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57.榎並猿楽発祥の地(えなみさるがくはっしょうのち)・榎並城跡伝承地(えなみじょうあとでんしょうち)

2019年7月1日

ページ番号:10026


城東区野江四丁目1-28

オオサカメトロ谷町線「野江内代」下車 東約50m

 

 猿楽は能楽の母体となった中世芸能で、寺社の祭事の奉納をしていた。京都法勝寺修正会に参加する猿楽には3座あり、そのうち丹波矢田郷(亀岡市内)を本座、榎並を新座と称した。榎並猿楽はこの付近に座を構え、住吉神社の御田植神事に奉納し特権を得ていた。その後、室町時代に有名であった大和猿楽に移り衰退していった。
 榎並城は、小城ながら淀川・旧大和川・池などに三方を囲まれた天然の外堀を持つ堅城であった。南北朝後期からしばしば記録にも現れ、楠木正成の子、正儀も正平23年(1368)ここに在陣したことがある。
 戦国時代には、細川氏の内紛で摂津各所で内乱が頻発していた。細川氏に対立する三好長慶は、天文18年(1549)柴島城による細川晴賢・三好政長を攻め、、榎並城へ敗走させた。城には子の正勝が守っていたが、難攻不落振りを知る長慶は遠巻きにするだけであった。しかし江口の里に出陣した政長は、十河一存(柴島城跡)らに攻められ、政長は戦死、正勝は逃亡し細川惣領家の没落を早めた。

 

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