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東淀川区の都市景観資源

2018年11月20日

ページ番号:302300

東淀川区の都市景観資源について

 大阪市では、平成15年度及び平成16年度に東淀川区の都市景観資源(旧・指定景観形成物)2件を登録するとともに、平成25年度に東淀川区の都市景観資源の発掘のため、「東淀川区の自慢できる情報」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成27年3月20日に23件を都市景観資源に登録しました。

都市景観資源一覧表
菅原城北大橋

水道記念館(旧柴島浄水場第1配水ポンプ場)

安威川と番田水路に挟まれた散歩道
上新庄の古い趣のある家並み長柄橋 淀川河川敷(東淀川区)
柴島浄水場松山神社緑風橋
瑞光寺と雪鯨橋行友家と楠一柳家の門・塀
菅原天満宮せせらぎの遊歩道逆巻の地蔵尊
大隅神社大宮豊里大橋
須賀森公園とくす中島大水道跡神崎川(東淀川区)
延原倉庫(株)淡路物流センター中島惣社江口の君堂(寂光寺)
環境施設組合 東淀工場

平成15年度・平成16年度登録の都市景観資源(旧・指定景観形成物)

菅原城北大橋(すがはらしろきたおおはし)

登録年月日

平成15年4月11日

所在地

大阪市東淀川区豊里1丁目-旭区生江3丁目 間

概要

 大阪市で最初に有料道路の事業を取り入れて平成元年(1989年)に完成した斜張橋で、当初普通車の通行料が100円(平成26年(2014年)6月10日から無料化された)であったことから、百円橋と呼ばれ親しまれている。2つのタワーが他本数のケーブルに力を分散して支えている姿が美しい。この橋が架かる淀川には、ヨシ原や天然記念物のイタセンパラの棲むワンドがあり、建設にあたってはこれらの保全に配慮された。また城北公園の中を通るため景観面で数々の検討がなされた。

講評

東淀川区都市景観資源(菅原城北大橋(旭区との間))

 上流からも下流からも遠望のきく美しい橋である。2ヶ所の高い支柱と88本の鋼索で支えられた橋が軽やかに見える。両端の鉄筋コンクリートの部分もさまざまな工夫に満ちており、とりわけ城北公園をまたぐあたりも、公園とひとつになった景観をつくっている。
 淀川はもとより、両側の堤防、わんど、城北公園,周囲の市街地とも景観のとりあわせに目くばりのきいた施設であると共に、それ自身が高水準の景観資源である。 [大阪市都市景観委員長 三輪雅久]

水道記念館(旧柴島浄水場第1配水ポンプ場)(すいどうきねんかん[きゅうくにじまじょうすいじょうだい1はいすいポンプじょう])

登録年月日

平成16年10月8日

所在地

大阪市東淀川区柴島1丁目3番1号

概要

 水道記念館の建物は、宗兵藏の設計で、大正3(1914)年に竣工。市勢発展による人口急増に伴う給水量を確保するため、明治41(1897)年から始まった第2回水道拡張事業において建てられた送水ポンプ場「旧第1配水ポンプ場」の建物を保存活用した記念館。国の登録有形文化財に登録されている。

講評

東淀川区都市景観資源(水道記念館(旧柴島浄水場第1配水ポンプ場))

 煉瓦造平屋建てのこの建物は、昭和61(1986)年に新しいポンプ場が完成するまで、大阪市水道の主力ポンプ場として活躍、市民に安全で良質な水を送り続けてくれた。設計は、大正・昭和の関西建築界の重鎮、宗兵藏。赤煉瓦を基調に要所に花崗岩を混ぜたネオ・ルネッサンス様式の外観に特徴があり、建物正面、ペディメント(三角形の切妻壁)の真ん中に大阪市章を輝かせ、玄関アーチ上部の煉瓦と石を交互に用いた旭日旗を思わせるファサード意匠に微笑みが湧く。 [大阪市都市景観委員 小林正美]

平成27年3月20日登録の都市景観資源

安威川と番田水路に挟まれた散歩道(あいがわとばんだすいろにはさまれたさんぽどう)

東淀川区都市景観資源(安威川と番田水路に挟まれた散歩道)

所在地

東淀川区井高野1丁目、3丁目、4丁目

概要

 安威川河川敷は、「安威川水と緑の回廊計画」の一環として、公園や遊歩道などが連続的に整備されており、潤いのある水辺空間として散策を楽しんだり環境美化活動に参加するなど地域の方々に親しまれている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 河道の湾曲部は眺望が良く、都市域において、水系の自然を感じる貴重な資源といえる。堤の上下の遊歩道は良く利用され市民に親しまれている。

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上新庄の古い趣のある家並み(かみしんじょうのふるいおもむきのあるいえなみ)

東淀川区都市景観資源(上新庄の古い趣のある家並み)

所在地

東淀川区上新庄2丁目13番15号、2丁目20番15号、2丁目11番24号、2丁目13番25号

概要

 上新庄2丁目の阪急上新庄駅に隣接する一帯には、信覚寺や春日神社の社寺とともに、蔵などの木造建造物が点在しており、古い趣のある家並みが見られる。
 信覚寺は文禄年間(1592~95)創建と考えられる。春日神社はかつて榊神社と尊称し、天正6年(1578)奈良春日神社の御分霊を勧請遷祀して春日神社と改称した。本殿は貞享2年(1685)建立で、境内には樹木が茂り、特に本社裏の楠は樹齢400年以上で、市の保存樹に指定されている。
 また、植原邸の長屋門や蔵、外構の巨大な灯篭、また井上邸の明治から大正時代に建築された門蔵など、歴史を感じさせる木造建築物が残っている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 古い家並みや大きな灯篭が歴史性を感じさせる。公園、小学校、旧家、土蔵など付近の閑静な街並みに溶け込み、全体として落ち着いた雰囲気を醸し出している。マンションや一般住宅の外観にも周辺の景観にマッチした工夫がなされている。

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長柄橋(ながらばし)

東淀川区都市景観資源(長柄橋)

所在地

東淀川区柴島1丁目~北区天神橋8丁目

概要

 古くから広くその名が知られる長柄橋ではあるが、橋の所在地については定かでない。長柄橋の名が復活するのは、明治42年(1909年)、新淀川の開削にともなって架けられた鉄製のポニートラス橋である。この橋は明治7年(1874年)に開通した東海道本線のトラスが転用されたものである。その後、昭和11年(1936年)に架け替えられた橋は、第二次大戦末期に爆撃を受けて橋桁が損傷し、橋の下に避難していた人々に多くの犠牲者がでた。現在の長柄橋は、昭和58年(1983年)に完成したもので、中央部の橋はニールセンローゼ桁というアーチ形の橋が採用されている。近代的なアーチに千年の時の流れを映している。夜間にはライトアップが実施されており、広大な淀川の風景とマッチしている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 淀川に架かるランドマーク的な橋梁の一つであり、一定の機能美を有している。夜間のライトアップも行われているなど、地区の景観形成に役立っている。

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淀川河川敷(東淀川区)(よどがわかせんじき[ひがしよどがわく])

東淀川区都市景観資源(淀川河川敷(東淀川区))

所在地

東淀川区柴島1丁目~南江口3丁目

概要

 淀川は、ワンドや川べりに群生するヨシ原など変化のある自然環境に恵まれ、すばらしい景観をつくっている。河川敷には、自然とふれあいながら、スポーツや遊びが楽しめる場所として、芝生広場やテニスコート、野球場など、河川公園が整備され、多くの人たちに親しまれている。
 また、橋をはじめとする土木構造物、中でも柴島1丁目の長柄橋の近くの淀川大堰(よどがわおおぜき)は、淀川の大事な景観の一部となっている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 貴重な自然環境であるとともに、スポーツ・レクリエーションの場を提供し、市民に親しまれている空間である。様々な角度から見える多くの顔があり、それぞれが景観として価値がある。

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柴島浄水場(くにじまじょうすいじょう)

東淀川区都市景観資源(柴島浄水場)

所在地

東淀川区柴島1丁目3番、8番、東淡路2丁目1番

概要

 通水開始が大正3年(1914年)2月で、1日の標準給水能力は、1,180,000m3で、市内中部、北部、西北部に給水している。敷地面積約462,000m2のなかには、配水地やポンプ場、高度浄水処理棟などの設備が配置されている。
 阪急京都線の崇禅寺駅から淡路駅間東側線路沿いの460mには、樹齢50年以上のソメイヨシノを含め、合計160本の桜が植えられており、春には桜並木の通り抜けを開催している。
 また、崇禅寺駅の北側、柴島1丁目8番の東角には、昭和20年(1945年)6月の米軍機による空襲により浄水場の壁面に残された弾痕の一部が道路沿いに保存・展示されている。

※柴島浄水場内の水道記念館については、別途都市景観資源に登録されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 市民に安全で良質な水を送り続けてきた水道の歴史が刻まれている建物であり、敷地の一角にある空襲跡は、近代史の一コマとして大事な戦争遺跡である。
 春には「桜のトンネル」が開放され、地域内外から多くの人が訪れ、素晴らしい景観となっている。

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松山神社(まつやまじんじゃ)

東淀川区都市景観資源(松山神社)

所在地

東淀川区小松4丁目15番38号

概要

 延喜元年(901年)、菅原道真が太宰府に流罪になる途中この地に立ち寄り、数千株の小松の茂る景観に感動し、小松の詩を吟じ直筆の御真像を与えた。道真亡き後、村民たちが社祠を構えてお祀りしたのが松山神社の起こりだといわれている。明治42年(1909年)に大隅神社に合祀されるが、昭和19年(1944年)に地元の復帰運動が実り神社を再建し、小松の氏神として現在に至る。
 門前となる参道が道路を隔てて南側の公園内に残されており、地域の歴史を今に伝えている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 神門、拝殿、本殿は、いずれも簡素ではあるが美しい建造物である。背後の緑が本殿を引き立たせており、良い雰囲気を醸し出している。

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緑風橋(りょくふうばし)

東淀川区都市景観資源(緑風橋)

所在地

東淀川区下新庄4丁目~吹田市川岸町

概要

 東淀川区下新庄地区は、木造住宅の密集地であり、広域避難場所に指定された淀川右岸河川敷まで2km以上離れている、いわゆる避難困難地区になっていた。しかし、神崎川を挟んだ対岸には吹田市の広域避難場所である中の島公園があり、両地区を連絡する橋があれば、下新庄地区の住民が短時間に同公園に避難できる。一方、吹田市側の住民にとっても、阪急千里線下新庄駅利用の便が図れるようになる。このように、本橋は両市住民にとって大きなメリットがあり、国土庁の防災緑地網整備促進事業の補助(1億円)も受けて、両市協力のかたちで実施された。本橋は、居住区域と広域避難場所や地区防災広場を結んでネットワーク化する、防災緑地整備の一環にもなっており、快適な環境形成にかかわる側面も考慮に入れて設計されている。周辺の開けたロケーションのなかに、デザイン化された照明柱や高欄が設けられ、夜間は阪急千里線の電車からライトアップされた橋の風景が楽しめる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 利便性や防災上の機能に加え、景観資源としても価値があり、歩行者専用橋として利用者が多く、欄干に設置された照明灯の形状がユニークであり、デザインも工夫されている。

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瑞光寺と雪鯨橋(ずいこうじとせつげいきょう)

東淀川区都市景観資源(瑞光寺と雪鯨橋)

所在地

東淀川区瑞光2丁目2番2号

概要

 瑞光寺は、聖徳太子の創建と伝えられ、現在の大阪経済大学敷地にあった。三寶寺(さんぽうじ)の全盛時代に堂宇のひとつに属した臨済宗の禅寺であったが、建武年間(1334~1336年)の頃、火災に遭い建物が焼失した。その後、寛永20年(1643年)に伊予の国の天然という臨済宗の僧がこの地に入り、観世音菩薩を本尊に白隠禅師を坐主に迎え、指月寺(しげつじ)と名づけて復興した。しかし、昭和20年(1945年)6月の大空襲で本尊の十一面観音を除いて、豪華な堂塔伽藍から寺宝一切を失った。その後、昭和59年(1984年)に再建され現在に至っている。瑞光寺の境内にある「弘済池(こうさいち)」には、全国にもここだけと思われる、鯨の骨でできた「雪鯨橋」が架かっている。4世住職潭住(たんじゅう)が、宝暦6年(1756年)に南紀を行脚しているとき、太地浦(現在の和歌山県太地町)の漁師に不漁であったことから豊漁の祈念を請われた。潭住は「殺生は五戒の一つ」として断ったが、ついに祈願に応じた。鯨がたくさん捕れたお礼として、30両と鯨骨18本が贈られたが、潭住は鯨を供養し、すべての生き物を大切にするという祈りを込めて、この橋が作られたといわれている。現在の橋は、6代目の橋で、平成18年(2006年)に架け替えられたものである。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 鯨の骨で作られた雪鯨橋はたいへんにユニークで一見の価値があり、独特の印象を与えている。

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行友家と楠(ゆきともけとくすのき)

東淀川区都市景観資源(行友家と楠)

所在地

東淀川区菅原1丁目12番18号

概要

 菅原1丁目にある行友家は、弘化元年(1844年)に建築された古民家で、北側道路に面したところに、門、塀、石垣が配置されており、門の両脇にある2本の大きな楠と一体となって、歴史を感じさせる一角となっている。楠は遠くからでもよく見え、直近ではその大きさに圧倒されるほどで、そのうちの1本が保存樹に指定されている(高さ約22m、幹回り約4.4m)。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 楠、石垣、門、塀など、街区形状とあわせ、古集落の面影を偲ばせる。楠は巨大で存在感があり、地域のランドマークとなっている。住人による管理も行き届いている。

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一柳家の門・塀(いちりゅうけのもん・へい)

東淀川区都市景観資源(一柳家の門・塀)

所在地

東淀川区菅原1丁目16番3号

概要

 一柳家の先祖は、中島大水道の開削にあたり、その実現に苦労を重ねた責任者の一人の一柳太郎兵衛であった。一柳家の亀岡街道沿いには、歴史を感じる板塀・門・土塀が連なってあり、その中でも、現在残る土塀には当時の瓦がぬりこめられており、続く四脚門は民家には珍しく共に風情をそえる。また土塀の脇には、天保7年(1836年)建立の亀岡街道と瑞光寺への道標があり、旧街道沿いの街並みを偲ばせる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 伝統的様式の塀による連続した小道空間を形成しており、評価できる。亀岡街道沿いで、街並みとも調和している。一柳太郎兵衛の屋敷の当時の瓦を用いた土塀が良好な状態で残されている。

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菅原天満宮(すがはらてんまんぐう)

東淀川区都市景観資源(菅原天満宮)

所在地

東淀川区菅原2丁目3番27号

概要

 菅原道真公を祭神とし、寛永年間(1624~44年)、この地が開発されたときに勧請(かんじょう)された。代々の言い伝えでは延喜元年(901年)に菅原道真が大宰府へ左遷され淀川を船で下る途中、当地摂津の国、二重新家村(ふたえしんけむら)住民の出迎えを受けて上陸され住民が牛を引きまわし、道真公をおなぐさめした由緒ある土地であるとされる。境内は一段高く、小丘陵になっている。
 天保(1830~44年)の頃、時の代官築山蔵左門(ちくざんぞうざえもん)が「堤防崩壊禁止令」を出し、堤防の盛り土を命じた。その名残が現在も幼稚園児が毎年10月25日に天秤棒に清めの砂を盛り、担いで石段を登り境内に砂を運ぶ「砂持ち行事」が行われている。
 境内には、江戸時代の神燈や水鉢などがあり、樹齢約500年といわれる楠はひときわ目をひく。現在の社殿は、昭和43年に再建されたものである。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 周辺地盤より小高い位置にあり、視認性が高い。境内に保存樹もあり、鳥居等と併せて地域のシンボルとなっている。土蔵なども歴史性を感じる。綺麗に整備されていて、地元の人が大切にしている感を受ける。

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せせらぎの遊歩道(せせらぎのゆうほどう)

東淀川区都市景観資源(せせらぎの遊歩道)

所在地

東淀川区大桐3丁目~5丁目

概要

 大桐(だいどう)3~5丁目にかけて、延長610メートルのせせらぎの遊歩道がある。木々が生い茂り、小川が流れている。この小川は、昔、農業用水路として使っていた。
 子どもたちの水遊びや虫取りをする楽しそうな声、お父さんと楽しそうに散歩する姿、買い物の途中にベンチで一休みをしている方など、この都会のオアシスとして親しまれている。
 北側360m区間は、岩や石を配して日本庭園風に、南側の250m区間は、タイルを敷きつめ、洋風式庭園にとそれぞれ趣向がこらされている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 かつての用水路を小川として再生した事例で、良く整備された遊歩道は地域にうるおいをもたらしている。夏期に節水のため流水を止めているのが景観的には残念である。

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逆巻の地蔵尊(さかまきのじぞうそん)

東淀川区都市景観資源(逆巻の地蔵尊)

所在地

東淀川区大桐5丁目4番

概要

 「逆巻の地蔵尊」は、弘化3年(1846年)、豊里大橋付近の逆巻村(現在は淀川の川底になった場所)に建立された。この場所は水流が激しく、帆を逆に巻かなければ転覆することから「逆巻の難所」と名付け、恐れられていた。幾度も船が難破し、数多くの犠牲者が出たため、慰霊と船便の安全守護を祈願して、この地蔵が建てられた。明治31年(1898年)、淀川改修のころ、観仏寺の住職が緋の衣を着た僧を背負って観仏寺に着いたところ、僧が地蔵に変わっていたという夢を見て、きっと工事で動かされる地蔵がここにいたいと夢告されたのだろうと考え、観仏寺が引き取り安置した。このとき、地蔵の下から犠牲者の戒名を書いた石が、80近くも出てきたそうである。六角の台石に座る蓮台をいれて1.6mもある大きな地蔵で、太く垂れた眉、小さい顔は、満面に慈悲をたたえている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 道路の交差部にあり視認性が高い。管理が行き届いており、地域の人々に親しまれていると感じられる。三十石船の通行上の難所であったことを示す慰霊の地蔵であり、歴史的な背景を象徴している。

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大隅神社(おおすみじんじゃ)

東淀川区都市景観資源(大隅神社)

所在地

東淀川区大桐5丁目14番81号

概要

 1700年ほど前、この大隅島に離宮を営んでおられた応神天皇(大隅宮:おおすみのみや)が崩御の後、里人が帝の御徳を慕い宮址に神祠を建立したのが起源とされている。ある年に淀川が氾濫し賀茂(かもの)明神の御神体が漂着して霊光を放ち、里人はこれを迎えて産土神(うぶすなのかみ)に合祀し、社名を賀茂神祠と改め社殿を2つに分けた。3,000坪以上の境内には杉や松が繁り、社殿も壮麗であったが、明治初年に周囲を民有地に払い下げた。そして、応神天皇を主祭神とし、名も大隅神社と改められた。境内に狛犬や灯籠が多いのは、稲生(いなう)神社などを合祀したためである。
 明治37年(1904年)に幣殿が設けられ、拝殿が再興改築されており、拝殿前には狛犬の列がある。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 境内には樹木が多く貴重な緑を提供している。また、応神天皇ゆかりの地であり歴史性もあり、複数の神社を合祀したことで境内に遺物も多い。

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大宮(おおみや)

東淀川区都市景観資源(大宮)

所在地

東淀川区大道南3丁目2番2号

概要

 大宮は第27代安閑天皇を主祭神として祀られた神社である。安閑天皇はしばしばこの地を訪れ、放牧の適地として奨励されたので、牛を飼い牛乳を固めた酥(そ)というもの(チーズのようなもの)を献上するなど、この土地の発展に尽くされた徳を慕って祭祀された。そのことにちなんで明治の頃まで「乳牛牧(ちちうしまき・ちちゅうしまき)」という地名が残り、今の大隅東・大隅西小学校は大正15年(1926年)に改称するまで「乳牛牧尋常小学校」と称していた。
 また、この地は聖徳太子の伝承が多く、主祭神御神体の木像は聖徳太子の直作といわれている。たびたびこの地を訪れた聖徳太子は42歳のとき、村人達の歓待のお礼にと自画像を描き贈られたことが今に伝えられ奉祀されている。その旧跡であることから、大阪市へ編入される大正14年(1925年)まで「西成郡天王寺庄」と称していた。また、このとき太子の別称豊聡耳(とよとみみ)皇子から「豊里町(とよさとちょう)」と名づけられたといわれている。
 境内は数本の楠につつまれて、本殿、聖徳太子社、日天社(にってんしゃ)、八幡社(はちまんしゃ)、楠稲荷社(くすのきいなりしゃ)、豊光社(とよみつしゃ)などがたたずんでおり、祭事には大勢の人々が訪れる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 幹線道路に面しているため、鳥居や灯篭などの視認性は高い。境内には桜の大木もあり、地域のシンボルとしての価値もある。歴史が古く、地名の由来等も含めて地域にとって重要な神社と考えられる。

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豊里大橋(とよさとおおはし)

東淀川区都市景観資源(豊里大橋)

所在地

東淀川区豊里3丁目~旭区太子橋2丁目

概要

 本橋は、万国博覧会の関連事業として昭和45年(1970年)に完成した。橋長561mのうち、河川中央の低水敷部分に377mの斜張橋形式が採用された。水面から45mのA字形の塔と、そこから斜めに張って主桁を吊っているケーブルが外観上のシンボルにもなっている。本橋の完成に伴い、300年の歴史をもち、淀川最後の渡船場であった「平田(へいた)の渡し」が姿を消すことになった。名神高速道路への連絡のほか、大阪北部と東部の工業地帯、さらに南港地域を結ぶ交通の大動脈としての機能を果たすとともに、そのバランスのよい外観により都市景観の向上にも寄与している。昭和58年(1983年)から夜間のライトアップも行われており、ランドマークとしての役割は、より一層大きくなっている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 シンプルな斜張橋であり、一定の機能美を有している。構造的に特徴のある橋で、浪速の名橋50選にも選出されるなど、ランドマークとしての価値も高い。背後の梅田ビル群のスカイラインも含めてよい眺望となっている。

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須賀森公園とくす(すがのもりこうえんとくす)

東淀川区都市景観資源(須賀森公園とくす)

所在地

東淀川区西淡路4丁目17番

概要

 須賀森公園は須賀神社の跡地につくられた公園である。その由緒ある跡地を永久に保存するため、地元民の熱意で公園に姿をかえ、憩いの場となっている。ここには樹齢約600年の大楠があり、大阪府天然記念物に指定(昭和56年(1981年)6月1日)されている(樹高30m、直径1.6m)。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 楠の大木がシンボリックで、視認性もある。神社の跡地という謂れも大阪市の歴史の一端を示しており、貴重な景観資源である。

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中島大水道跡(なかじまだいすいどうあと)

東淀川区都市景観資源(中島大水道跡)

所在地

東淀川区西淡路5丁目1番

概要

 江戸時代、北中島一帯は一万数千石の米を生産する農村だったが、低湿地で土砂堆積による洪水がひどく、一柳(いちりゅう)太郎兵衛、西尾六右衛門、沢田久左衛門の三庄屋が先頭に立って、幕府に排水路の設置を強く訴えた。幕府は「工事の費用は、すべて百姓が負担する」という条件をつけて設置を許可したが、不作に苦しむ村民が「せめて多少の補助を」と嘆願すると、感情を害し、許可を取り消した。耐えられなくなった三庄屋は、延宝6年(1678年)3月11日、新太郎松樋(しんたろうまつひ)を水路の拠点として、無許可のまま工事を強行した。村民たちは老若男女を問わず工事に参加し、昼夜の別なく働いて、福村吐口樋(ふくむらはけぐちひ)までの5102間(約9200メートル)、深さ3尺(約90センチメートル)の水路を28日間で完成させた。
 現在の東淀川区から西淀川区に至り、大阪湾に直結した大水路は埋め立てられたが、西淡路5丁目の新幹線の高架のそばに「新太郎松樋」の石柱と「中島大水道顕彰碑」(昭和63年)が建てられている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 水路のなごりが残る歴史的景観資源として価値がある。「新太郎松樋」周辺は、線的に広場化されたポケットパーク(街園)となっており、街角の景観づくりにも有用である。。

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神崎川(東淀川区)(かんざきがわ[ひがしよどがわく])

東淀川区都市景観資源(神崎川(東淀川区))

所在地

東淀川区西淡路6丁目~下新庄4丁目、上新庄3丁目~南江口3丁目、相川1丁目~北江口4丁目

概要

 東淀川区内の神崎川では、「水とみどりのふれあい広場」や「なにわ自転車道」、「神崎川と新幹線」の交差、わが国で初めて採用された2主桁橋の江口橋など、特徴のある水辺が楽しめる。「水とみどりのふれあい広場」は、河川に親しむ空間として平成18年(2006年)に整備され、子どもたちの遊び場、市民の散策道、憩いの場として親しまれている。「なにわ自転車道」は、市民レクリエーションや健康増進を目的に平成13年度(2001年度)に整備され、周辺には江口の君堂(えぐちのきみどう)、大隅神社などがあり、自然を楽しみながら東淀川区の歴史に触れることもできる。また、神崎川を東海道新幹線が横切っており、神崎川の自然景観軸に対して、規模の大きな人工構造物が横断する風景が見られる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 区全域にまたがって流下している川であり、景観の骨格を形成している。都会の貴重な水と緑の空間となっており、また鉄道と交差する橋梁景観を含めてユニークな眺望が確保できる河川として評価できる。

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延原倉庫(株)淡路物流センター(のぶはらそうこ[かぶ]あわじぶつりゅうセンター)

東淀川区都市景観資源(延原倉庫(株)淡路物流センター)

所在地

東淀川区西淡路6丁目4番111号

概要

 延原倉庫は、現在、貸倉庫業として西淡路6丁目に多くの倉庫を所有している。その中で、南東の門から見える5号倉庫は、第2次世界大戦の開戦の翌年(昭和17年(1942年)に完成した建物で、延原倉庫の前身の延原製作所が軍需工場の指定を受けていたころの建物である。鉄筋コンクリート造の巨大な空間は、長さ約280m、幅約20m、高さ約18mもあり、今もその当時の重厚さを残している。
 また、敷地の南西にある7号倉庫も同時期に建設された木造の建物で、大きな負荷に耐えられるよう、梁や柱が幾重にも張り巡らされた重厚な建物で、現在もそのまま倉庫として利用されている。
(注)延原倉庫については、現在、物流総合センターとして機能しており、敷地内を多くのトラック等が往来していることなどから、一般に公開していないが、東淀川区役所主催の倉庫見学会を不定期実施している。お問い合わせは東淀川区役所総務課まで。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 第二次世界大戦中の軍需工場の名残をとどめている巨大かつ堅牢さが印象的な倉庫群。倉庫側面の大きな支柱や倉庫内部の天井クレーンを支える梁、木造の天井・柱の構造が印象的であり、歴史的価値は非常に高いといえる。

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中島惣社(なかじまそうしゃ)

天王寺区都市景観資源(超願寺(竹本義太夫の墓))

所在地

東淀川区東中島4丁目9番41号

概要

 中島惣社は、孝徳天皇の白雉(はくち)2年(651年)難波長柄豊碕に遷都されたころ、五穀豊饒を祈るために多くの神領を得て創建されたといわれている。慶長の末年(1615年)、大坂の役において兵火にあい、古文書などは焼失し本社古代の絵図面一葉と建武2年(1335年)中島總社と記した木製額面のみとなり、創祀の年月は不明であるが、その昔中島郷の中洲にあり、田畑が開け人家も増加したため守護神として宇賀御魂神(うがのみたまのかみ)を祀ったのが始まりと伝えられている。
 中島惣社は最初、稲荷神社と呼ばれていたが、明治29年(1896年)に現名に改められた。惣社というのは総社の意味で、中島郷48カ村の親宮(総社)で、明治41年(1908年)から42年(1909年)にかけて近隣の多くの神社を合祀した。昭和20年(1945年)の空襲で焼失してしまったが、幾度かの改築を経て、現在は美しい社殿が整備されている。また、境内には芭蕉の詠んだ句を刻んだ「落葉塚」と呼ばれる句碑が建てられている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 創建は古い神社であるが、社殿は近代的に改修され、新しい。境内地は良く整備されており、樹木や句碑など緑や文化的資源を含んでいる。鳥居が遠くにあり、参道の跡もある。全てを含めて景観資源である。

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江口の君堂(寂光寺)(えぐちのきみどう[じゃっこうじ])

東淀川区都市景観資源(江口の君堂(寂光寺))

所在地

東淀川区南江口3丁目13番23号

概要

 仁安2年(1167年)の秋、歌人西行法師が天王寺へ参詣する途中、江口の里であいにくの時雨にあい、一軒の粗末な里家で雨宿りを乞う。しかし、女家主の遊女妙(たえ)はその申し出を拒んだ。そこで、西行が「世の中をいとふまでこそかたからめかりの宿りを惜しむきみかな」と歌を詠むと、「世をいとふ人としきけば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」と見事に返歌したといわれている。その即興の歌が縁となって後に妙は仏門に入り、余生を人びとの相談ごとにあてたといわれる。妙(光相比丘尼:こうそうびくに)の亡き後、江口の人びとが、冥福を祈って建てたのが、江口の君堂だといわれている。
 境内には手入れのいきとどいた約40種類の樹木が繁り、ひっそりとした佇まいは、都会の喧騒を忘れ、静かな心にさせられる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 住宅地の中の寺院で、周辺に貴重な緑を提供している。歴史性・文化性を継承する遺物も多く、鐘楼が往時に行きかう船に時を告げていたなど貴重な記憶を伝えている。

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環境施設組合 東淀工場(かんきょうしせつくみあい ひがしよどこうじょう)

東淀川区都市景観資源(環境局東淀工場)

所在地

東淀川区南江口3丁目16番6号

概要

 本施設は、老朽化のため平成13年(2001年)より稼動を停止していた旧東淀工場の建替えを行ったもので、平成22年(2010年)に完成した。平成27年(2015年)からは、大阪市・八尾市・松原市環境施設組合が施設管理している。
 施設の計画にあたっては、できるかぎり建物のコンパクト化を図り、壁面を分節化することにより威圧感を軽減するとともに、落ち着いたシンプルな外観や積極的な緑化により、周辺環境に配慮している。
 また、本施設では、排出されたごみがどのように処理されているかを見ることができる見学者対応設備を設けるとともに、動線・案内計画に配慮しており、すべての利用者・見学者にとってわかりやすく使いやすいものとなるよう計画している。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 大きく目立つ建物だが、建物のデザインや積極的な緑化によって、周辺環境への配慮を示している。見学者対応も配慮されており、運営面にも工夫されていると感じた。

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都市計画局 計画部 都市計画課(都市景観)
電話: 06-6208-7885 ファックス: 06-6231-3753
住所: 〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目3番20号(大阪市役所7階)

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