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浪速区の都市景観資源

2018年11月22日

ページ番号:390675

浪速区の都市景観資源について

 大阪市では、平成15年度に浪速区の都市景観資源(旧・指定景観形成物)を1件登録するとともに、平成27年度に浪速区の都市景観資源の発掘のため、「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、平成29年3月17日に27件を都市景観資源に登録しました。

都市景観資源一覧表
通天閣赤手拭稲荷神社今宮戎神社 
阪堺線(浪速区)新世界市場通天閣本通商店会 
ギャラリー再会 新世界国際劇場ジャンジャン横丁
なにわ筋のいちょう並木(浪速区)南海電鉄高野線(浪速区)新桜川ビル
敷津松之宮・大國主神社Zepp Namba(OSAKA)大阪木津卸売市場
願泉寺パークスガーデン日本工芸館
髙島屋東別館でんでんタウン(日本橋筋商店街・オタロード)御蔵跡履物街(はきはきタウン)
廣田神社浮庭橋湊町リバープレイスと水辺空間
OCATポンテ広場湊町「中央広場」瑞龍寺(鉄眼寺)
難波八阪神社 獅子殿

平成15年度登録の都市景観資源(旧・指定景観形成物)

通天閣(つうてんかく)

登録年月日

平成15年4月11日

所在地

大阪市浪速区恵美須東1丁目18番6号

概要

 通天閣は、明治45年(1912年)内国勧業博の会場跡に新世界・ルナパークとともに完成。昭和18年(1943年)火災にあい、鉄材供出により解体され姿を消したが、地元の熱い思いを受けて、昭和31年(1956年)に2代目通天閣が再建された。高さ108m、円形エレベーター、展望台が設置されており、平成8年(1996年)の改修によりリニューアルされたネオンは、交通安全の標語、天気予報にも活用されている。

講評

浪速区都市景観資源(通天閣)

 商都大阪のエッフェル塔として、明治45年(1912年)に竣工。東京タワーに先立つこと約半世紀。昭和31年(1956年)に再建された二代目も、坂田三吉、「王将」の名のもとに、大阪庶民の心意気を象徴しており、景観価値は、その物理的側面より以上に、その存在が内包している精神的側面に見出すことができる。通天閣は、平成の「王将」が出現することを待望している。 [大阪市都市景観委員 真砂泰輔]

平成29年3月17日登録の都市景観資源

赤手拭稲荷神社(あかてぬぐいいなりじんじゃ)

写真と地図

所在地

浪速区稲荷2丁目6番26号

概要

 創祀は慶長年間(1596年頃)、御祭神は豊受天大神(とようけのおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)、宇受売神(うずめのおおかみ)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、大山祗神(おおやまづみのみこと)。
 慶長年間の頃は、この辺りは堤防でその上に大きな老松があり、土地の人は波除松と呼んでいた。その松の下に祀られていたので、当初は松の稲荷と呼ばれていた。この稲荷はたいへん霊験あらたかで参詣の方がたえず、そのうち誰がはじめるともなく社前に赤い手拭いをお供えするようになり、いつしか「赤手拭稲荷神社」という名で世に広まったということである。
 もとは無格社だったが、明治42年(1909年)6月4日に泉南郡東鳥取村大字鳥取中宇西の原の村社稲荷神の倉稲魂命、大山祗神を合祀して村社となった。かつての社殿は昭和20年(1945年)の大阪大空襲で焼失し、現在の社殿は昭和23年(1948年)に再建されたものである。
 また古典落語の「ゾロゾロ」の舞台となった神社としても知られている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 所在地の地名が「稲荷」ということもあり、地域のランドマークとしての価値を有しているといえる。

今宮戎神社(いまみやえびすじんじゃ)

写真と地図

所在地

浪速区恵美須西1丁目6番10号

概要

 天照皇大神・事代主命・外三神が祀られている。かつては海岸沿いにあり、このような海辺で物資の集まりやすい土地では、いわゆる「市」が開かれたが、その市の守り神としても戎さまが祀られるようになった。
 室町時代以降庶民の信仰はより厚くなり、また大阪の町も発達し、大阪町人の活躍が始まる。江戸期になると大阪は商業の町としてより一層の繁栄を遂げ、それと期を一にして今宮戎神社も大阪の商業を護る神様として篤く崇敬されるようになった。十日戎の行事もこの頃から賑わいをみせ、さらに元禄期になると十日戎の祭礼を彩る宝恵駕(ほえかご)の奉納も行われるようになり今日と同じような祭礼となった。
 現在では、1月9・10・11日の三日間の祭礼で約100万人の参詣者があり、大変な賑わいをみせてくれる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 十日戎の賑わいは全国的にも知られており、商いのまち大阪のシンボル的な存在である。

阪堺線(浪速区)(はんかいせん[なにわく])

写真と地図

所在地

浪速区恵美須西2丁目、3丁目

概要

 阪堺電車は大阪で唯一の路面電車として、また市民の生活の足として親しまれている。恵美須町から堺市の大小路を結ぶ阪堺線は明治44年(1911年)に開通、その翌年には浜寺駅前まで全線が開通し、平成23年(2011年)に100周年を迎えた。単なる公共交通機関としてだけではなく、カラフルで愛らしい車両、昭和の薫りただよう沿線の表情が鉄道ファンをはじめ多くの人々に愛され続けている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 路面電車の走る景観は街の雰囲気と調和している。100年以上市民に活用されており地域住民からの愛着も感じられる。

新世界市場(しんせかいいちば)

写真と地図

所在地

浪速区恵美須東1丁目

概要

 地下鉄恵美須町駅3号出口を出て、通天閣本通商店街を通天閣に向かって歩く途中の右手に市場の入口がある。約150mの屋根付きの商店街。
 和菓子や銘茶の老舗、こだわりの弁当屋や漬物店、履物屋兼世界的なジャズレーベルなど個性的な店舗が軒を重ね、100年以上の歴史を誇る地元に根付いた市場である。
 開設:大正3年(1914年)7月、再建:昭和21年(1946年)9月。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 大正初期に開設された市場で歴史が感じられる。また、イベントの開催や各店舗のポスターを作成するなど活性化にも取り組んでおり、地域の文化を発信している点が評価できる。

通天閣本通商店会(つうてんかくほんどおりしょうてんかい)

写真と地図

所在地

浪速区恵美須東1丁目

概要

 地下鉄恵美須町駅3号出口から通天閣の北側まで延びる約200mの商店街。古くからある店が多く、喫茶店に飲食店、食料品や衣料品店舗などが軒を重ねる。通りの方は、アーチ型のアーケードにカラータイル舗装で、パリのショッピングモールを真似てつくられた。
 明治45年・大正元年(1912年)の新世界創設の頃から、恵美須通として栄え、昭和31年(1956年)の二代目通天閣再建を機に通天閣本通と改め、食の都大阪ならではの飲食店を中心に、物販など多彩な商店街として賑わっている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 最寄り駅から通天閣までのメインストリートであり、昼はもちろん夜も通天閣のライトアップが美しく見える。多くの店が軒を連ね、地域住民や観光客の賑わいを生んでいる。

ギャラリー再会(ギャラリーさいかい)

写真と地図

所在地

浪速区恵美須東1丁目4番16号

概要

 昭和28年(1953年)、建築家の石井修氏が設計した、国指定登録有形文化財。通天閣から放射状にのびる街路沿いに建つ。間口3間、奥行10間で、中庭を介して店舗と住居を通路で繋ぐ伝統的町家形式を踏襲した造り。独特の幾何学模様の破風飾り、ねじれ柱付のバルコニー、ガス灯風の照明など、ファサードが特徴的。もとは純喫茶「再会」として賑わったが、現在は月1回のジャズライブ開催時のみ入店できる。
 構造及び形式等:木造2階建、スレート葺、建築面積97㎡。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 独特の幾何学模様など細部にもこだわった名建築であり、通天閣との対峙によってさらに特徴的な景観が形成されている。月1回程度イベントに活用されている点も評価できる。

新世界国際劇場(しんせかいこくさいげきじょう)

写真と地図

所在地

浪速区恵美須東2丁目1番32号

概要

 すっかり珍しくなった手書きの映画看板が郷愁を誘う映画館である。昭和5年(1930年)、芝居小屋としてオープン。外観は今も演舞場時代のままで、昭和初期らしい重厚なデザインが目を引く。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 大大阪時代に建てられた近代建築の名作として名高い建築物であり、往時の賑わいが感じられる重要な景観要素である。

ジャンジャン横丁(ジャンジャンよこちょう)

写真と地図

所在地

浪速区恵美須東3丁目

概要

 ジャンジャン横丁またはジャンジャン町との愛称で呼ばれている商店街。正式には南陽通商店街振興組合。この愛称の「ジャンジャン」とは三味線の音であり昭和初期、飲み屋街がたくさんあった頃、特にジャンジャン町にはその三味線を引き流しする者がたくさんいた。常に三味線の音が聞こえていたことから、いつの間にかジャンジャン町との愛称で呼ばれるようになった。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 観光客で賑わうだけでなく地域住民からも愛される商店街であり、通天閣と並び地域を代表する景観資源となっている。

なにわ筋のいちょう並木(浪速区)(なにわすじのいちょうなみき[なにわく])

写真と地図

所在地

浪速区幸町1丁目~浪速東3丁目

概要

 大阪のイチョウ並木といえば御堂筋が有名だが、なにわ筋にも数多くのイチョウが植えられている。
 長さ7kmに渡りおよそ1000本のイチョウが植えられており、浪速区はその内の約1.8kmである。(昭和34年(1959年)開通)

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 いちょうの四列植栽は都市景観形成に寄与するものであり、広幅員のなにわ筋と相まって落ち着いた雰囲気を作り出している。

南海電鉄高野線(浪速区)(なんかいでんてつこうやせん[なにわく])

写真と地図

所在地

浪速区桜川3丁目~浪速西1丁目

概要

 高野鉄道当時の明治33年(1900年)8月に汐見橋~堺東間が開通し、翌月に営業を開始した。汐見橋駅の当初の駅名は「道頓堀駅」だったが、駅の北側、西道頓堀川に架かっている橋の名にちなんで現在の駅名となり、大正14年3月に高野線と南海本線の連絡線ができるまで、高野山方面(高野下まで)への直通運転はすべて同駅を発着していた。その後、大阪市内の交通事情の変化などに伴って、岸里玉出駅までの折り返し運転のみとなった。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 明治33年開業以来、長い歴史を有している。沿線住民の足として今もなお活用されており、地域住民の生活に欠かせないものとなっている。

新桜川ビル(しんさくらがわビル)

写真と地図

所在地

浪速区桜川3丁目2番1号

概要

 新なにわ筋と千日前通りの交差点南東にある地上4階建のビル。店舗・事務所・住居として利用されている。道路に対して扇状に広がる外観が特徴的である。
 昭和33年(1958年)建築、(財)大阪府住宅協会(現・大阪府住宅供給公社)設計。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 通り側の曲線美が特徴的な名建築であり、同時にテナント部分のリノベーションにより積極的に活用されている点が評価できる。

敷津松之宮・大國主神社(しきつまつのみや・おおくにぬしじんじゃ)

写真と地図

所在地

浪速区敷津西1丁目2番12号

概要

 社伝によれば、「神功皇后が三韓を平定されて住吉大社に凱旋報告のため、敷津浦を航海されたとき、敷津浜に荒い波がうちよせられるのを見られ、『これから汐が満ちてはいけません』と松の木を渚に三本植え、素戔鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りになり航海の安全を祈られたことから『松之宮』と呼ばれた」とある。敷津松之宮と“木津の大國さん”で知られる大國主神社とが相殿となっている。毎年1月9日から 11日には大國まつりが行なわれ、大いに賑わっている。
 また、敷津松之宮・大國主神社内には、天正14年(1586年)相模(神奈川県)で生まれ豊臣秀吉に仕え、堤防工事や新田開発に尽くした木津勘助(きづかんすけ)の銅像があり、大阪の発展に寄与した功績を称えている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 一つの境内に二つの神社が存在しており、それぞれに鳥居と社殿があるところが特徴的である。毎年行われる大國まつりでは、大いに賑わい地域住民からも親しまれている。

Zepp Namba(OSAKA)(ぜっぷなんば[おおさか])

写真と地図

所在地

浪速区敷津東2丁目1番39号

概要

 Zepp Namba(OSAKA)は、主に音楽ライブ・イベントを開催しているライブハウスで、平成10年(1998年)に住之江区に開業した「Zepp Osaka」を平成24年(2012年)に浪速区に移転し「Zeep Namba(OSAKA)」となる。収容人数はスタンディング時が2,513人で、ステージと客席の距離が近く、アーティストとの一体感が楽しめるライブハウスである。

 構造:鉄骨造、階数:地上2階
 建築面積:2,340㎡、延床面積:3,446㎡

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 若者文化・音楽の拠点であり、独特の形状は地域と調和している。敷地内で緑化を図っているなど景観への配慮も感じられる。

大阪木津卸売市場(おおさかきづおろしうりしじょう)

写真と地図

所在地

浪速区敷津東2丁目2番8号

概要

 300年を超える歴史を持ち、食い倒れのまち大阪の台所として食文化を支えてきた。魚介類や青果等の約150店舗が営業しており、民間の地方卸売市場としては日本最大級の規模を誇る。
 平成22年(2010年)のリニューアルオープンでは、総合食品卸売店やスーパー銭湯を併設。また、毎月第2・最終土曜日は一般客向けに開放する「木津の朝市」も開催し、市民に身近な存在となっている。
 その始まりは江戸時代初期の百姓市である。近世、難波村・木津村・今宮村は青果の一大産地であった。当時の青果取引は天満青果市場だけであったが、文化7年(1810年)に、大阪代官であった篠山十兵衛景義の尽力により正式に市として官許され、その後魚介類も取り扱うようになった。
 また、今日では大阪を代表する今宮戎神社の「十日えびす」において、毎年1月9日に宵戎に大阪木津卸売市場から、300年来の由緒ある古式にあわせ、戎様にゆかりの深い大鯛(雌雄一対)を奉納する献鯛行事が執り行われている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 商都大阪の代表的な景観である、300年を超える歴史や民間の卸売市場であるという希少性に加え、定例的に小売りも行い地域に開かれている点が評価できる。

願泉寺(がんせんじ)

写真と地図

所在地

浪速区大国2丁目2番27号

概要

 小野妹子の八男、多嘉麿義持(たかまろよしもち)(法名:聖伝院永証(しょうでんいんえいしょう))が創建し、はじめは無量寿院と称していた。建てられたのは四天王寺建立のすぐあとという古刹である。京都の作庭家相阿弥(そうあみ)の作と伝えられる庭園は、大阪府名勝に指定されていて市内にあるとは思えない静寂な姿を今にとどめている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 寺院自体の歴史性に加え庭園が秀逸であり、趣のある空間を感じることができる貴重な歴史的・文化的資源である。

パークスガーデン

写真と地図

所在地

浪速区難波中2丁目10番70号

概要

 なんばパークスは平成15年(2003年)、大阪球場の跡地に「人・都市・自然のシンフォニー」をテーマとしてオープンした複合商業施設。ショッピング街、レストラン、映画館、オフィスビル「パークスタワー」などを有し、個性的な建物は、六本木ヒルズも手掛けたアメリカ人のジョン・ジャーディが設計。
 「パークスガーデン」は「なんばパークス」の屋上公園で商業施設の屋上としては国内最大級の規模で、都市で自然を体験できる貴重なガーデン。国内外からの高い評価を受け、さまざまな賞や認定を受けている。

 [面積]約11,500㎡

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 都心の大規模開発において、緑や庭園的要素を積極的に取り入れている点が評価でき、立体的な緑化が周辺からの視認性を高めている。

日本工芸館(にほんこうげいかん)

写真と地図

所在地

浪速区難波中3丁目7番6号

概要

 日本工芸館は昭和25年(1950年)大阪市北区堂島に、戦災を免れ残存した江戸時代の米蔵を改修して開館した。
 昭和35年(1960年)、開館10周年を記念して現在の場所に新築移転し、大阪府下4番目の私立博物館として登録をうけて現在に至っている。
 日本工芸館は伝統的な工芸品の中の民衆的工芸品(民芸)の技術保存・育成と普及を目的とし、他の美術館、博物館とは少し趣の異なる工芸館である。また、展示されているものは長い歴史の中で、無名の工人によって日常生活用品として作られた古いもの、または、現在も作り続けられている優秀な民芸品で、世界的にも高く評価されている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 地域に開かれた個性的な外観をもつ施設であり、工芸を通して地域文化の醸成に寄与しているといった点が評価できる。

髙島屋東別館(たかしまやひがしべっかん)

写真と地図

所在地

浪速区日本橋3丁目5番25号

概要

 昭和12年(1937年)に松坂屋大阪店として増築完成。戦前の百貨店建築の粋が結集され、完成時は「東洋一の百貨店」と謳われた。昭和43年(1968年)髙島屋が建物を取得。外観・内観ともほぼ当時のままで、平成23年(2011年)にはNHK連続テレビ小説「カーネーション」のロケ地になった。外観はルネッサンス様式を基調にしたもので、1階の開口部を連続させたアーケードや7階のワンスパンに3連アーチ、外壁の細かな装飾がついたテラコッタ、内部には大理石をふんだんに使った壁面、梁型、手摺、腰壁の装飾など、戦前期の百貨店建築の精華が残されている。

 構造:鉄筋コンクリート構造 階数:地下2階地上7階
 総面積:42,289㎡

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 細部の造りにもこだわった建物外観は大阪の建築史的にみても価値がある。保存状態もよく堺筋が大阪のメインストリートであった時代を今に伝える貴重な建築物である。

でんでんタウン(日本橋筋商店街・オタロード)(にっぽんばしすじしょうてんがい)

写真と地図

所在地

浪速区日本橋3丁目~5丁目、難波中2丁目、日本橋西1丁目

概要

 日本橋一帯に約500店の電気・ホビーの専門店が軒を連ねる一大ショッピングストリート。東京秋葉原と並ぶ日本有数の電気街で、最近ではアニメやコミック、ゲームなどのショップも多数進出。外国人観光客も多い国際的スポットでもあり、商店街には日本語・中国語・韓国語のショッピングマップが用意されている。江戸時代には「長町」と呼ばれた古くからの宿場町であり、明治時代には古書店街として賑わっていたが、戦後になって自作のラジオ向けのパーツや工具などを扱う店が現れたことをきっかけに電気街として発展し、現在の「でんでんタウン」に至っている。なお、「でんでんタウン」の名称は、昭和53年(1978年)に一般公募により決定された。毎年3月には「日本橋ストリートフェスタ」が開催され25万人もの来街者があり日本橋の魅力を発信している。
 また、堺筋の西の通りは近年、同人誌、コスプレ、フィギュアやおもちゃなどの店が多数出店し賑わう日本橋筋西通商店街で通称「オタロード」と呼ばれている。大型店舗やビル群が軒を連ねる堺筋とはひと味違い、小さなお店や雑居ビルが立ち並ぶ通りは、ポップカルチャー好きにはたまらないマニアックなお店がひしめき合い、平日でも多くの人で賑わっている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 時代の流れとともに発展し、新しい文化の発信地として特徴あるエリアとなっており、今や立派な市民権を得た大阪の名所である。また、地域住民自らが啓発パトロールを行うなど、安全安心のまちづくりに取り組んでいる点も評価できる。

御蔵跡履物街(はきはきタウン)(おくらとはきものがい)

写真と地図

所在地

浪速区日本橋3丁目、日本橋東1丁目、中央区日本橋2丁目

概要

 約40軒の履物問屋が集まり、下町情緒あふれるこの界隈は履物問屋街(はきはきタウン)と呼ばれ、浅草の花川戸と並び全国に知られている。大正初期、北日東町(きたにっとうちょう)方面には下駄の職人が多く、毎月21日のお大師の市日にお大師売りを始めたところ割合に売れ行きがよかったので、その頃から小店で製造販売をするところが多くあり、発展したそうである。もちろんこのように集中的に発展したのは御堂筋の履物問屋が道路の建設のため立ち退きとなり、今の地へ移転したことが大きな要素となっている。地元には、はきもの神社(守護神)があり、また、履物会館を有し地域・業界の活性化に大きな役割を果たしている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 履物屋が並んでいる点が極めて個性的で、履物の街としての歴史を象徴している。また、年に一度、一般客も購入できる機会を設けるなど、地域とのつながりも感じられる。

廣田神社(ひろたじんじゃ)

写真と地図

所在地

浪速区日本橋西2丁目4番14号

概要

 もと天王寺の鎮守で今宮村の産土神(うぶすなのかみ)だが創建年代は不詳である。古い由緒を持つとともに江戸時代には廣田の杜といわれ、うっそうとした森のなかに社があった。当時は境内も広く、紅白二種の萩を植えた茶店があり、萩の茶屋と呼ばれていたといわれている。
 痔疾をはじめ難病悪疫の守り神として信仰されているアカエ(アカエイ)を神使として信仰されている神社。昔、この周辺は漁師町であった。痔疾は漁師の方々の職業病のようなもの。また叡智の「エイ」に通じると合格・必勝を祈願する参拝者も多くいる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 「アカエイ」が祀られており、このあたりが海に近かった歴史が感じられる貴重な資源である。今宮戎と一体となって夏祭りを行うなど、地域との繋がりも評価できる。

浮庭橋(うきにわばし)

写真と地図

所在地

浪速区湊町1丁目~西区南堀江1丁目

概要

 水の都大阪を再生する道頓堀川水辺整備事業の一環として、湊町リバープレイスと南堀江地区を結ぶ新しい人道橋「浮庭橋」が平成20年(2008年)12月20日に開通した。南側の湊町地区と北側の南堀江地区を安全かつ快適に回遊することを目的に、周囲のランドマークとなる本橋の整備を行った。
 本橋の特徴は、メインデッキを浮かせるために、主塔とメインデッキをつなげず、2本のメインケーブルにより、斜め45度に河川を横断するメインデッキを吊り、横揺れを防止するために、河川と直交するサブデッキをメインデッキに剛結させている。橋の上には、芝生や低木、両端にシンボルツリーを配置し、緑あふれる「はらっぱ」をイメージしている。また、橋の名前は、一般公募を行い「浮庭橋」に決定した。
 浮庭橋は、単に通行するだけの橋ではなく、芝生やベンチなどの「たたずみスペース」を利用し、周辺の風景を眺めながら、都会の真ん中で、ゆっくりと語り合える憩いの場所になることを期待している。

橋長:76.30m 幅員:4.0~6.2m 形式:吊橋

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 緑豊かな空間の創出とともに、道頓堀に斜めにかけられた独特のフォルムとライトアップは、周囲とも調和しており、地域を代表するシンボリックな建造物であるといえる。

湊町リバープレイスと水辺空間(みなとまちリバープレイスとみずべくうかん)

写真と地図

所在地

浪速区湊町1丁目3番1号

概要

 湊町リバープレイスは、約1,500人収容のライブハウス「なんばHatch」やfm osaka、カフェ、レストランが入る八角形のフォルムが特徴的な大阪の文化拠点である。道頓堀川遊歩道と隣接したイベントスペース「プラザ」では多彩なイベントが開催されており、なんばHatchと共に音楽を中心とした豊かな文化を日本全国に発信している。構造的にも、阪神高速道路湊町出入口と一体となった点が特徴的である。

敷地面積:17,930㎡、延床面積:21,240㎡、建物:地下2階地上7階、開業:平成14年(2002年)7月。

 また、施設の北側の道頓堀川には、湊町船着場があり、水辺遊歩道整備(とんぼりリバーウォーク)の一部を船着場として整備したもので、平成13年(2001年)2月に供用を開始している。湊町船着場から中央公会堂など、大阪ならではの観光名所を落語家のトークとともに楽しめる観光遊覧船などが運航されている。全長約100m。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 大阪ミナミの新しいシンボルとして既に広く知られた空間であり、文化・情報の発信拠点である。また、湊町船着場からは観光用の船が発着し道頓堀川の親水性を高めており、水都大阪が誇る「水の回廊」のミナミの玄関口としての価値も有している。

 

OCATポンテ広場(おーきゃっとポンテひろば)

写真と地図

所在地

浪速区湊町1丁目4番1号

概要

 OCAT地下1階の入口部は、サンクンガーデン形式のポンテ広場(多目的広場)が設けられ、ライブやダンスなど多彩なイベントを催し、常に人々が集うスポットとなっている。大きなモニュメント「フライングレインボー」は世界への虹の架け橋や飛行機の路線図をイメージしたものである。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 ストリートダンスの聖地として若者文化の情報発信の場となっている。施設管理者も積極的に活用に向けて取り組んでおり、アクティビティが場を活かす好例であるといえる。

湊町「中央広場」(みなとまち「ちゅうおうひろば」)

写真と地図

所在地

浪速区湊町2丁目1番、2番

概要

 湊町地区には、平成8年(1996年)に開業した大阪シティエアターミナルビル(OCAT)を中核施設として、商業施設・オフィス・文化施設・住宅など様々な施設が立地している。
 中央広場は、湊町地区の居住空間が集まったエリアの中央部に位置し、石畳の遊歩道や木製デッキを備えた緑豊かな広場で、イベント等にも利用されている。米ニューヨークのセントラルパークをイメージしており、クスノキやアラカシなど樹木や草花が多数植えられている。

 [面積]約6,000㎡

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 ビルの谷間にある貴重な緑地空間である。近隣住民自身が積極的に花壇の手入れや活用の取組みを行っており、エリアのコミュニティの場として親しまれている点も評価できる。

瑞龍寺(鉄眼寺)(ずいりゅうじ[てつげんじ])

写真と地図

所在地

浪速区元町1丁目10番30号

概要

 黄檗宗萬福寺末寺(おうばくしゅうまんぷくじまつじ)で薬師三尊を本尊としており、もとは難波村の薬師堂だったが、江戸初期に黄檗宗の僧鉄眼和尚が再興した。鉄眼和尚は、わが国に一切経の版木がないのを嘆き、全国行脚募財の末、一切経の木版6956巻32万頁を完成させた。その間洪水と飢饉に苦しむ人々を救うため、一切経の募財を救済に投じ、三度目に目的を遂げ「鉄眼は一生に三度一切経を刊行せり」といわれ、その徳の高さから一般に鉄眼寺といわれている。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 真紅の異国風の外観が目を引き、街中にあって非常に目立つ存在である。浪花百景にも描かれており、大阪の名所として親しまれていたことが伺える。

難波八阪神社 獅子殿(なんばやさかじんじゃ ししでん)

写真と地図

所在地

浪速区元町2丁目9番19号

概要

 高さは12m、奥行き7m、幅7m。昭和49年(1974年)本殿竣工と共に完成した。
 内部神殿には 御祭神素盞嗚尊(すさのをのみこと)の荒魂を祀る。折腰格天井にはめ込まれている鳳凰の彫刻は、全て手彫りでその意匠が異なっている。又目はライト、鼻はスピーカーの役割を果たしている。
 お正月には、神楽・居合道など、夏祭りには、獅子舞・民踊等各種芸能が奉納される。近年は、大きな口で勝利を呼び、邪気を飲み勝運(商運)を招くと、学業向上、就職、入試あるいは、会社発展を祈願するために、全国各地から参拝客が訪れる。

講評〔大阪市都市景観委員会〕

 威容を誇る獅子舞台の迫力に圧倒されるが、造りは丁寧で舞台の床や壁面、天井の意匠も濃密である。訪問客も多く、地域の代表的景観となっている。

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