阿倍野区の都市景観資源(わがまちナイススポット)
2024年5月22日
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阿倍野区の都市景観資源(わがまちナイススポット)について
大阪市では、阿倍野区の都市景観資源の発掘のため、「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成28年6月10日に33件を都市景観資源に登録し、令和4年3月31日に1件を登録解除しました。また、令和6年2月29日に新たに1件追加登録しました。
路面電車の走るあべの筋 | あべのハルカス | Hoop |
阿倍野歩道橋 | あべのルシアス | あべのベルタ |
阿倍野区民センター | 大阪府阿倍野警察署 | 安倍晴明神社 |
熊野街道 | 阿倍王子神社 | 源正寺楼門 |
はやし製菓本舗 | 晴明丘中央公園 | 阿倍野七坂 |
岸の五本松 | 阿部野神社 | ドムール北畠 |
文の里商店街 | 阿倍野長屋 | 姫松停留場 |
奧田邸のクスノキ | 阪南町界隈の特徴的な長屋・住宅のある町並み | 日本基督教団南大阪教会 |
寺西家阿倍野長屋・寺西家住宅 | 北畠住宅 | 大阪府立工芸高等学校・第二工芸高等学校 |
カトリック阿倍野教会 | 松虫塚 | 聖天山 |
桃ヶ池公園 | 桃ヶ池長屋 | あべのキューズタウン |
平成28年6月10日登録の都市景観資源
路面電車の走るあべの筋(ろめんでんしゃのはしるあべのすじ)
所在地
阿倍野区阿倍野筋1~5丁目
概要
あべの筋は、阿倍野区と住吉区を南北に縦断する道路で、その中でも阿倍野筋1丁目のあべの近鉄前交差点から約1.2kmの区間は、阪堺電気軌道上町線が設置されている。歴史的には、明治18年(1885年)に現在の南海電気鉄道の前身である阪堺鉄道が難波~大和川間に開通し、大阪市が発足した明治22年(1889年)には、天王寺駅が開設。明治33年(1900年)には天王寺西門前~東天下茶屋間に、現在の「チンチン電車」阪堺電気軌道の前身となる、大阪馬車鉄道が開通し、レールの上を馬車が走った。その後、人口の都市集中化とともに、利用者が急増し、馬車鉄道では電化が検討され、明治42年(1909年)に南海電鉄(昭和55年(1980年)南海から分離)と合併し、翌年から電車に切り替えられた。交通量の増加によりその多くが廃止されている中、あべの筋の中でもこの区間は今でも「チンチン電車」が残っており、駅前の開発が進む中でのどかさを楽しめるひときわ市民に親しまれた景観となっている。平成28年12月、関西初となる取組みとして、「チンチン電車」の軌道敷に芝生の植栽を行い、大阪南の玄関口であるあべのターミナルの新たなランドマークとなっている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
大阪唯一の「チンチン電車」のある景観は非常に特徴的であり、認知性、地域性に加え歴史的価値も有している。芝生の上を走る「チンチン電車」は認知性の向上に寄与している。
あべのハルカス
所在地
阿倍野区阿倍野筋1丁目1番43号
概要
「天王寺・あべの」ターミナルに直結する日本一の超高層複合ビル。建物デザインにおいては、階段状のセットバックにより生まれた屋上への緑化や、全面ガラス張りの外観等によるランドマーク性と周辺地域との調和の両立や、西面の一筋の折り目による高さ300mの強調などの特長を持つ。駅、百貨店、美術館、ホテル、展望台等複数の都市機能が集積した『立体都市』である。
平成26年(2014年)3月全面開業、地上60階、地下5階、高さ300m、延床面積約306,000㎡。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
ランドマークと呼ぶにふさわしいものであり、阿倍野区はもとより大阪を代表する景観要素といえる。
Hoop(ふーぷ)
所在地
阿倍野区阿倍野筋1丁目2番30号
概要
都会的なオープンスペースと、昼と夜とで表情が変わる斬新な形状の建造物が特徴的な都市商業施設である。商業施設の賑わいを醸しだすため、建物中心部外壁はガラススクリーンで構成され、視認性の高い構造となっている。建物の内と外の境界線は存在せず、行き交う人々は何かに束縛されるということなく自由に空間を楽しむことができる。
平成12年(2000年)9月開業、地上6階、高さ約30m、延床面積約20,000㎡。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
円筒が目立つ大胆な外観と建物内部を可視化したデザインに加え、地上部にオープンスペースを大きく確保し市街地にゆとりを与えている点が評価できる。
阿倍野歩道橋(あべのほどうきょう)
所在地
阿倍野区阿倍野筋1丁目5番
概要
本歩道橋は、阿倍野再開発事業の一環として架け替えが計画され、平成18~19年度(2006~7年度)にかけて「阿倍野歩道橋デザイン・設計コンペ」を実施し、「大阪の南の玄関口に相応しいランドマーク的な位置づけ」、「開放的な歩行者空間の創出」、「バリアフリー化を推進し、賑わいある通行路を確保」などの条件提示のもとで公募した中から、『阿倍野(abeno)の「a」からまちがはじまる』というテーマでデザインされた作品を最優秀作品として決定し、そのデザインをもとに設計、施工が行われ、平成25年4月に全面通行を開始している。
様々に高さを変える屋根や構造体による変化に富んだ空間と、道路にせり出し天王寺公園を望む展望スペースなどにより、歩く・話す・眺める・待ち合わせるなど、多様な活動の起点となる新しいタイプの歩道橋が誕生した。本歩道橋は平成25年度(2013年度)に土木学会関西支部 技術賞、平成26年度(2014年度)にグッドデザイン賞を受賞している。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
各ターミナルや周辺商業施設への動線確保だけではなく、「a」の文字を象るといった工夫を施すなど、変化に富んだ空間と展望性を有している。
あべのルシアス
所在地
阿倍野区阿倍野筋1丁目5番1号
概要
あべのルシアスは、阿倍野地区第2種市街地再開発事業地区内にあり、 事業地区の北側のA-1街区に平成10年(1998年)9月に完成した大型複合商業ビルである。隣接するきんえいアポロビルと、複数階が連絡通路で繋がる16階建てで、シネマコンプレックスフロアまでの巨大な吹き抜けが印象的なビルである。地上16階、地下5階、延床面積約68,000㎡。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
大きなガレリアや吹き抜けが設けられているなど特徴的な外観であり、駅前の商業施設らしさを有している。
あべのベルタ
所在地
阿倍野区阿倍野筋3丁目10番1号
概要
あべのベルタは、阿倍野地区第2種市街地再開発事業内にあり、事業地区の南側のB1街区に昭和61年(1986年)1月に完成した。地上17階、地下4階、延床面積約100,00㎡で、主な用途は、住宅、店舗、事務所等で、阿倍野市民学習センターといった公共施設も入り、市民に活用されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
市街地再開発事業の初期のもので、職と住が共存している点に意義がある上、西側に広い公園もあり、高密度だがゆとりあるまちづくりに寄与している。
阿倍野区民センター(あべのくみんセンター)
所在地
阿倍野区阿倍野筋4丁目19番118号
概要
大阪市では、コミュニティ活動の拠点となる多目的な集合施設として、各区に区民センターもしくは区民ホール、会場を整備している。収容人数が600人を超える大ホールや集会室だけではなく、スタジオや調理実習室、アトリエ兼工作室も完備されている。
平成14年1月完成、地上12階、地下1階(地下1階~2階は区民センター、3階は図書館、4階~12階は公社賃貸住宅)。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
多くの人が集う阿倍野区の特徴的な文化施設であり、また、デザイン的に意匠も様々に配慮がなされており壮観である。
大阪府阿倍野警察署(おおさかふあべのけいさつしょ)
所在地
阿倍野区阿倍野筋5丁目13番5号
概要
あべの筋と阪神高速の交差点から南側に300mほど下がったところに位置する警察署の建物である。左右シンメトリーな外観となっている。
平成2年6月完成、地上7階、地下1階。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
左右シンメトリーの外観で警察署らしい風格のあるデザインである。また、街並みにも馴染んでおり、認知性や地域性も有している。
安倍晴明神社(あべのせいめいじんじゃ)
所在地
阿倍野区阿倍野元町5番16号
概要
平安時代の天文博士安倍晴明が祭神として祀られており、この地は晴明が生まれた晴明屋敷があったと言われている。晴明は考元天皇の子孫で陰陽道の祖として広く知られており、少年時代に京に上り、天文・陰陽道・推算術を修め、天文司廊大博士、播磨守等を歴任した。「晴明宮御社伝書」では、晴明の死を惜しんだ上皇が、生誕の地に晴明を祀るように命じ、晴明没後2年の寛弘4年(1007年)、この地に安倍晴明神社が創設されたと言われている。明治時代には、「安倍晴明誕生地」の石碑と少祠のみとなっていたが、大正14年(1925年)に阿倍王子神社の末社として現在の社殿が竣工した。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
安倍晴明を祀っている神社として区内外の多くの方に親しまれており認知性も高く、また、歴史的・文化的価値も有しており、地域の重要な景観資源である。
熊野街道(くまのかいどう)
所在地
阿倍野区阿倍野元町9番、18番付近
概要
平安中期頃から、上皇や貴族たちの間では、熊野を苦行の果てに辿り着く浄土の地と憧れ、熊野詣が盛んになった。大川の船着場、天満の八軒家浜から続く熊野街道は、あべの筋を松虫の交差点へ南下し、あべの筋の1本西側の細い道へと入る。落ち着いた静かな街並みに社寺や歴史的な民家などが点在し、人々が行き交った祈りの道「熊野街道」の面影をしのぶことができる。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
社寺や歴史的な民家などが点在しており、街道筋の面影が残る地域の景観資源であると評価できる。
阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ)
所在地
阿倍野区阿倍野元町9番4号
概要
阿倍王子神社は、大阪府下に唯一現存する熊野権現の王子社である。飛鳥時代に、阿倍野の地名の由来となった豪族阿倍氏の氏寺とされる阿倍寺があり、阿倍王子神社は阿倍氏の氏神とされている。しかし、遷都とともに阿倍氏も奈良へ帰郷し、平安時代には阿倍寺も四天王寺に併合されてしまう。この頃から熊野信仰が盛んになり、阿倍王子神社が熊野街道沿いにあり、四天王寺と住吉大社の中間に位置することから、熊野王子社「阿倍の王子」となった。熊野詣は平安時代から室町時代頃までが最も盛んで、途中の街道には熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)と呼ばれた王子社ができた。「王子」とは、熊野三山の末社という意味で、京都から摂津、和泉を経て熊野に至る街道の途中に、休憩と遥拝のために設けられた。阿倍王子神社の境内では保存樹に指定されている樹齢四、五百年のクスノキの巨木が枝を広げている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
熊野街道らしさを特徴づける貴重な存在であり、周辺地域にとって重要な歴史的・文化的資源といえる。
源正寺楼門(げんしょうじろうもん)
所在地
阿倍野区阿倍野元町18番34号
概要
平成14年(2002年)国の登録文化財に登録される。楼門は明治22年(1889年)に建てられ、大正12年(1923年)に上本町6丁目から現在地に移転された。大阪大空襲によって本尊などほとんどが焼失したが、楼門・経塚等が戦災を免れた。
知恩院末寺で、初重袴腰を塗込める竜宮造の楼門で、上層は出組、二軒繁垂木、入母屋造、本瓦葺とする。蟇股や肘木の形式・絵様に近代らしい意匠が充溢するとともに、旧熊野街道に面し竜宮門として親しまれている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
竜宮門として地域に親しまれており、国の登録文化財として歴史的・文化的価値も有する地域の重要な景観資源であるといえる。
はやし製菓本舗(はやしせいかほんぽ)
所在地
阿倍野区王子町1丁目7番11号
概要
あべの筋から1本東の通り位置する南北100mにわたる王子1丁目商店街には、お寿司屋さんや精肉店等が並んでおり、その中に、浪花ことばせんべいで有名な「はやし製菓本舗」がある。創業80年以上の老舗のせんべい屋で、浪花ことばせんべいには、「べっぴん」「はんなり」などの浪花ことばが1枚1枚に刻印されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
あきないグランプリの準グランプリをとっているなど区民の認知度が高い。また、都心部のまちなかで「大阪」を題材にして店舗を継続している点が評価できる。
晴明丘中央公園(せいめいがおかちゅうおうこうえん)
所在地
阿倍野区北畠1丁目18番
概要
阪堺電軌上町線の線路沿いにある公園で、北畠駅の南側に位置する。面積が約12,000㎡と広々とした公園で、樹木が生い茂り人々の憩いの場となっている。開園:昭和57年(1982年)3月。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
屋敷跡の公園であるという歴史性に加え、都心においてまとまった緑量を有する貴重な自然的景観資源であると評価できる。
阿倍野七坂(あべのななさか)
所在地
阿倍野区北畠2丁目、3丁目
概要
阿倍野区の西側一帯は南北に続く上町台地の西端に位置し、起伏に富んだ地形になっている。安倍晴明神社、阿倍王子神社から熊野街道を南に下り、最初の十字交差点を西へ入ると、相生通に出る。相生通周辺やその南の阿部野神社周辺は、浸食によりいくつかの谷ができたため、坂の多い地形になっている。阿部野神社の社から名付けられた「やしろ坂」、正面参道に続く坂道の「みや坂」といった神社に由来している坂をはじめ、かつては名前の通り桜並木の美しかった「さくら坂」、他にも「みどり坂」や「みなみ坂」がある。また、相生通にある相生郵便局の角から北に上る細くて急な坂道は「相親坂(あいしんざか)」と呼ばれており、相生通の人たちが王子町方面へ買い物に出かけるとき、この坂の下でよく出会い挨拶を交わしたことから名前がついたと言われている。その東側にあり南へ上る坂道は、「相生阪」と呼ばれている。紀州街道の天神ノ森から東へ延びる町並みが、坂付近で相接するので名前がついたと言われている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
地形の起伏に乏しい大阪にあって大阪の歴史を地形でリアルに感じられ、歴史的・文化的価値を評価できる。
岸の五本松(きしのごほんまつ)
所在地
阿倍野区北畠2丁目4番
概要
「岸の五本松」と呼ばれる松の木が府立住吉高校正門の西筋向い、グラウンドに沿って残されている。古くはこの界隈にも松林が続き、松の木が多く茂っていたが、市街化され、住宅地となり、わずかに5本の松だけが道路沿いに残された。現在は、1本が枯れて4本になっているが、地域の人々は、岸の姫松との由緒を大切に思い、「岸の五本松」と呼んで長く親しまれている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
古代からの歴史や地形の変遷等を知る上で重要な物件で、歴史的・文化的価値を有している。また、樹木の保存のために工夫が施されている点に地域的愛着が感じられる。
阿部野神社(あべのじんじゃ)
所在地
阿倍野区北畠3丁目7番20号
概要
北畠親房と北畠顕家の両公が祀られている。神社は顕家が足利軍と戦った古戦場にあり、明治15年(1882年)に阿部野神社と号して別格官幣社に列せられた。現在の社殿は昭和43年(1968年)に再建されたものである。また、両公の生前の遺徳から知恵と勇気と学問の神として地域の人々から深く信仰されている。全国にある建武の中興に尽力された天皇、皇子、そして多くの忠臣義士をお祀りしている「建武中興十五社」の一つにも数えられている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
北畠親房と顕家両公を祀っており歴史的にも由緒があることに加え、参道が境内に貫入し地域と一体的に認識できる点が評価できる。
ドムール北畠(ドムールきたばたけ)
所在地
阿倍野区北畠3丁目3番2号
概要
風致地区の由緒ある古い住宅地、その敷地の高低差と在来の大樹を生かし、歩車共用の道路沿いに個性的な住戸を配置している。昭和57年7月に完成。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
大阪まちなみ賞の大阪府建築士会長賞を受賞し美観的価値を有しており、外周道路沿いの景観への配慮もなされている。また、建設から30年以上を経過し街の景観としても馴染んでいる。
文の里商店街(ふみのさとしょうてんがい)
所在地
阿倍野区昭和町1丁目
概要
地下鉄御堂筋線昭和町駅のすぐそばに位置する商店街。店舗数は約60店舗で、食料品、衣料品、飲食店等が立ち並んでいる。地区周辺には、平成26年(2014年)3月7日全面開業した「あべのハルカス」や「あべのand」「Hoop」、「あべのキューズタウン」などがあり、商業施設の競争が激化している地区にありながらも、地域の生活に密着した商店街として、古き良き商店街の雰囲気を守りつつ、これまでも100円商店街の実施などを通じて、商店街の活性化に積極的に取り組まれている。
大阪商工会議所と文の里商店街が協働で、商店街の賑わい創りや新たな顧客獲得を目指す事業として平成25年に実施された「文の里商店街ポスター総選挙」で、一躍注目を集めた。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
個性的なポスターの展示などまちづくりに対する高い意欲が評価に値し、商店街自体がいかにも大阪らしい貴重な景観であるといえる。
阿倍野長屋(あべのながや)
所在地
阿倍野区昭和町4丁目6番8号
概要
あびこ筋から東に一歩路地へ進むと、少し懐かしい下町の姿があり、その一角に「阿倍野長屋」が所在する。中には、洋館があったり、中庭を覗める縁側があったり、一度腰を下ろすと気持ちが和む場所である。様々な人が利用できるスペースとして、時間単位や1日単位でレンタル可能で、交流会、パソコン教室、ヨガ教室、展示会など様々なイベントに利用されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
昔ながらの懐かしい雰囲気を醸し出し、周囲から際立った存在感を示している。地域住民が気軽に利用できるレンタルスペースとして活用されている点も評価できる。
姫松停留場(ひめまつていりゅうじょう)
所在地
阿倍野区帝塚山1丁目8番1号の先
概要
路面電車という性格上、プラットホーム上に上屋が設置されるだけの簡易なものが多い中、姫松駅は独立型のものとして整備されており、木造、平屋建て、鉄板葺きの小ぶりなデザインの駅舎である。建築年代は電化が進む大正7年頃のものと考えられる。正面に開口部を設け、内部は1室の空間である。柱には腕木のような形で桁を支え、また柱上と桁の間には格子状に束を入れる。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
阪堺電気軌道における歴史的駅舎の特徴を今日に伝える貴重な産業遺産であり、地域住民との距離も近い重要な地域景観資源である。
奧田邸のクスノキ(おくだていのクスノキ)
所在地
阿倍野区西田辺町1丁目20番
概要
寛文3年(1663年)に猿山新田を開墾した奧田市郎兵衛の子孫の方が住まれている非公開邸内に大阪市指定の保存樹のクスノキがある。新田の開墾時に防風と美観のために森林を造成し、「猿山の森」と呼ばれていた。このクスノキはその森の名残である。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
阪南町界隈の特徴的な長屋・住宅のある町並み(はんなんちょうかいわいのとくちょうてきなながや・じゅうたくのあるまちなみ)
所在地
阿倍野区阪南町1~5丁目
概要
阪南町界隈は大正13年(1924年)に設立された「阪南土地区画整理組合」によって順次、町並み整備が行われ、その際に様々な長屋が建てられた。伝統的な住宅様式から和洋折衷あるいは大胆な洋風のものまで様々な創意工夫がされた長屋が現在でも多く残されている。また、この界隈には、長屋以外の住宅でも特徴的なものが多く残されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
近代大阪の人々の暮らしを思わせるものとして評価できる。個性に満ちた様々な長屋・住宅が集積し、地域全体としても特徴的な景観を形成している。
日本基督教団南大阪教会(にほんきりすときょうだんみなみおおさかきょうかい)
所在地
阿倍野区阪南町1丁目30番5号
概要
日本基督教団南大阪教会は、大正15年(1926年)2月7日に日本基督教団大阪教会の創立50周年記念事業の一つとして独立し宣教を開始した。南大阪教会の設計監督を担ったのが若き建築家の村野藤吾で、昭和3年(1928年)に旧礼拝堂と教会塔は完成し、これが彼の処女作である。
旧会堂と教会塔は無事に戦火をくぐり抜けたが、時間の経過とともに傷みが激しくなり、旧会堂を取り壊すことになった。昭和56年(1981年)に新会堂が建築されたが、それも藤吾の手によるもので、これが宗教建築最後の作品となった。南大阪教会は、村野藤吾の処女作(教会塔)と最晩年の作品(新会堂)と共存している貴重な建築物である。
また、教会の南東方向には阪田寛夫「サッちゃん」詩碑がある。阪田寛夫(1925年~2005年)は大阪市住吉区天王寺町(現・阿倍野区松崎町)生まれの詩人、小説家、児童文学作家であるが、彼は南大阪教会付属南大阪幼稚園の二期生でもあった。「サッちゃん」は昭和34年(1959年)に書かれた童謡で、阪田寛夫が園児だった時に、1年上のクラスに「さちこ」という園児がおり、この「さちこ」さんに対する親しい思いを、後にこどもの詩という形に結晶させたもの。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
村野藤吾が築いた教会塔が目立っており、明確なランドマークとして定着している。また、「サッちゃん詩碑」もこの場所にある必然性やストーリーがあり、一体として文化的な謂れある区画を形成している。
寺西家阿倍野長屋・寺西家住宅(てらにしけあべのながや・てらにしけじゅうたく)
所在地
阿倍野区阪南町1丁目50番25号
概要
寺西家阿倍野長屋は、昭和7年(1932)に建築され、平成15年(2003)に長屋では全国初となる国の登録文化財に登録されている。地下鉄御堂筋線昭和町駅に近く、木造2階建四戸一棟からなる瓦葺入母屋造の長屋で、二戸に仕切る防火壁は屋根より高くし、袖壁をつけている。各戸毎に木戸門があり、1階は玄関、茶の間、和室、台所、ガス風呂、便所があり、2階は和室2室で構成されていた。平成16年(2004)に外観の改装工事を行い、続いて入居されたテナントが長屋住宅を飲食店舗に内部を改装された。
寺西家住宅は、大正15年(1926)に建築され、当時の戸建て住宅の典型である。木造2階建入母屋造で和風建築の玄関横に洋式の応接間が取り付けられている。現在、住まいとして使用されながら、毎月の落語会をはじめ生花展や手作り作品展などの催会場としても利用されている。講評〔大阪市都市景観委員会〕
維持管理もよく戦前の雰囲気を色濃く残している。リノベーションにより飲食店舗、ギャラリーとして活用され都市の新たな景観を形成しており、地域のまちづくりの拠点となっている点も高く評価できる。
北畠住宅(きたばたけじゅうたく)
所在地
阿倍野区阪南町4丁目8番、11番、14番、17番
概要
大正期の分譲市営住宅である。一角には「北畠自治町会」の石柱がある。
大正時代に「桐山」と呼ばれる森だったこの地が、周辺に先立ち区画整理されたことにより、周辺とは異なる区画形質の街区に位置する。また、街区内の道路も未舗装となっており、この地域の市街化履歴を語る上では重要な資源である。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
大正期の都市や住宅に関する政策が今でも感じられる貴重な地域であり、特徴的な建築物が群として現存している点において大きな価値がある。
大阪府立工芸高等学校・第二工芸高等学校(おおさかふりつこうげいこうとうがっこう・だいにこうげいこうとうがっこう)
※令和6年5月20日名称改正
所在地
阿倍野区文の里1丁目7番2号、48号
概要
世界に巻き起こったモダンデザインの中枢を担ったバウハウス運動の影響を色濃く受けて誕生した大阪市立工芸高等学校・第二工芸高等学校の本館は、大阪のバウハウスと呼ぶにふさわしい、モダンな建築デザインと感性を誇っている。
1、2階の外壁はレンガ積みで、玄関入口の大アーチが正面を引き立てており、3階には優美な曲線のマンサード風の屋根がかけられ、教室の窓で区切ることで、曲面の美しさを一層際立たせるなど、外観全体が極めて特徴的なデザインになっている。屋根上にはシンボルの時計台がそびえ、アールヌーボーの建築様式をより一層印象づけている。
デザイン・造形を総合的に学ぶデザイン系5学科と美術科で構成される全国で唯一の高等学校で、大阪市立工芸高等学校として大正12年(1923年)に設立されている。その後、昭和16年(1941年)に第二本科(夜間部)が設置認可され、昭和28年(1953年)に第二工芸高等学校(定時制課程)として独立している。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
特徴的な外観が近代のモダンな建築様式をよく表現しており、保存状態も良好で大阪市指定有形文化財に指定されている。身近な教育の場として地域にも親しまれている点も評価できる。
カトリック阿倍野教会(カトリックあべのきょうかい)
所在地
阿倍野区松崎町3丁目6番25号
概要
建物の外観は、ノアの方舟を象っている。聖堂側壁の12の窓にあるステンドグラスは、イエス・キリストに選ばれ派遣された12人の使徒の足跡、宣教、または殉教などを、聖書・聖人伝等を参考にして表現している。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
しっかりとしたビジョンに基づいて作られ特徴のある景観を呈しており、地域のシンボル的な存在である。
松虫塚(まつむしづか)
所在地
阿倍野区松虫通1丁目11番5号
概要
昔、この辺りは見渡す限りの原野で、秋には虫の声が満ち、特に松虫(今の鈴虫)の澄んだ音色が美しく、名所として知られていた。古書「芦分船」によると、後鳥羽上皇が寵愛した白拍子の松虫、鈴虫姉妹が隠れ住んだといった伝説などが残されている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
歴史・文化性を有しており保存に至った経緯などに特筆すべき点がある。地域の人々によって保存、管理もなされている点も評価に値する。
聖天山(しょうてんやま)
所在地
阿倍野区松虫通3丁目2番
概要
聖天山辺りは、昭和25年(1950年)までは、原生林のような手つかずの荒れ地であり、帝塚山古墳ほどの規模の周濠をもった前方後円墳であったと推定されている。聖武天皇はこの古墳に立ち寄り、古くは聖武帝山と呼ばれていたが、正圓寺(しょうえんじ)に大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)を祀ったことから聖天山と呼ばれるようになった。
聖天山公園は、昭和34年(1959年)10月の開園で、面積が約16,500㎡の公園で、公園の中央付近には、クスノキの巨木がある。
「聖天さん」で有名な正圓寺は古義真言宗京都東寺の末院で、天慶2年(939年)に現在地の東方500mにお堂を建て開基し、「般若山阿倍野寺」と呼んだのが縁起である。
正圓寺の正面参道横に「大聖歓喜天」と彫られた石標があり、その台石として「兼好法師藁打石」が残っており、聖天山公園南入口の高台に「徒然草」の序段が刻まれた「吉田兼好文学碑」が建てられている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
古代時代から現在までの長い歴史が重層していることに加えて、子供たちの活動の場として貴重な空間を地域に提供している。
桃ヶ池公園(ももがいけこうえん)
所在地
阿倍野区桃ヶ池町1丁目2番23号
概要
桃ヶ池公園は、昭和8年(1933年)10月に、大阪市により水や緑に囲まれた公園として整備された。桃や桜の花が咲く頃には多くの人が花見に訪れる区内最大(約71,500㎡)の公園である。桃ヶ池の歴史は古く、周辺は弥生時代から中世にかけての「桃ヶ池遺跡」として、大阪市の指定を受けている。桃ヶ池は、古くは猫間川につながる池で、その形から「股ヶ池(ももがいけ)」と記され、江戸時代の書物には、聖徳太子による大蛇退治の伝説が紹介されており、公園の中ほどには、股ヶ池明神がクスノキやエノキの大木に護られるようにひっそりと佇んでいる。また、池の中には、「へび島」と呼ばれる自然が残された島がある。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
桃・桜が咲き誇り池には蓮が生い茂るなど、地域にとって貴重な自然的資源である。また、地域の人々によって維持管理され盆踊りなどのイベントが実施されるなど、地域の中で非常に親しまれている。
桃ヶ池長屋(ももがいけながや)
所在地
阿倍野区桃ヶ池町2丁目11番
概要
この長屋は昭和4年(1929年)に建てられたものである。昭和初期としてはめずらしい通り庭のあるちょっと贅沢なつくりとなっている。長屋前の道は、田辺から王子神社をつなぐ街道筋として栄え、商売をする人が多く住んでいた。今は現在の暮らしに合わせて、壁の塗り直しや一部床のはり直しを行っているが、柱や梁などの骨組みは当時のまま残っている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
昭和初期の特徴を残す貴重な近代建築であり、店舗等に活用している点や地域一帯でイベントを行っている点も活気が感じられ、評価に値する。
令和6年2月29日登録の都市景観資源
あべのキューズタウン(あべのきゅーずたうん)
所在地
阿倍野区阿倍野筋1丁目6番1号
概要
大阪の南の玄関口である天王寺・阿倍野ターミナルの南西側に位置し、阿倍野再開発の一環として2011年(平成23年)にオープン。3万7800㎡もの広大な敷地に、開放感のある屋外テラスや中庭などを設けた府内最大級のモール型ショッピングセンター。3階にあるスカイコートでは音楽ライブやダンスコンテストなど各種のイベントを開催し多くの人でにぎわっている。
講評〔大阪市都市景観委員会〕
外観、施設内ともに、賑わいを感じさせる変化のある景観を形成している。再開発事業の一環として新しく生まれ変わった街を代表する施設が、より地域に密着したかたちで、活用されていくことを期待している。
ダウンロードファイル
- 阿倍野区の都市景観資源紹介(その1)平成28年作成(pdf, 661.91KB)
- 阿倍野区の都市景観資源紹介(その2)平成28年作成(pdf, 990.31KB)
- 阿倍野区の都市景観資源紹介(その3)平成28年作成(pdf, 988.62KB)
- 阿倍野区の都市景観資源紹介(その4)平成28年作成(pdf, 976.14KB)
- 阿倍野区の都市景観資源紹介(その5)平成28年作成(pdf, 968.83KB)
- 阿倍野区の都市景観資源紹介(その6)平成28年作成(pdf, 920.36KB)
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