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区の歴史その4

2011年4月4日

ページ番号:822

掲載年月日:平成30年4月1日

 

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区域の再編成

 昭和30年、大阪市に隣接する6ケ町村の合併によって北河内郡茨田町が城東区に編入されますが、昭和49年に行われた行政区再編成によって、区内を南北に走る新庄大和川線(大阪内環状線)と第2寝屋川を結ぶ線で、鶴見区と東西に分かれ、新しい城東区が誕生しました。

 

旧城東区役所の画像

旧城東区役所(昭和30年頃)

地下鉄(現・Osaka Metro)の開通と幹線道路の整備

 区内に地下鉄線(現在のOsaka Metro)が走るようになったのは昭和43年の中央線からで、以後、谷町線(昭和52年)、長堀鶴見緑地線(平成2年開通)、今里筋線(平成18年開通)と地下鉄路線が整備されていきます。

 幹線道路も新庄大和川線、森小路大和川線、古市清水線(国道163号)、東野田茨田線(鶴見通り)などが続々と開通・拡張されていき、交通至便の地となっていきました。

 

変化する河川の役割

 自動車輪送の発達による水上輸送の減少や、工業・生活廃水の流入による水質の悪化などもあり、高度成長期の昭和30~40年代にかけて、区内の川は次々に埋め立てられていきました。京街道に沿って流れていた榎並川、明治初年に開削された千間川をはじめとして楠根川や鯰江川など、いずれも水運としての使命を終えた川の多くが、埋め立てられ道路や公園などになっていきました。しかし、まちにやすらぎと潤いをもたらす新しい生活空間として楠根川跡の下流約400メートル部分には、工業用水を水源とする人工的なせせらぎと美しい緑が整備され、千間川の川下跡地には、地域住民の願いであった千間川公園が昭和47年に完成し、緑陰歩道も整備されました。

 昭和60年河川改修事業とともに城北運河から改称された城北川は「ふるさとの川モデル河川」として、治水対策と親水性の高い水辺空間の整備が進んでいます。かつて汚濁の著しかった水には魚が泳ぐようになり、広場、ジョギングや散歩を楽しめる遊歩道などが設けられ、多くの区民に憩いの場として親しまれています。

 

昭和40年ごろの城北運河の画像

昭和40年ごろの城北運河

現在の城北川と遊歩道の画像

現在の城北川と遊歩道

工場跡地に建設される高層住宅

 工場地帯として発展してきた当区ですが、かつての陸軍練兵場跡地にできた高層住宅団地や鴫野地区では再開発により高層住宅群などが建設されました。戦前に行われた土地区画整理事業によって緑が多い整然とした街区が形成されたこともあり、都心に隣接する交通至便な住宅地として徐々に注目されるようになりました。さらに近年、移転した工場跡地に市営・公団等の高層住宅や民間マンションが次々に建設され、住宅や商業などの機能を備えた住みやすい街としても発展してきました。人口も昭和45年以降、15万5千人前後で推移しています。

 

高層住宅のたちならぶ画像

高層住宅が立ち並ぶ
現在の城東区のまちなみ

近年の城東区

 平成10年3月に「区スポーツセンター」と「男女共同参画センター東部館」が鴫野に、近未来の高齢化社会に向けて区在宅サービスセンター(区拠点型)が中央地区に完成、同年12月には交通局古市営業所用地内に「城東屋内プール」も建設されました。このように、いきいきとした地域コミュニティを形成するための公共施設も充実する城東区では、今後、ゆとりとうるおいのある、快適なまちに向けた地域つくりが求められています。

 

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大阪市城東区役所 総務課総合企画グループ

〒536-8510 大阪市城東区中央3丁目5番45号(城東区役所3階)

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