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コラム2 中央卸売(おろしうり)市場

2019年7月1日

ページ番号:10056

福島区野田一丁目

大阪シティバス「中央市場前」下車すぐ

 

 市場としては石山本願寺の寺内町を対象に自然発生的に誕生したのが最初と考えられる。その後天満青物市場(同頂参照)として発展、幕府の保護政策もあり大いに繁盛した。しかし場所が内陸部にあり、生魚などは鮮度が心配され、その関係のものは次第に舟運の便のよい河口に近い雑喉場(ざこば)(西区京町堀三丁目)へと移動した(明和9年、1772)。また塩干魚関係も掘削されたばかりの海部堀川永代浜(えいたいはま)(西区靱本町二丁目)に移り、靱(うつぼ)の名と共に栄えた。そのほか青物をわざわざ天満まで運びこむ不便などから、幕府の禁令にもかかわらず市内各所に市場もあったが、100年近くの実績をもっていた木津では、遂に文化8年(1811)、幕府の官許を得て青物魚市場が誕生した(木津難波魚青物市場-大正2年発足-の前身)。このような状態で明治期に入るが、施設や衛生面での立ち遅れや、需要増にも応じきれなくなった。大正初期にかけて公設の小売市場が各地に設置されたが、その元ともいうべき卸売市場はそのままであり、ようやく公設卸売市場の建設がはかられた。大正13年市場創設の件が市会に提案され、東洋一を誇る市場が完成したのは昭和6年3目 28日、また同年11月11日から取引きが開始された。その後、上記本場の外に東部市場が昭和39年11月、東住吉区今林に、南港市場が昭和33年1月、西成区南津守に(同59年4月、住之江区南港に移転)、開設された。
 さらに平成2年から本場の建替整備に着手し一新するとともに、新たに市場情報システムを構築するなど、生鮮食料品流通の基幹をなすシステムとして発展を続けている。

「雑喉場魚市場(摂津名所図会)」の写真

雑喉場魚市場(摂津名所図会)

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