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旭区の都市景観資源(わがまちナイススポット)

2024年1月30日

ページ番号:74342

旭区の都市景観資源(わがまちナイススポット)について

 大阪市では、平成15年度に旭区の都市景観資源(旧・指定景観形成物)1件を登録するとともに、平成18年度に旭区未来わがまちビジョン推進会議による「旭わがまちお宝発見隊」 の取組みにおいて応募のあったものの中から都市景観資源の候補を選定していただき、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成22年3月5日に3件を、都市景観資源に登録しました。また、令和4年3月31日に7件を、令和5年3月1日に1件を、及び令和6年2月29日に3件を追加登録しました。

都市景観資源一覧表
菅原城北大橋城北公園千林の長屋淀川城北ワンド
大阪工業大学大宮キャンパス太子橋中公園八幡大神宮日吉神社
大宮神社浄願寺重誓寺七曲り(京街道)
新森中央公園
常宣寺旭公園

平成15年度登録の都市景観資源(旧・指定景観形成物)

菅原城北大橋(すがはらしろきたおおはし)

登録年月日

平成15年4月11日

所在地

大阪市東淀川区豊里1丁目-旭区生江3丁目 間

概要

 大阪市で最初に有料道路の事業を取り入れて平成元年(1989年)に完成した斜張橋で、当初普通車の通行料が100円(平成26年(2014年)6月10日から無料化された)であったことから、百円橋と呼ばれ親しまれている。2つのタワーが他本数のケーブルに力を分散して支えている姿が美しい。この橋が架かる淀川には、ヨシ原や天然記念物のイタセンパラの棲むワンドがあり、建設にあたってはこれらの保全に配慮された。また城北公園の中を通るため景観面で数々の検討がなされた。

講評

東淀川区都市景観資源(菅原城北大橋(旭区との間))

 上流からも下流からも遠望のきく美しい橋である。2ヶ所の高い支柱と88本の鋼索で支えられた橋が軽やかに見える。両端の鉄筋コンクリートの部分もさまざまな工夫に満ちており、とりわけ城北公園をまたぐあたりも、公園とひとつになった景観をつくっている。
 淀川はもとより、両側の堤防、わんど、城北公園,周囲の市街地とも景観のとりあわせに目くばりのきいた施設であると共に、それ自身が高水準の景観資源である。 [大阪市都市景観委員長 三輪雅久]

平成22年3月5日登録の都市景観資源

城北公園(しろきたこうえん)

旭区都市景観資源(城北公園)

所在地

旭区生江3丁目

概要

昭和9年(1934年)開園。旧淀川の河川敷を利用して造られた約9.5haの都市公園で、公園内には約1.3haの城北菖蒲園があり、毎年6月には約250品種、13,000株の花菖蒲が咲く。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

大池と周りの桜並木、桜広場が特徴的な公園。城北菖蒲園と併設され、水と緑のある日常的な都市公園の風景としての価値がある。城北菖蒲園は6月の花菖蒲の開花時期と秋の菊花展の時期に一般に開放され、市民にも親しまれている名所的な場所である。

千林の長屋(せんばやしのながや)

旭区都市景観資源(千林の長屋)
位置図 旭区都市景観資源(千林の長屋)

所在地

旭区千林2丁目14番

概要

昭和12年(1937年)建築の2階建長屋。4軒が軒を連ね、通りに玄関と台所が面し、台所部分の屋根は入母屋式となっている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

2階の軒は箱軒であり、大正期以降の長屋の特徴を表している。戦前期には新森をはじめ、本地区周辺には多くの長屋があったと思われるが、当時の景観をよく伝える貴重な建物である。地域性と時代を象徴する文化的な景観としての価値がある。

淀川城北ワンド(よどがわしろきたワンド)

旭区都市景観資源(淀川城北ワンド)

所在地

旭区赤川4丁目、生江3丁目、中宮5丁目、大宮5丁目

概要

城北公園付近の堤防に位置し、天然記念物・イタセンパラの生息場所となるなど、多様な生態系を形成している。現地ではワンドの環境を守るためのクリーンキャンペーンが行われている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

河川公園から全体を一望することができ、地域の人々の散策にも根づいた憩いの風景である。植生と稀少種を含めた豊富な魚類が生息する水辺で、景観資源としてもその価値を評価できる。

令和4年3月31日登録の都市景観資源

大阪工業大学 大宮キャンパス(おおさかこうぎょうだいがく おおみやきゃんぱす)

旭区都市景観資源(大阪工業大学 大宮キャンパス1)
旭区都市景観資源(大阪工業大学 大宮キャンパス3)
旭区都市景観資源(大阪工業大学 大宮キャンパス4)
旭区都市景観資源(大阪工業大学 大宮キャンパス2)
旭区都市景観資源(大阪工業大学 大宮キャンパス5)

所在地

旭区大宮5-16-1

概要

 大阪工業大学大宮キャンパスは、大阪の歴史とともに流れてきた淀川に沿って、緑豊かな城北公園に隣接している。大正11年(1922年)9月7日、実業家の本庄京三郎を設立者・校主、建築家の片岡安を初代校長として創設された関西工業専修学校が母体となっている。赤レンガ作りの「片岡メモリアルゲート」(正門)は、初代校長・理事長の片岡安博士が実施設計した「大阪市中央公会堂」をモチーフにしており、大阪工業大学の英知とパイオニア精神を象徴している(平成4年(1992年)竣工)。二号館東側の歩道には、以前、東中庭に敷設していた旧大阪市電の敷石が再利用されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 赤レンガ造りの正門を中心とした建築物群は、地域のシンボルとして親しまれており、認知性・地域性を有するものと評価できる。

太子橋中公園(たいしばしなかこうえん)

旭区都市景観資源(太子橋中公園1)
旭区都市景観資源(太子橋中公園3)
旭区都市景観資源(太子橋中公園2)
旭区都市景観資源(太子橋中公園4)
旭区都市景観資源(太子橋中公園5)

所在地

旭区太子橋2-7

概要

 昭和38年(1963年)に整備された公園でそれ以前は、苗圃であった。大阪のシンボルロード「御堂筋」の整備時に、現在の埼玉県川口市から買い付けたイチョウを、大阪の土地に馴染むよう育てるためこの公園に植えられた。約800本のイチョウが御堂筋に移植されたが、現在は、移植されずに残された10数本のイチョウが、公園の中心部に並木として整備されている。また、市内でも有数の古さと大きさを誇る桜があり、春には多くの人が花見を楽しんでおり、桜祭りなどの娯楽から消火訓練まで年間いくつもの行事が行われるなど、地域の人々の交流の場として活用されている公園となっている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 御堂筋のイチョウと共に育てられこの地に残ったいわば兄弟樹木のようなイチョウで形成されている並木道は、将来に語り継がれる物語が含まれており、地域性・歴史性を有した公園である。イチョウの由来とともに桜の名所としてさらに情報発信され、樹木の保育管理に努められることを期待したい。

八幡大神宮(はちまんだいじんぐう)

旭区都市景観資源(八幡大神宮1)
旭区都市景観資源(八幡大神宮3)
旭区都市景観資源(八幡大神宮4)
旭区都市景観資源(八幡大神宮2)
旭区都市景観資源(八幡大神宮5)

所在地

旭区清水3-20-19

概要

 天智天皇(661年~671年)のころ、藤原氏が春日大神を産土神(うぶすながみ)として祀ったのが始まりといわれている。建武・延元(1334年~1339年)の頃、誠阿上人(せいあしょうにん)が、男山八幡宮の宝物を授かり、北河内佐太に寺院を建立するために帰る途中、これをねたむ法明上人の弟子たちに追われて火を放たれたが、火はたちまちにして消えた。誠阿上人(せいあしょうにん)は以来、男山八幡宮の御分霊を当宮に奉祀したのが、八幡大神を御祭神とした由来である。以来、不焼宮(やけずのみや)と称されるようになった。今も火災と悪疫を防ぐご利益があるといわれている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 敷地内の参道、勾配屋根が連なる社殿に美観性が認められる。また、夏祭り・秋祭りの際には神輿も出て大変賑わい、獅子舞や宮入り木遣り音頭が奉納されるなど、歴史・文化性を有している。

日吉神社(ひよしじんじゃ)

旭区都市景観資源(日吉神社1)
旭区都市景観資源(日吉神社2)
旭区都市景観資源(日吉神社3)
旭区都市景観資源(日吉神社4)
旭区都市景観資源(日吉神社5)

所在地

旭区赤川4-19-13

概要

 かつてこの地に赤川寺(せきせんじ)という大寺院があり、室町時代の文安年間(1444~1449年)にその境内に「山王宮」と称する近江の日吉大社の分霊を祀った境内社があったとされており、それが日吉神社の前身であるといわれている。大坂夏の陣の戦火に赤川寺は炎上したが、神社は類焼することなく近隣の氏神として、お祀りされてきた。明治元年(1868年)に「日吉神社」に改称され、大阪府社に列された。明治32年(1899年)に淀川拡張のため、本殿を200m南へ遷し現在の位置となった。戦前まであった本殿、拝殿、絵馬堂等は、空襲で殆どが大破したため、後に大修理が行われ現在の形となっている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 長い歴史を経て現在に受け継がれた地域のシンボルである。また、鳥居と石灯籠から境内に至る道路がまちと一体となった参道景観を形成しており、歴史性・シンボル性を有する景観資源として評価できる。

大宮神社(おおみやじんじゃ)

旭区都市景観資源(大宮神社1)
旭区都市景観資源(大宮神社2)
旭区都市景観資源(大宮神社3)
旭区都市景観資源(大宮神社4)
旭区都市景観資源(大宮神社5)

所在地

旭区大宮3-1-37

概要

 文治元年(1185年)に、後鳥羽天皇により建立された神社である。源義経が平氏討伐の際、この地で霊光を見たとされている。義経はこれを宇佐八幡宮の顕現(けんげん)であると考え、後鳥羽天皇に奏上し、天皇は霊光のあった場所に神社を営み、大宮八幡宮とした(文治元年(1185年)創建)。以来、戦国武将の尊崇を集め、とくに豊臣秀吉は、大阪城築城の際、この地が鬼門にあたることから、同神社を鬼門守護神として、神殿や末社を再建し、祈願所とした。明治45年(1912年)に現在の大宮神社へ改称された。境内には大樹がそびえたち、そのうちの一つの「モチの木」は、いぼ神様として奉られ、厚く信仰されてきた。現在の本殿は、昭和5年に再建されたものである。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 社殿や参道が隣接する公園と一体となって良好な環境が形成されている。また、本殿の南と北の巨樹により力強い緑景観が形成され、歴史性・シンボル性と緑の力強さを感じる景観資源として評価できる。

浄願寺(じょうがんじ)

旭区都市景観資源(浄願寺1)
旭区都市景観資源(浄願寺3)
旭区都市景観資源(浄願寺2)
旭区都市景観資源(浄願寺4)
旭区都市景観資源(浄願寺5)

所在地

旭区今市1-5-6

概要

 永正元年~7年(1504年~1510年)に榎並庄(淀川と大和川に挟まれた湿地帯に展開された庄園)の住人であった浄空(じょうくう)が建立した。現在は、毎日誰かが来ている開かれたお寺をめざす取組みの一つとして、年6回~7回、本堂を開放し、ジャズライブを開催されている。お堂にはグランドピアノがあり、美しい音色を間近で楽しむことができる。また、日常的にフラダンスやヨガ、太極拳、書道教室などが開催され、地域の方が集う場となっている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 住宅地にある歴史性を有した瓦屋根の木造寺院である。また、本殿を開放して各種の催しが開催される等、地域活動や各種教室で地域に開かれ親しまれている点について評価できる。

重誓寺(じゅうせいじ)

旭区都市景観資源(重誓寺1)
旭区都市景観資源(重誓寺2)
旭区都市景観資源(重誓寺3)
旭区都市景観資源(重誓寺4)
旭区都市景観資源(重誓寺5)

所在地

旭区中宮2-4-19

概要

 治承4年(1180年)高倉上皇の厳島行幸の際の臨時御所設営のために、「白蓮院」として建立された。明応5年(1496年)に「重誓寺」に改称された。昭和20年(1945年)6月7日、大阪市北東部の大空襲により、寺は焼夷弾で本堂、庫裡(くり)、書院等全焼した。昭和52年(1977年)、門信徒の募財により、現在の本堂が再建され、また、平成15年(2003年)に第28代目住職継職法要の記念として、山門が新築された。現在は、若い人達にもお寺に親しんでもらおうと、落語会など多様なイベントが催されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 瓦屋根の本堂や山門、参道をはじめ、手入れの行き届いたソテツや巨樹のイチョウが歴史性・文化性・シンボル性のある景観が形成されている。落語会等のイベントを開催するなど地域に親しまれた景観資源である。

令和5年3月31日登録の都市景観資源

七曲り(京街道)(ななまがり[きょうかいどう])

七曲り(京街道)2
七曲り(京街道)3
七曲り(京街道)1
七曲り地図1

所在地

旭区高殿4丁目

概要

 京街道は、大阪城京橋口(のちに高麗橋に変更)を起点にして、大阪から京へ通じる古くからの主要な道路である。写真の七曲りは豊臣秀吉が、大阪城築城の際に敵の陣容が見えるように、また、大阪城を守るため、わざと曲がりくねらせた道で、文禄年間につくらせたといわれている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

  曲がりくねった道の形状が、近現代では考えられないユニークな線形を有している。区民が、旭区の古き良き歴史情緒を、身近に感じられる街道である。

令和6年2月29日登録の都市景観資源

新森中央公園(しんもりちゅうおうこうえん)

新森中央公園2
新森中央公園3
新森中央公園1
新森中央公園地図

所在地

旭区新森4丁目22

概要

 1932年(昭和7年)、森小路公園として完成。面積は8809 平方メートル、園内には藤棚、砂場、水飲み場、便所などが整備された。1931年(昭和6年)の土地区画整理の際に弥生中期の集落遺跡が発見され、古墳時代から飛鳥・奈良時代にわたる遺物も出土し、大阪市顕彰史跡として石碑が建立された。1950年(昭和25年)に名称が森小路公園と改められ、全市の公園愛護会の草分けとして新森小路公園愛護会が誕生。社会奉仕活動として今日まで受け継がれている定期清掃がこの年から始まり、2005年(平成17年)に同会は春の緑綬褒章を受章した。1971年(昭和46年)に新森小路公園から新森中央公園に改称。1983年(昭和58 年)に児童館跡地の南西角に新森会館が竣工、周辺も装いを新たにして現在の公園の姿となった。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

  子供たちに親しまれる遊具があり、地域住民の集う憩いの場としてよく利用されている。歴史を感じられる森小路遺跡の石碑があり、ソメイヨシノや八重桜など、多種の樹木も手入れされている。

常宣寺(じょうせんじ)

常宣寺3
常宣寺4
常宣寺5
常宣寺地図

所在地

旭区生江3丁目27番18号

概要

 浄土真宗本願寺派の寺院。1397年(應永4年)、織田信長と本願寺との石山合戦(1570~1580年)の際は、織田軍と対峙した石山本願寺の支城の一つとして、常宣寺のある集落内に「大字“葱生”(なぎ)の東方に古城があった」と伝承され、葱生(なぎ)城跡として大阪市顕彰史跡第209号に登録された際のプレートが山門脇にある。境内にある樹齢370余年の銀杏の大木は、1644年(正保元年)の本堂再建、山門拡充整備時に植樹されたもの。土蔵は1819年(文政2年)、太鼓楼は1857年(安政3年)に建造され、客殿の建築等も行い、時代を経て現在に近い形が整った。平成に入り、平成の大改修として本堂修復、山門整備を行い、現在に至る。


講評〔大阪市都市景観委員会〕

 樹齢370余年のイチョウの大木はシンボルとなっており、また、山門、太鼓楼等の建築物は、歴史を感じられる景観を形成している。


旭公園(あさひこうえん)

旭公園1
旭公園2
旭公園4
旭公園地図

所在地

旭区高殿5丁目

概要

 開園は1943年(昭和18年)、面積は4万775平方メートル。1960年(昭和35年)頃に植樹され、現在約30メートルの高さに成長した「メタセコイア」の林は、遠くからでも公園の場所がわかる旭公園のシンボルとなっている。野球のできるグラウンドをはじめテニスコート、スポーツセンター、プールなどがあり、いろいろなスポーツが楽しめ、区民まつりも開催される活気あふれる公園である。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

  高く成長したメタセコイアの林は、樹下に魅力的な空間をつくるとともに、遠くからでもわかる公園のシンボルとなっている。また、テニスコートやスポーツセンターなど、様々なスポーツが楽しめる地域の憩いの場となっていることも評価できる。

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このページの作成者・問合せ先

計画調整局 計画部 都市計画課(都市景観)
電話: 06-6208-7887 ファックス: 06-6231-3751
住所: 〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号(大阪市役所7階)

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