中央区の都市景観資源(わがまちナイススポット)
2024年1月30日
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中央区の都市景観資源(わがまちナイススポット)について
大阪市では、平成15年度及び平成16年度に中央区の都市景観資源(旧・指定景観形成物)7件を登録するとともに、平成20年度に中央区の都市景観資源の発掘のため、「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成22年7月23日に「大阪ガスビルディング」、「法善寺水かけ不動尊」、「御堂筋」など30件を都市景観資源に登録しました。
大阪城天守閣 | 旧小西家住宅 | 道頓堀グリコサイン |
生駒時計店(生駒ビルヂング) | 一般社団法人大阪倶楽部 | 綿業会館 |
淀屋橋 | 愛珠幼稚園 | 高麗橋 |
南海ビル(難波駅・髙島屋) | 新井ビル | 芝川ビル |
日本基督教団浪花教会 | 大阪ガスビルディング | 浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(北御堂) |
八軒家浜船着場跡の近くにある石畳の階段 | 大阪証券取引所ビル | 真宗大谷派 難波別院(南御堂) |
原田産業(大阪本社ビル) | 大阪城公園 | 船場ビルディング |
伏見町の街並み(青山ビル・伏見ビル) | 大阪松竹座 | 大丸心斎橋店 |
法善寺水かけ不動尊 | 大阪府庁本館 | 玉造稲荷神社 |
三津寺 | 北浜レトロビルヂング | 適塾 |
御堂筋 | クリスタルタワー | 道頓堀 |
旧第四師団司令部庁舎 | 高津宮(高津神社) | 道修町の界隈・古い家屋 |
ルポンドシエルビル(大林組旧本店ビル) |
平成15年度・平成16年度登録の都市景観資源(旧・指定景観形成物)
大阪城天守閣(おおさかじょうてんしゅかく)
登録年月日
所在地
概要
講評
今の大阪城天守閣は昭和6年(1931年)に再建されたものではあるが、大川(旧淀川)と寝屋川の合流部の真南、上町台地の北端に位置し、隣接する難波宮跡(なにわのみやあと)や豊臣秀吉の築城などの大阪の歴史や文化とともに大阪の個性的な地形のシンボルともなっている。北から大阪に至るルートや上町台地の西側に広がる船場からの絶好のランドマーク(目印)となるとともに足下に広がる100haにおよぶ大阪城公園の深い緑と調和した絶妙な景観を呈している。 [大阪市都市景観委員 増田昇]
旧小西家住宅(きゅうこにしけじゅうたく)
登録年月日
平成15年4月11日
所在地
概要
講評
北浜は、第二次大戦末期の戦災を免れたこともあって、すぐれた近代建築や和風町家などの歴史的建築物が各所に残されており、それらが現代的なビルや商業建築と調和的に混じり合う多様性ゆたかな都心景観を楽しめる一帯を形成している。
「旧小西家住宅」は、このような特徴ある北浜の景観をつくり出すうえで最も貢献している建築物のひとつである。土蔵造り・伝統的ファサード構成の大規模町家がかもし出す端正さと威厳は、最新の建築デザインとも巧みに共存し、まわりの景観を引き締め、町並みの水準を高めるなど、他に替え難い役割を果たしているのである。 [大阪市都市景観委員 田端修]
道頓堀グリコサイン(どうとんぼりグリコサイン)
登録年月日
所在地
概要
講評
五階建ビルの一つの壁面全部を占める、高さ20m、横幅約10mの大型広告看板であるグリコサインは、それ自体で一つの都市景観である。昭和10年(1935年)に戎橋の傍に出現した両手を挙げてゴールインするランナーは、第二次世界大戦を潜り抜け、戦後の混乱期と復興、その後の驚異的な経済発展とバブルの崩壊、そして今日の経済不況も見続けている。常に元気なその姿は、大阪の人々に明日への希望を与え、今では道頓堀に無くてはならない風景の一部になっている。
生駒時計店(生駒ビルヂング)(いこまとけいてん[いこまビルヂング])
登録年月日
所在地
概要
講評
堺筋と平野町通りの角地に建ち、時計塔を持ったこのビルは、この界隈でひときわ人目を引く存在である。スクラッチタイルの外壁に、テラコッタの窓台で水平線が強調され、陰影のある外観を構成している。彫刻風の装飾や石造の鷲が一種の不思議さをかもし出しており、それが現代建築にはない魅力となっている。このビルを残し街の魅力づくりに貢献したいというビルオーナーの思いが実り、新しい機能を得て再生がかなった。長く存続させたいビルの1つである。 [大阪市都市景観委員 鳴海邦碩]
一般社団法人大阪倶楽部(いっぱんしゃだんほうじんおおさかくらぶ)
登録年月日
所在地
概要
講評
古い格式を誇る大阪財界人の社交倶楽部会館として竣工以来、現在も使用されている建築物である。設計者安井武雄は「南欧風の様式に東洋風の手法を加味せるもの」と説明しており、スパニッシュスタイルを基調に、細部装飾にはインドやイスラムの手法を取り入れ、穏やかな佇まいながら不思議な存在感を感じさせる。世界に雄飛していた近代大阪の繁栄ぶりを今に伝えるとともに、魚の棚筋まちなみ景観の要となっている。 [大阪市都市景観委員 岩井珠惠]
綿業会館(めんぎょうかいかん)
登録年月日
所在地
概要
講評
昭和初期に完成した商都大阪のシンボルのひとつである。大阪が東洋のマンチェスターといわれ、イギリスを抑えて綿製品輸出世界一となった頃の記念碑である。落着いたレンガ色のタイル貼りが、戦禍、阪神淡路大震災に耐え、高度成長時にも他のビルとは異なり、リニューアルなどを寄せつけなかったことを誇らしげに主張している。最近の総ガラス張りと違って、大きくないが階毎に異なった形の窓が人を惹きつける。あたかも昭和史が壁に刻まれているようでもある。 [大阪市都市景観委員 楢崎正博]
淀屋橋(よどやばし)
登録年月日
所在地
概要
講評
中之島を挟み、北側の大江橋とともに昭和10年(1935年)に完成した淀屋橋は、京阪電鉄と地下鉄の淀屋橋駅に隣接し、その名はより広く知られている。実際は形式を同じくする大江橋の方が5割方長い。両橋とも御堂筋の基幹をなす橋として、形式は鉄骨鉄筋コンクリートアーチで、その重厚な中に洗練された形と共にブロンズ製の照明器具や張り出したバルコニーなど、景観上の配慮もなされ、大阪市庁舎や日本銀行とともに優れた景観を形成している。 [大阪市都市景観委員 山田善一]
平成22年7月23日登録の都市景観資源
愛珠幼稚園(あいしゅようちえん)
所在地
概要
明治34年(1901年)竣工。園舎としてはめずらしい御殿風の建築様式。築後100年以上経ってもなお現役の木造園舎は日本最古である。遊戯室は吹き抜けになっている。天井は寺院などにみられる格天井。建設当時からのシャンデリアが今も飾られている。園舎は国の重要文化財に指定されている。周辺の道路についても園舎に調和する意匠で整備されており、落ち着いたまちなみが創り出されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
近世の面影を残す近代初期の希少な木造建築であり、現役で使用されているとともに、一般公開されるなど地域への貢献度も高い。町会により幼稚園が設立され、幼稚園設立の先駆けとなった文化的背景を建築で伝えている都心の景観資源として他に類をみない建物であり、先進的な幼児教育を実践した場が残されている。
新井ビル(あらいビル)
所在地
概要
大正11年(1922年)、大日本報徳銀行大阪支店として建てられ、新井証券を経て新井ビルとなる。外観は完全な左右対称で、茶褐色のタイルの外壁が街に馴染んでいる。国の登録有形文化財に登録されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
左右対称のファサードや半地下を持ち、独特の風格が感じられる建築物である。外壁は赤味のあるタイルと目地の表情が味わいを持つ。店舗に使用されている1階のファサードは、窓枠上部の庇テントがリズミカルである。上層部には屋号の痕跡が残り、歩んできた時代、歴史を彷彿とさせる。
大阪ガスビルディング(おおさかガスビルディング)
所在地
概要
昭和8年(1933年)に御堂筋とともに誕生した。外壁は1・2階を石材で黒くまとめ、上部は白色のタイル張りとなっている。昭和41年(1966年)に北館が増築され、現在も大阪ガスビルとして使用されている。国の登録有形文化財に登録されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
御堂筋とともに建設された大きなショーウィンドウの堂々たるオフィスビルは、近代化の象徴であるガス利用の普及に伴う市民文化の発信の場として役割を果たしてきた。その外観は新しい近代デザインの先駆けとなり、現在も御堂筋の景観と良く調和している。
大阪証券取引所ビル(おおさかしょうけんとりひきしょビル)
所在地
概要
昭和10年(1935年)に完成した旧大阪証券ビル市場館は、ビルの老朽化に伴い、平成16年(2004年)、近代的なガラス張りの超高層ビルに建替えられた。エントランスのドーム部分は当時のままの姿で残されており、ドーム内部の広間と外観は再現保存されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
モダニズム建築のファサードだけを継承しオフィス部分を高層化したリニューアル例の先鞭となる建物である。伝統の保存と先進の機能を調和させた都市景観を創り出しており、北浜という商都大阪の歴史ある場所に継承された旧大阪証券ビル市場館は地域にはなくてはならない存在であり、街並みのグレードをあげている。
大阪城公園(おおさかじょうこうえん)
所在地
概要
また、平成27年(2015年)4月からは、大阪城公園パークマネジメント事業として、民間事業者により、大阪城公園の特徴を活かした様々な魅力あふれる事業や新たな施設の設置・運営、既存施設の活用など、歴史観光拠点としてさらなる魅力向上が図られている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
広く大阪市民、大阪府民に愛される公園であり、『大阪』を代表する観光名所でもある。エリアごとに異なる表情を持ちながら、ランドマークとなる大阪城天守閣(既登録都市景観資源)を守るように、水と石と緑により構成された景観が、都心に潤いと憩いを与えている。
大阪松竹座(おおさかしょうちくざ)
所在地
概要
大正12年(1923年)に関西初の洋式劇場として開館。豪華な装飾のある建物は、道頓堀の顔として人々に親しまれてきた。平成9年(1997年)、建物の正面全体に広がる優美な装飾レリーフ※をそのまま残し新築開場する。多くの劇場でにぎわっていた大阪道頓堀の文化機能を今でも担い続けている。
※レリーフ:浮き彫りまたは浮き彫り細工。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
大正時代から昭和初期の商都大阪の文化の拠点として、道頓堀の劇場の中心的存在であった大阪松竹座であるが、その保存された豪華なファサードは、道頓堀界隈の風景を特徴付けており、歴史と風格を感じさせる。大阪に残る数少ない大正建築の美観性、シンボル性を今日に伝える保存と再生の好例である。
大阪府庁本館(おおさかふちょうほんかん)
所在地
概要
大正15年(1926年)竣工。現行の都道府県庁舎としては最も古い。外壁に石材と白い擬石タイルを広く用い、勾配のない水平の屋根とした外観意匠に特色があり、正面玄関の車寄せには個性的な装飾が施されている。大理石仕上げの床や階段をもつ3層吹き抜けの玄関ホールは、映画やドラマのロケにも利用されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
府庁舎にふさわしい格調高い近代建築であり、都市のシンボルになっている。当時の高水準の耐震耐火技術を駆使し、古典様式を抽象・進化させた優れた意匠を施した、近代都市大阪の繁栄を彷彿させる建築である。落ち着いた形態・色彩の重厚な趣は、大阪城公園に隣接するに相応しく、大阪が歴史ある都市であることを象徴する景観を形成している。
北浜レトロビルヂング(きたはまレトロビルヂング)
所在地
概要
明治45年(1912年)、株仲買商の商館として建設。戦後は建築資材の専門商社の本社社屋として利用されたが、平成9年(1997年)、大規模な保存改修工事を経て、建築当時の雰囲気そのままに再生された。2階北側の窓からは土佐堀川越しに中之島公園のバラ園を見渡すことができる。国の登録有形文化財に登録されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
約100年前に建設された、ヨーロッパの邸宅のような瀟洒な外観デザインの小規模な商館で、建設当時の大阪の活力を彷彿とさせる。狭小な敷地で現代的なビル群に挟まれるよう建つ姿は、近代建築としての個性を発揮し街並みのアクセントとなっている。
クリスタルタワー
所在地
中央区城見1丁目2番27号
概要
平成2年(1990年)、大阪ビジネスパークの西側、二つの川が合流する場所に完成した超高層ビル。「中之島からの遠望が新しい水都大阪の代表的な都市景観である」として第12回大阪まちなみ賞※を受賞している。
※大阪まちなみ賞:景観上優れた建物やまちなみに対して表彰するもので、大阪市・大阪府・(社)大阪府建築士会の3者の共催により昭和56年から実施。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
OBPを代表するランドマーク的なビルの一つであり、周辺の水や緑のゆったりとした空間との対比が美しく、今や大阪にとってなくてはならない景観を形成している。外観デザインは20世紀のインターナショナルスタイルであるが、素材のモデュール(基準寸法)に日本を感じる。
高津宮(高津神社)(こうづぐう[こうづじんじゃ])
所在地
中央区高津1丁目1番29号
概要
平安初期、清和天皇が仁徳天皇の徳政を慕い、難波高津宮(なにわのたかつのみや)旧跡の地に社殿を築いてお祀りしたのが始まり。豊臣秀吉が大阪城築城に際して現在の地に移した。桜まつりや夏祭りなどの祭りが行われている。また、古典落語や文楽の舞台となっており、古くより人々に親しまれていることがうかがえる。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
都心部に位置しながら一定の規模をもつ境内地には数多くの緑樹が存在しており、また、周囲の公園等と連続していることで、潤いのある景観が形成されている。境内地の中に配された建造物群は、浪花が都とされた由来・歴史を十分に偲ばせるものである。さらに、普段着で訪れる人々が境内地に散見され、付近の住民にとって貴重な憩いの場となっていることが窺える。
高麗橋(こうらいばし)
所在地
中央区東高麗橋・高麗橋1丁目間
概要
慶長9年(1604年)、立派な擬宝珠(ぎぼし)をもつ橋として架けられた高麗橋は、江戸時代に12あった公儀橋(幕府直轄管理の橋)のなかでも特に重要視され、西詰には幕府の高札(公報板)が立てられた。西日本各地への街道の起点とされ、これを表す里程元標が置かれた。その跡を示す碑が東詰め北側に立っている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
現在の橋は高速道路の高架下に位置しているが、歴史性が高く、地域住民の配慮により美しく整備されている。活発な地域活動が展開される場となっており、周辺地域との強い結びつきが感じられ、地域に親しまれ活用されている景観資源のモデルと言えよう。
芝川ビル(しばかわビル)
所在地
中央区伏見町3丁目3番3号
概要
昭和2年(1927年)竣工。昭和4年(1929年)、ビル内に「芝蘭社家政学園(しらんしゃかせいがくえん)」を開校。戦後はテナントビルとして使われている。竜山石※をふんだんに用いた彫りの深い装飾が施されている。国の登録有形文化財に登録されている。
※竜山石:兵庫県高砂市に産する石材名。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
歴史的な界隈を形成する一つの要素として、まちの景観資源として、昭和初期の建築の存在感を示している。景観上の魅力にとどまらず、イベントスペースとしての屋上テラスの利用や夜間のライトアップなど積極的に地域での活動を実践している点が評価できる。
浄土真宗本願寺派 本願寺津村別院(北御堂)(じょうどしんしゅうほんがんじは ほんがんじつむらべついん[きたみどう])
所在地
中央区本町4丁目1番3号
概要
大阪の発祥は本願寺の寺内町形成に由来するが、本願寺は信長との石山合戦で大坂を退去。残った門徒たちが天満に集会所を設け、慶長2年(1597年)の町割改革により現在の地に移転。後に津村別院となる。明治元年(1868年)に大阪鎮台が置かれ、また行在所となり明治天皇の行幸が行われた。大阪大空襲により焼失した本堂は、昭和39年(1964年)近代的なコンクリート造で再建された。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
御堂筋に面し、オフィス街の真ん中にあるが、幅広い階段を上がると、周辺から隔絶された、寺院としての荘厳さが漂っている。門、本堂は、鉄筋コンクリート造ながら瓦葺きであるという特徴的な景観を呈する。南御堂とともに御堂筋の名前の由来にもなっており、地域の象徴的建物ということができる。
真宗大谷派 難波別院(南御堂)(しんしゅうおおたには なんばべついん[みなみみどう])
所在地
中央区久太郎町4丁目1番11号
概要
文禄5年(1596年)大谷本願寺として大坂渡辺の地に建立。慶長3年(1598年)大阪城の拡張により現在の地に移転。後に難波別院となり、「北御堂」と呼ばれた津村別院とともに「南御堂」と称されている。戦時中の大阪大空襲により焼失した本堂は、昭和36年(1961年)二重屋根で再建された。屋根裏の垂木を省略した簡素な表現はコンクリート建築の特性を活かしたデザイン。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
御堂筋沿いの建物は寺をイメージさせないシンプルなデザインで、オフィス街の風景の中に溶け込んでいるが、その奥には本堂はRC造ながら寺院としての荘厳さを有する空間が広がっている。クラシックコンサート等の催しを通じて、地域社会の文化的拠点のひとつともなっている。
船場ビルディング(せんばビルディング)
所在地
中央区淡路町2丁目5番8号
概要
三休橋筋の拡張を機に大正14年(1925年)竣工。 オフィスと住宅をあわせもつビルとして建設され、注目を集めた。また、船場という場所柄から、装飾性のみでなく、トラックや荷馬車などを引き込むのに便利な機能性を重んじた設計が大きな特徴となっている。国の登録有形文化財に指定されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
船場界隈の近代建築の再生活用事例として先駆的役割を果たした建物である。地下と1階がメゾネット形式の特徴を持ち、ディテールの装飾性も高い。アートスペースとしても一般に利用されており、人の出入りが多く生き生きと活用され、通りにも活気を与えている。
大丸心斎橋店(だいまるしんさいばしみせ)
所在地
概要
大正14年(1925年)、第1期、第2期工事により心斎橋側が完成し、心斎橋筋に面する中央玄関上部に巨大なピーコックレリーフが掲げられた。昭和8年(1933年)には御堂筋の拡張整備に合わせて、御堂筋側が増築され高さ100尺(約30m)の外観が築かれた。令和元年の建替えの際には、御堂筋側は創建当初の姿を留める外壁を保再生している。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
重厚な外観と瀟洒な造りは、大正から昭和初期の商都大阪の隆盛を象徴し、歴史と風格を感じさせる。変わりゆく周辺のビル群の中で、かつてモダニズム文化が華開いた心斎橋の象徴的建物として残存しており、大阪が誇るアール・デコの傑作として御堂筋にとっても欠かせない景観要素となっている。
玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)
所在地
概要
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋にお祀りしたのが始まり。日本書紀に記された玉の故郷に鎮座し、豊臣・徳川時代には大阪城の鎮守神として崇められた。だんご茶会や玉造黒門越瓜食味祭(たまつくりくろもんしろうりしょくみさい)などの行事が行われている。
講評(大阪市都市景観委員会)
通りから少し奥まった場所にある鳥居がふと目にとまり人を誘う。それほど広くない境内には近世における歴史的建造物がいくつか存在し、地域における歴史探索の拠点としての役割も果たしている。なにより、多くのイベントにも利用されるなど、地域の人々に親しまれている。都心に大きな神社がいくつもある歴史都市大阪のまちの姿を象徴する景観の一つとして評価できる。
適塾(てきじゅく)
所在地
概要
医師・蘭学者であった緒方洪庵が開いた蘭学塾。洪庵は、天保9年(1838年)、大坂の瓦町に適塾を開いたが、弘化2年(1845年)に過書町(現在の場所)に移転した。幸運にも戦災を免れ、江戸時代後期の町家の姿を現在に伝えている。1階は、洪庵の書斎や家族部屋などがあり、2階には塾生大部屋などがある。国の史跡及び重要文化財に指定されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
明治維新の息吹を感じさせる、江戸時代末期の大阪の船場町家の外観を今に伝える大阪を代表する歴史文化遺産である。隣接する西側の公開空地と東側の歴史史跡公園との連続性により、多くの人に憩いの場を提供している。一般にも内部が公開されており、教育的価値が高い。
道頓堀(どうとんぼり)
所在地
概要
慶長17年(1612年)、安井道頓らが私財を投じて運河開削に着工、元和元年(1615年)完成。道頓堀川にかかる戎橋は昼夜を問わず多くの人々でにぎわっている。道頓堀川の水辺には親水性の高い遊歩道「とんぼりリバーウォーク」が整備(平成25年(2013年)全区間供用開始)され、これまでと違った川の風景、まちの風景を楽しめる空間となっている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
水都大阪の賑わいの拠点であり、多くの観光客が訪れるミナミの象徴である。「とんぼりリバーウォーク」の整備により、川沿いに新たな歩行者動線が確保され、都心部に貴重な水辺のオープンスペースを生み出している。建物が川側に入口を設ける事例も現れるなど、水辺の景観及び地域資源としての価値が向上している。
道修町の界隈・古い家屋(どしょうまちのかいわい・ふるいかおく)
所在地
概要
道修町は薬業関連会社が多く、江戸時代からこのあたり一帯は、町の人たちが子弟や丁稚のためにお金を出し合って塾や学校をつくり、商売と勉学を両立させていた。戦災を逃れたこの界隈には老舗の看板を掲げる建物が今も現役で残っている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
戦火を逃れた近世の街並みを今に伝え、個々の古い建築物の表情が、大阪の代表的な商いの歴史的な雰囲気と現在も活気のある商いの風景を伝えている。薬種会社が街区に集中しているところが興味深く、神社を中心として町の雰囲気を伝える老舗の建物が現役で活用されている。
南海ビル(難波駅・髙島屋)(なんかいビル[なんばえき・たかしまや])
所在地
概要
御堂筋の建設を前後して、昭和7年(1932年)、ミナミの玄関口に4代目の南海難波駅が完成。現在もミナミのターミナルの役割を果たしている。ビルの外壁はすべてテラコッタ※が張り詰められ、連続する半円アーチと古典的な飾りのある円柱の壁面が特徴的である。当時から冷暖房完備されたターミナルビルには、現在もテナントとして髙島屋が営業している。
※テラコッタ:素焼きの陶器焼き。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
御堂筋の終点に位置するコリント様式の近代建築は、テラコッタを多用した重厚感のある外観を呈し、難波地区を代表する建物として大変貴重である。御堂筋からのビスタ景観も確保され、地区の景観を特徴づける象徴的なランドマークとなっている。
日本基督教団浪花教会(にほんきりすときょうだんなにわきょうかい)
所在地
概要
明治10年(1877年)、日本人によって設立された最初の自給教会「浪花公会」が前身。教会堂は昭和5年(1930年)に建設された。礼拝室にある外観からでもわかる大きなアーチ窓のステンドグラスが印象的である。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
ヴォーリズの設計指導によるゴシック教会は、開口部とステンドグラスの礼拝堂の意匠にその特徴を有し、力強いファサードの表情となって、町並みにおいて個性的な景観要素となっている。文化的価値、美観的価値の高さに加え、平日にも礼拝を開催するなど地域資源としての価値も高い。
八軒家浜船着場跡の近くにある石畳の階段(はちけんやはまふなつきばあとのちかくにあるいしだたみのかいだん)
所在地
概要
この付近は、古くは渡辺の津と呼ばれる船着場で、熊野街道の起点でもあった。平安時代中期から鎌倉時代にかけては「蟻の熊野詣」といわれ、人々はここで上陸して熊野に向かったといわれる。さらに江戸時代には、八軒家浜と呼ばれ、三十石船がつき、人の往来だけでなく、交易の場としてもにぎわった。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
歴史を刻んできた石畳は、古くは熊野街道の起点であることを彷彿とさせ、またここが上町台地の北端にあり、台地と川との異なる地形の接点であることを教えてくれる。地形の起伏が都心にあって特徴的な景観を作り出し、沿道の建築物の表情とともに心休まるスポットである。
原田産業(大阪本社ビル)(はらださんぎょう[おおさかほんしゃビル])
所在地
概要
講評〔大阪市都市景観委員会〕
色彩のトーンが統一され、正面の大きな縦長の窓とバルコニーや窓枠などの簡素化されつつも細部にこだわった装飾は美しく、小規模ながら存在感を発揮している建築物である。所有者が変わることなく同社の本社として使い続けられており、愛着をもって維持管理をされてきた様子が伺われる。
伏見町の街並み(青山ビル・伏見ビル)(ふしみちょうのまちなみ[あおやまビル・ふしみビル])
所在地
概要
伏見町には、青山ビルや伏見ビルといった戦前の建築物が当時と変わらない姿で今も存在している。青山ビルは大正10年(1921年)に洋館の邸宅として建てられ、ビル全体を覆う蔦が四季折々の姿を見せる。伏見ビルは大正12年(1923年)にホテルとして建てられ、円形の飾り窓などの外観が特徴的である。両ビルとも、国の登録有形文化財に登録されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
戦前のモダンなホテルや社交場の面影を残す稀少な建物と一面のツタが印象的な建物が並び、歴史的な情緒のある景観を形成している。それぞれの近代建築は現在も活用されていることから、歴史的情緒を継承するまちなみの形成が進むことが期待される。
法善寺水かけ不動尊(ほうぜんじみずかけふどうそん)
所在地
概要
法善寺の西向不動尊。苔に包まれてきれいな緑色になったお不動さんは「水かけ不動」として親しまれている。お供え物を持ち合わせていなかった参拝客が、思わず水をかけて手を合わせたのが始まりだと伝えられている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
多くの観光客が訪れる大阪ミナミの名所の一つとして、鍵の手形の石畳の路地や、隣接する店とともに独特な景観を形成している。繁華街の中にひっそりとたたずみ、溶け込んでいる風景は、ミナミの中でも珍しく静かな雰囲気のある場所で、多くの人に親しまれ、地域の信仰の拠点となっている。
三津寺(みつてら)
所在地
概要
講評〔大阪市都市景観委員会〕
御堂筋に面した白壁で鉄筋コンクリート造の庫裡は、周囲のビル群と共存しつつ印象的な景観を形成している。境内には正面に大きな唐破風をもつ江戸期建造の木造の本堂が戦災を免れて鎮座し、庫裡とのコントラストをなしている。大阪ミナミを特徴づける歴史的建造物である。
御堂筋(みどうすじ)
所在地
概要
大阪の都心部を南北に貫くメインストリートであり、美しい景観を有する大阪のシンボルロードでもある。昭和12年(1937年)完成。沿道建物の高さは約31mまでに制限され、整然とした景観がつくられた。平成7年(1995年)には、御堂筋沿いの壁面の4m後退などを条件に、軒高50m、最大高さ60mまで緩和された。銀杏並木は大阪みどりの百選や大阪市指定文化財に指定されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
4列の銀杏並木が4kmにわたって連なる風景は四季を通じて美しく、沿道の建築物により創出された整然としたまちなみとともに、世界に誇る大阪のメインストリートとして大阪のシンボルとなっている。ビジネス街として、あるいはファッションや食の街として、エリアにより個性が醸し出されているのも魅力である。
旧第四師団司令部庁舎(きゅうだいよんしだんしれいぶちょうしゃ)
所在地
概要
昭和6年(1931年)に陸軍の第四師団司令部の建物として竣工。終戦後は駐留軍施設として接収された。昭和23年(1948年)、大阪市警察本部として返還を受け、府警本部となった後、昭和35年(1960年)から平成13年(2001年)まで大阪市立博物館として使用されていた。 現在は、大阪城公園パークマネジメント事業として、民間事業者が耐震改修等を行い、平成29年(2017年)10月からミライザ大阪城としてリニューアルオープンし、多くのショップやレストランなどが大阪城を訪れる人々を楽しませている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
緑豊かな大阪城公園内の天守閣の真横に立地する大規模な洋館は、周辺の恵まれた環境にふさわしい風格のある表情をもっており、ディテールのデザインまでも美しくバランスがとれた歴史の感じられる建物である。このような立地で残されている洋館は希少価値の高い景観資源といえよう。
ルポンドシエルビル(大林組旧本店ビル)(おおばやしぐみきゅうほんてんビル)
所在地
中央区北浜東6番9号
概要
大正15年(1926年)大林組の四代目本店ビルとして竣工。平成19年(2007年)に、耐震補強を含む全館の改修工事が行われ、南向いにある大阪大林ビルに入居していたフレンチレストラン、大林組歴史館などが当ビルに移転した。ビル中央のアーチ部が印象的である。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
建設会社の自社ビルとして建設された大正モダニズムのビルで、現在は資料館やレストランとして利用されており、大変によく維持管理され、美しさを保っている。大規模な壁面をも単調に感じさせないスクラッチタイルの凝った装飾とリズミカルな窓配置でデザインされた外観は、道路側のみならず反対面の川側に対しても景観向上に貢献している。
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