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プラネタリウム(カールツアイス2型25号機) 1基

2019年1月9日

ページ番号:8954

プラネタリウム(カールツアイス2型25号機)

プラネタリウム(カールツアイス2がた25ごうき)

分野/部門

有形文化財/歴史資料

所有者

大阪市

所在地

大阪市北区中之島4 大阪市立科学館

紹介

プラネタリウム(カールツアイス2型25号機)写真

 昭和12年(1937)3月に開館した大阪市立電気科学館の目玉として設置されたのがプラネタリウムである。
 大阪市は、昭和8年(1933)に電気供給事業10周年を祝い、電気知識を啓発するための施設として、大阪市立電気科学館の建設を計画した。館の開設準備のため欧米を視察した木津谷電灯部長は、当時ツアイス社で製作がはじめられたプラネタリウムの導入を提案した。さらに、小畠技師(後に初代電気科学館長)が海外調査を行い、プラネタリウムは現代科学の粋を結集した装置であり、電気知識を啓発し、電気科学館を世界に誇れる施設にするには是非とも必要なものであるとの調査報告を行った。
 この報告を受け、昭和9年12月、平塚米次郎電気局長の英断によってプラネタリウムの導入が決定された。しかし、プラネタリウムの価格は当時小学校2~3校の建設費にあたる46万円にのぼり、大きな議論が起こったという。京都大学山本一清教授の協力のもとに、議会の承認も得て、建設決定の運びとなった。
 ツアイス社では1923年に北天のみを投影する小型機1型を完成させた。その後、1926年には全天を投影できる大型機2型を完成させた。 昭和12年3月の開館披露とともに、2型の25号機が東洋圏で初めてのプラネタリウムとして一般公開された。
 このカールツアイス2型25号機のプラネタリウムは、電気科学館が閉館した平成元年(1989)5月まで、半世紀を越えて活躍し、市民に親しまれてきた。
 なお、カールツアイス2型のプラネタリウムは、世界中でも3基しか現存せず、本件はそのうちの1基である。

参考文献

伊東昌市『地上に星空を』(裳華房 1998年)

 

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