下水道いま・むかし
2019年4月9日
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大阪の下水道の歴史(れきし)をふりかえってみよう。
1583年に、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が大阪城を建て、大阪のまちづくりもしたんだ。
そのときに下水道もつくられ、これを「背割(せわり)下水」と呼んでいるんだよ。
明治時代になると、コレラなどの伝染病(でんせんびょう)の流行がきっかけで
1894(明治27)年に近代的な下水道の工事が始められたんだ。
背割下水のゆかにコンクリートを打って流れをよくしたり
レンガづみの下水道がつくられたんだ。
まちの近代化が進むにつれて、汚れた水の量もふえて川の水が汚れてきたんだ。
このため大阪市では1940(昭和15)年に津守(つもり)、海老江(えびえ)の下水処理場をつくり、水をきれいにして川に流すようにしたんだ。
今は、大阪市内全体で12か所の下水処理場で、1日に2,844,000立方メートル(大阪ドーム2.4杯分)ものきれいな水を
24時間365日休まず、つくりつづけているよ。
なにわ大放水路、淀(よど)の大放水路などのたくさんの雨水を排水(はいすい)する大きな下水道管をつくっているんだ。
大阪市は明治時代から下水道整備を進めているため、古くなってきた下水道施設が多くなっているんだ。古いままで置いておくと、下水が流れにくくなったり、道路の下にある下水管がこわれて道路がかんぼつすることがあるので、古くなった下水管を修理しているんだ。
下水処理水の再利用(さいりよう)や、処理のあとに残ったどろのリサイクル、下水処理場の土地の上部を広場として利用するなど、下水道施設(しせつ)・資源(しげん)を有効に使っているんだ。

市民のいこいの場になっているよ

建築(けんちく)資材(しざい)として利用されるんだ
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