこで、1948年国連総会において、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として、「世界人権宣言」が採択されました。

世界人権宣言の内容

  • 世界人権宣言は、基本的人権尊重の原則を定めたものであり、それ自体が法的拘束力を持つものではありませんが、初めて人権の保障を国際的にうたった画期的なものです。
  • この宣言は、すべての人々が持っている市民的、政治的、経済的、社会的、文化的分野にわたる多くの権利を内容とし、前文と30の条文からなっており、世界各国の憲法や法律に取り入れられるとともに、様々な国際会議の決議にも用いられ、世界各国に強い影響を及ぼしています。
  • さらに、世界人権宣言で規定された権利に法的な拘束力を持たせるため、「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約)」と「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」の2つの国際人権規約が採択され、その後も個別の人権を保障するために様々な条約が採択されています。これらの条約が保障する権利の内容を理解し、広めていくことが一人一人の人権を守ることにつながるのです。

  世界人権宣言についての詳細はこちら別ウィンドウで開く(法務省ホームページ 「世界人権宣言」)

人種差別撤廃条約

人種差別撤廃条約と関連の動き

  • 1963年、国連総会において「あらゆる形態の人種差別撤廃に関する宣言」が採択され、すべての人は基本的には平等であるとのべ、人種、皮ふの色もしくは種族的出身に基づく人間間の差別は世界人権宣言に掲げる人権の侵害であり、国家間および人民間の友好的かつ平和的関係に対して障がいとなることを確認しました。
  • 1965年の国連総会で、「あらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約)」が採択され、これにより、締約国は、人種差別を防止し、処罰するために立法、司法、行政、その他の措置を取ることが義務付けられました。
  • また、「人種差別撤廃委員会」では、条約締約国による条約の実施を監視し、また、権利がどのように実施されているかについて締約国が定期的に委員会に提出する報告を検討していきます。
  • それ以降も、人種主義撤廃の具体的措置に焦点が向けられた計画や宣言が採択され、世界の指導者たちは人種主義、人種差別、外国人排斥および関連の不寛容との闘いを自国内で最優先させることとなっています。
  • 2001年の第3回「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容に関する世界会議」では、特に、防止、教育、保護の措置も含め、人種主義撤廃の具体策に焦点が向けられ、「ダーバン宣言」と「行動計画」が採択されました。2011年に、国連総会は、「ダーバン宣言」と「行動計画」採択10周年を記念して、ニューヨークの国連本部でハイレベル会合を開催し、採択された政治宣言では、世界の指導者たちは人種主義、人種差別、外国人排斥および関連の不寛容との闘いを自国内で最優先させると宣言しました。

(参考)

人種主義(国連広報センターホームページ)別ウィンドウで開く

国外を起源とする主な人種・民族問題

主な人種・民族問題

ホロコースト

  • ホロコーストとは、ナチス・ドイツ政権下(1933年~1945年)において行われた、数百万人のユダヤ人や他のマイノリティの人々への迫害・大量殺戮のことです。
  • ナチス・ドイツは自らを「優れた人種」と考え、ユダヤ人を「劣った人種」であると見なし、当時ヨーロッパに在住していたユダヤ人の約3分の2が殺害されたといわれています。
  • また、ロマ族、身体障害者、一部のスラブ民族(ポーランド人やロシア人など)も「劣った民族」であると見なし、迫害の対象としました。また、共産主義者、社会主義者、エホバの証人、同性愛者など、政治的・思想的・行動的な理由から迫害された人々もいました。
  • 「ゲットー」という隔離された地域への強制移住、「強制労働収容所」や「絶滅収容所」(アウシュビッツ等)への収容、ガス室での殺害などが行われました。
  • ホロコーストは、1945年5月にナチス・ドイツが連合国軍に降伏し、体制が崩壊することにより、ようやく終焉しました。
  •  現在においても、ドイツをはじめとする一部の国では、ナチス・ドイツを肯定的に捉えたりナチス・ドイツの標章を掲示したりする表現活動について、法令によって 制限したり罰則の規定を設けたりしています。
  •  これらの国以外も含めて、今なお人道上許しがたい行為として国際的認識があります。

(参考)

ホロコーストについて(アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館 ホームページ)別ウィンドウで開く

アパルトヘイト

  • 現在の南アフリカ共和国は、「南アフリカ連邦」として1910年に独立しましたが、その後、「白人」と「黒人」とを徹底的に区別する動きが本格化しました。
  • 1911年に制定された「鉱山・労働法」は、金やダイヤなどの鉱山で働く白人と黒人の職種区分と人数比を全国で統一する法律で、白人政府が白人労働者の暮らしを守るために打ち出した最初の人種差別法でした。
  • 1949年には、白人農民や都市貧困層を支持基盤とする政党が政権を獲得し、「アパルトヘイト」を強力に推進していきました。
  • 当時、トイレや公園などの公共施設は「White」(白人用)と「Non White」(白人以外用)に区別され、黒人が白人専用の場所に立ち入った場合は逮捕されました。
  • 異人種間での恋愛や結婚も禁じられるなど、アパルトヘイト政策は徐々にエスカレートし、国際社会は「人類の人類に対する犯罪」と厳しく非難しました。
  • しかし、南アフリカ政府はこれを「人種ごとの分離発展のため」として、改めようとはしませんでした。
  • このほかにも、人口の70%を占める黒人を国土の9%に居住させる法律や、普通選挙人名簿から黒人を削除し、代わりに、黒人の代表者として白人を選出するような法律がありました。
  • アパルトヘイト政策に対しては、多くの反対運動が起こりました。後に大統領となるネルソン・マンデラ氏らの運動はよく知られているところです。
  • 黒人たちの怒りが高まるなか、1960年には、ヨハネスブルグ郊外のシャープビルで、「パス法」(白人の居住区域で黒人に身分証の携帯を義務づける法律)に反対するデモ隊5,000~7,000人と警官隊が衝突する事件が発生しました。69人が死亡、180人以上が負傷する大惨事となり、当時、英連邦の一員だった南アフリカ政府は、英国からも強く非難され、国際社会は経済制裁を発動して南アフリカ政府に対する働きかけを強めました。
  • そして、アパルトヘイト導入から80年たった1991年、アパルトヘイト政策の撤廃を宣言しました。
  • アパルトヘイト関連法は撤廃され、1994年、ついにすべての人種が参加した初めての総選挙が実施されました。

(参考)

アパルトヘイト (外務省ホームページ 「わかる!国際情勢 躍進する南アフリカ~途上国のリーダーとして」)別ウィンドウで開く

ルワンダ大虐殺

  • アフリカの中央部に位置するルワンダ共和国では、1962年のベルギーからの独立以前から、フツ族とツチ族の抗争が繰り返されていましたが、独立後多数派のフツ族が政権を掌握し、少数派のツチ族への弾圧と迫害が激しくなりました。
  • 1990年に、独立前後からウガンダに避難していたツチ族が主体のルワンダ愛国戦線(RPF)が結成されました。RPFはルワンダに武力侵攻し、フツ族の政権との間で内戦が勃発しました。
  • 1993年8月に和平合意が成立し,国連は停戦監視を任務とする「国連ルワンダ支援団」を派遣しましたが、1994年4月の大統領暗殺を契機に、フツ族過激派はツチ族及びフツ族穏健派まで無差別に大虐殺を開始し、同年7月までの約100日間の犠牲者は80~100万人と言われています。
  • 1994年7月にフツ族とツチ族の双方がかかわる新政権が成立し、同政権は、大虐殺の爪痕を乗り越えようと、出身部族を示す身分証明書の廃止(1994年)や国民和解委員会及び国民事件委員会の設置(1999年)などの、国民融和・和解のための努力を行いました。
  • しかし、一方で、この時期にツチ族の報復を恐れたフツ族が大量の難民となり、新たな難民問題が発生しました。

(参考)

ルワンダ (内閣府 国際平和協力本部事務局(PKO)ホームページ )別ウィンドウで開く

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住所: 〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号(大阪市役所4階)
電話: 06-6208-7612 ファックス: 06-6202-7073